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■古四王神社の「糊付矛」

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5月8日は胡四王神社の祭典です。またおもしろい「のりつけ棒」が見られました! 1、古四王神社祭典 子供たちも参加(学校を休んでも参加できる)し、神輿も出ています。六角形に鳳凰がついた立派なものです。作画は由緒ある神社です。 2、不思議な「のりつけ棒」 中央の棒が「糊つけ棒」。直径8㎝くらいの杉の棒です。白い部分が米から作った糊。この糊のつく具合で豊作を占うというのです。時代が経っていますからそうなのでしょう!! 本当は下記のようなことだと推定しています。 3、「のりつけ棒」は「糊つけ矛(ぼこ)」 「寺内町史」には「のりつけ棒」は「糊付矛(のりつけぼこ)」とあります(p95) 矛と言えば「イザナギイザナミの国生み神話ですね」・・・古事記なんですよ! 4 、 平田篤胤「霊の真柱」より 古の伝えとは「古事記」のことです。 古の伝えに曰く、そこで、天ッ神の諸々の神々のお言葉で、 イザナギノミコト・イザナミ   ノミコト のお二柱の神に向かって、「この漂える国を、造り固めなされ」と仰せられ、アマノヌボコをお授けになり、ことを委ねられたのです。    そこで、お二柱は天の浮き橋にお立ちになり、そのヌボコを下に向けて指し下ろして、流れ漂っている青海原を、コヲロコヲロと掻き回し掻き鳴らして引き上げなされました。その   時に、ヌボコの先からしたたり落ちた塩が、重なり積もりに積もって島になりました、これがオ   ノゴロ島です。     その二柱は、その島に天降りなされて、天ッ神より賜ったアマノヌホコ突き立て、国の御   柱として見立て、また 八尋殿(やひろとの) を見立てなさったのです。故にそのヌホコは後で小山となりました。    第五図   これより次々の図には、天に成坐す   神、地に成坐す神たち、その図に用 があるときのみ挙げて、絵は省く。     三大考には天と地と、この時なお連   なりたる状態に書けるは間違いな   理由は下に記す。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ●この天ッ神の諸々の神々のお言葉で、お二柱の神に、「この国土を固めなされ」と仰せられた時

■第九図及び第十図

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第九図・第十図は図だけを掲載します。 第九図 第十図 (終わり) jundoのヤタの図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■子安宣邦校注「霊の真柱」

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岩波文庫の子安宣邦校中柱の「霊の真柱」を購入しました。 期待していましたが、残念ながら現代語訳でもなく、いつも見ている名著出版の「新修 平田篤胤全集」とほぼ同じ段階でした。 霊の真柱の誰でも読める現代語訳がないのであれば、私がぜひとも忠実な現代語訳を目指します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■現代語訳:霊の真柱(第八図)

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平田国学の宇宙生成論!! 第 八 図 (天照大神・スサノヲノカミ)  「古の伝えに曰わく、ここにイザナギノミコトは「我れは、なんともひどくよごれた穢らわ しい国に行ってしまったことよ。それゆえに、われはこの身の禊ぎをせねばならぬ」と言わ れた。云々・・・。 日向の橘の小門の阿波の原にお出ましになり、禊ぎ払いをなされました。云々・・・。中 のあたりの瀬に降り、水の中に潜って身を洗いすすがれました。その時成れる神の名はヤソ マガツヒノカミ、次にオオマガツヒノカミです。このお二方は、その穢れ繁き国に至った時 の汚れた垢から成り出た神です。 云々・・・。次に、その身に付いた禍を直そうとして成り 出た神の名は、カムナホビノカミ、次にオホナオビノカミ、云々・・・。 さて禊ぎの後に、左の御目を洗いたもうた時に成り出た神の名は、 天照大御神(アマテラス オオミカミ) 、またの御 名はアマテラスオオヒルメノミコト。次に、右の御目を洗いたもうた時に成り出た神の名は、ツクヨミノミコト又の名はタケハヤスサノオノミコトです。 この時、イザナギノミコトはいたく喜んで「我れは、子を生み生みて、生みの果てに二柱 の貴い子を得たことよ」と申されました。その天照大御神は御身から明るい光が輝いて、世 界中を照りとおした。イザナギノミコトは喜んで「我が子はたくさんいるけれども、まだこ んな霊妙な子はなかった。長く地にとどめてはいけない」と申されて、すぐさま、うなじに 掛けた首飾りをはずし、その玉を貫いた緒ゆらゆらと取りゆらかしながら天照大御神に向か って「そなたは高天の原を治めたまえ」と仰せになり、すべてのことを委ねて首飾りを授け られました。この時、天と地はまだそんなに遠ざかってはいなかった。それで天の御柱によ って天上に送り上げられました。云々・・・。 次に、タケハヤスサノヲノミコトに仰せられた。「そなたは、潮が八百に重なる青海原を治 めよ」委ね られました。 ここにハヤスサノヲノミコトだけは、委ねられた国を治めようとはせずに、云々・・・。 哭きわめいて云々・・・。 そこで、イザナギノ大御神は 「いかなる訳があって、汝は我がことを委ねた海原を治め