綱とりに追い風が吹いた。大関稀勢の里(30=田子ノ浦)は最初の大関戦となった照ノ富士を1分24秒8の相撲で寄り切った。直後に横綱白鵬が勢、日馬富士が嘉風の平幕力士に敗れる波乱。1敗は稀勢の里と同部屋の弟弟子、高安の2人となった。

 長い相撲に耐え抜いた先に、心地よい風が吹いていた。勝ち残りで土俵下に座った稀勢の里の目の前で、白鵬が敗れた。続いて日馬富士も。綱とりの必要条件となる初優勝へ、最大の壁となる両横綱が1歩後退。弟弟子の高安と2人だけのトップとなり「集中してやるだけです。明日も」と一層、気持ちを引き締めた。

 最初の大関戦。そこに危なげはなかった。おっつけて左を差し込むと、右上手を引いて照ノ富士を半身にさせる。ただ耐える相手に攻め急ぐ気はない。体力をそぎ落とす。最後は上手を引きつけて、押し出すように寄り切った。1分24秒8。「思い切っていこうと。攻めようと思った」。呼吸が乱れることはなかった。

 綱とりのさなか、部屋の下の者への指導が増えた。夏場所でケガした付け人にはこう言った。「基本ができていないからケガをする。でも、ケガの功名じゃないけど、そういうときに力士は一皮むけるんだ」。

 自らも14年初場所で右足親指の靱帯(じんたい)を損傷し、初めての休場と負け越し、そしてかど番を味わった。ただ「そこで体を一からつくろうと思った。それまで、基本をやる機会があまりなかったから」。

 立ち返り、特に四股の回数は格段に増えた。この日の朝は再び数を重ねた。「ちゃんと踏んだら下半身もバシッと決まる。まだまだですけど」。狂いを調整して最初の関門を突破。その先に追い風が待っていた。

 もちろん、油断はまるでない。春場所は8日目の単独トップから逆転優勝を許した。「変わらずですね」。過去の苦い経験で学んだことは多い。【今村健人】