1943年のアメリカ映画。監督はウィリアム・A・ウェルマン。
第76回アカデミー賞、クリント・イーストウッドが「ミスティック・リバー」でノミネートされた時、
影響を受けた映画としてこの「牛泥棒」の名を出した。自分も周りの友達も当時はこの映画の存在を知らず、
「何だよ、牛泥棒って」と笑ったものだったが、日本未公開のこの映画がこうやってDVDで観れるなんて良い時代になったもんだ。
「昔離れた町に戻ってきたヘンリー・フォンダは、待ってくれてると思っていた女が既に町を離れている事を知りがっくりと肩を落とす。
そこへ町の人間が殺され、牛泥棒をされたという連絡が入り、保安官不在をいいことに町の人間たちが勝手に自警団をつくり、
その牛泥棒を追うことになる。夜、一台の猛スピードで走る馬車を見つけ、牛泥棒と思い追い詰めるが、
それはヘンリー・フォンダが探していた女が乗っていた。よその町で結婚し、報告の為に昔の町に戻るところだったのだ。
こうして何人もの人間が合流して行動するうちに、ついに牛泥棒と思われる3人組の男たちを見つけるのだが……」
あらすじはこんな感じである。
西部劇、そしてヘンリー・フォンダが町に流れ者の様な雰囲気で現れた時点で、一体どんな活躍をするのだろうか、
と期待するのが普通だと思うが、その期待は見事に裏切られる。
そして昔、恋した女が出てきた時点でどんなロマンスが描かれるのだろうか、と想像を膨らませるのもまた普通だと思うが、
これもあっさりと裏切られてしまう。
では一体、この映画では何が描かれているのだろうか?
それは「冤罪」である。
3人の男たちは、牛泥棒呼ばわりされて、自警団に勝手に裁かれることになる。
しかし本当に牛泥棒をやり、町の住民を殺したのか?
証拠も論理も何もない無秩序状態の中で裁きはどんどん進められてしまう。
いわゆる私刑(リンチ)である。
この自警団が出した結論は絞首刑だ。ヘンリー・フォンダはそれに反対し、賛成派と反対派による協議はされることはされる。
ただし本人たちの意見はほとんど聞き入れてもらえない。
最後は一体どうなるのだろうか……すごい話である。
話の内容もすごいのだが、主役であるはずのヘンリー・フォンダが物語の中心に居座る事ができず、
自警団たちに見事にはじかれてしまっているところがまたすごい。
途中で出てきた女とのロマンスらしきエピソードも全く生きることはなく、見ようによっては
騙されてこの映画に出演させられたようにも見えてしまうところがおかしい。
そういえばヘンリー・フォンダは、この映画と正反対のような映画に出演している。
「十二人の怒れる男」だ。フォンダ自身が製作にもかんでおり、まるで「牛泥棒」での鬱憤を晴らすかのような
役どころとなっている点に注目したい。「牛泥棒」の後に「十二人の怒れる男」を続けて観ると、面白さも倍増することだろう。
細かな演出も光るものがある。最後に手紙を読むヘンリー・フォンダは、手前の男が被る帽子のつばで、
目を写さないようになっており、目を伏せることと同様の効果を生み出している。
一点だけ。この映画、オープニングは2人の男が馬でやってくるところから始まる。
するとその前を犬が左から右へ横切るのだ。
ラスト、同じ構図でこの2人は町を去って行く。するとオープニングに出てきた犬が、今度は右から左へと戻って行くのだ。
あきらかにこれは意図ある演出と思われるが、その意図が読めない。元の平和な町に戻った、という記号なのだろうか。
それとも元に戻ったということはまたこういうことが繰り返されるというメタファーなのだろうか。
時間は76分。ちょっと短編を観る程度の時間で相当中身の濃い物語と出会える喜びを感じて欲しい。