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自由からの逃走 新版 単行本 – 1952/1/1
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- ISBN-104488006515
- ISBN-13978-4488006518
- 出版社東京創元社
- 発売日1952/1/1
- 言語日本語
- 本の長さ338ページ
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商品の説明
商品説明
本書はナチズムに傾いていくドイツ国民とそれを先導した独裁者の心理状態を詳細に説明し、人々に「なぜ」を明らかにしている点で非常に興味深い。あの狂気を生んだ悲劇の根源は、「自由」という人類に与えられた恩恵であった。その分析に触れるとき、読者は、本書が今もなお警鐘を鳴らし続けていることに気づくだろう。
自由であることの痛烈な孤独と責任の重さを受け止め、真に人間性の実現といえる自由を希求することなくしては、人類にとって望ましい社会は生まれない。フロムは問う。幸福を追求するために選んだ自由が果たして「本当の自由」といえるだろうか。「選ばされた自由」にごまかされてはいないか。気づかぬうちに他者に対する加害者となっている自分を許してはいないか。
フロムは、個人が生きるその社会の姿を理解することなしに、自由に生きることなどありえないと語る。本書は、国家のあり方という問題に対してだけではなく、現代に生きる個人がその人生を充足させるためにはどう生きるべきかという問題に対する重要なヒントとなっている。(齋藤佐奈美)
著者について
登録情報
- 出版社 : 東京創元社 (1952/1/1)
- 発売日 : 1952/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 338ページ
- ISBN-10 : 4488006515
- ISBN-13 : 978-4488006518
- Amazon 売れ筋ランキング: - 6,771位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 354位心理学 (本)
- - 1,223位ビジネス・経済 (本)
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著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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自由というものは誰しもが求める対象であって、それから逃げるということがあり得るのか?
私はドイツ人と日本人は考え方、民族性として類似している部分が多いなと感じます。
この本に述べられていることは人生を持ってして考察していかなければならないと感じています。
フロムが一貫して主張することは、「~からの自由」(消極的自由)は個人を孤独にさせ、その孤独は無力感を生み、人々は無力感による不安や絶望から逃れるために何かに服従しようとし、結果、自由から逃走してしまうということです。自由から逃走した人々は社会の歯車や自動人形と化してしまうことにフロムは大きな危機感を覚えています。自由になるためには、「~への自由」(積極的自由)を自発的に求めて外界とのつながりを持ち孤独感を解消する必要があるといいます。
本文では無力感に打ちひしがれている人々が、彼らにとって魅力的な隷属への欲望をはねのけ、積極的自由の原動力である自発性を獲得できるかどうかという事には触れておらず、自由からの逃走に対した自由への前進といった内容が豊富でなかったことが残念な点でした。
しかし、自由からの逃走をサディズムとマゾヒズムの共棲関係と関連させて説明したところや、それぞれの社会階級ごとに分けてその性格を述べた内容はとても分かり易く、納得することが出来ました。
フロムの主張に関して身近な例を考えてみると、学校の部活動が思い当たります。部活という時間的束縛から逃れたいと思っていたとしても、もっともらしい理由(例えば帰ったとしてもやることが無いから等)を付けて合理化して、部を抜けた時の孤独感を回避しようとし、他の部員との関係を保つためだけに、もしくは部活という肩書を得て安心するためだけに、結局束縛を甘んじて受けることはフロムの消極的自由の回避のメカニズムを象徴しているように思います。
この例からも、私たちのごく身近にも服従の心理が働いていることが分かります。この本は、日々の生活を省みて「自由から逃走してはいないか」と自分自身に問いかけるきっかけになると思います。
以前から読みたいと思っていた本書を、ようやく読むことができました。
そもそも自由とは何かという問いがあるかと思いますが、これに対しての自分なりの答えは、「思想の自由」です。もちろん、他人に迷惑をかけないレベルのものであるべきことは、間違いありません。
本書には、中世から近代までの歴史の流れを踏まえて、何故人間が自由から逃避してしまいがちなのかが簡潔に説明されています。現在生活しているヨーロッパでは、こちらの人は個人主義であることをよく感じさせられますが、実は中世ではそうでなかったということは、私にとっては多少なりとも驚きでしたし、仕事の責任区分等が明確にされているのも、実は個人の仕事の領域をきちんと守る目的なのだろうなと感じました。これはある意味、中世のギルドの様な制度であるともいえます。
宗教改革についての記述も、とても興味深かったです。ルターとカルヴァンの宗教“改革”という思想に釣られた結果、当時の社会が陥ってしまった問題。このくだりを読んだ際に思い出した言葉が、ブッダの「牽引する者(妄執)にとらわれてはならない」でした。
他、サディズム・マゾヒズムに関する記述や、第二次世界大戦に関する記述もとても興味が持てました。
フロムが主張するのは、個人ひとりひとりが精神的に大人になることの重要性であり、それによって成熟した社会となる(本著の表現では、人間が社会を征服する)ということなのですが、これには100パーセント同意できます。
やはり人間である以上、経済的にも不安定な状態で、かつ、帰属する場所がない状況で強くいられるかというと、なかなか難しいということもあると思うのですが、そのような時こそ自分自身と真剣に向き合い、社会との関わり方に関しても考えるべきなのだと感じました。
ただ、個人の積極的な活躍みたいなもの、例えば、自分がやりたいことを見つけてそれに向かって努力するみたいなものが果たして本当に必要なのかどうかは、今の私にはわかりません。私には、本著の最終章あたりには、それが大事であるみたいなことが書かれているように感じられましたが、良い意味で悟る(そして、諦める)ということは、これとは多少異なるものであるのではないかと感じますし、そのような人は、例えば、「牽引する者にとらわれ」るとは考えにくいです。
私もまだ40代中盤の未熟者であり、そう言った意味で、色々なことを考えさせてくれた本書に出会えて良かったです。
今の時代に限らず、深い人間理解に基づいたロングセラーなのにもったいない。
内容がしっかりしてるんだから、こんなナウい感じのカバーじゃなくてもっと堂々と自信のある本の作りにしてほしかった。
デザインの好みは個人差あるだろうけど。
その問いに対して、どう生きていくかを、ぼんやりながらも指し示してくれるバイブル