戦火のかなた [DVD]
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フォーマット | ドルビー, ブラック&ホワイト |
コントリビュータ | ロベルト・ロッセリーニ, ハリエット・ホワイト, カルメラ・サツィオ, ドッツ・M・ジョンソン, ロベルト・ヴァン・ルーン, アルフォンジーノ・パスカ |
言語 | イタリア語 |
稼働時間 | 2 時間 6 分 |
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商品の説明
1946年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞
1946~47年イタリア銀リボン監督賞・脚本賞・音楽賞
1948年ニューヨーク映画批評家賞最優秀外国映画賞
1948年ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀映画賞
1949年キネマ旬報外国映画ベストテン第1位
戦場の真っ只中に民衆と連合国兵士の生々しい人間同志の交流
イタリアン・リアリズムの開花
第2次世界大戦末期、連合軍はドイツ軍を追ってイタリア半島を北上した。連合軍兵士とイタリア民衆が交流する6つのエピソードを通じて、ロッセリーニらはストーリー性を排し、数か月前に起きた戦場の真実を、生々しく荒々しくリアルにフィルムに移し替えた。戦争の悲惨は凄じいの一語に尽きる。ひそかにシチリア島に上陸した若い米軍斥候兵と村娘の束の間の友情は狙撃兵の銃弾に飛び散る。ナポリで黒人憲兵は靴を盗んだ少年の家へ取り戻しに行き、あまりに悲惨な生活に声も出ない。ローマでは酔った兵士と拾った娼婦の皮肉な再会と別れ。フィレンツェの野戦病院で働く英軍看護婦は、市街戦の真っ只中に抵抗組織の恋人を探しに行く。山の修道院に宿を乞う3人の米軍従軍僧が、かたくなな修道僧たちとの宗教上の対立。北イタリア、ドイツ軍は抵抗組織の運動員の手足に石をくくりつけ、生きながらポー河へ突き落とす。戦争が終わる数週間前の出来事である。出演者は素人。無名時代の若きフェリーニが脚本を書き、助監督として協力した。
日野康一
STAFF
監督:ロベルト・ロッセリーニ
助監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:セルジオ・アミディ
共同脚本:ロベルト・ロッセリーニ/フェデリコ・フェリーニ/クラウス・マン/ヴィクター・ヘインズ/マルチェッロ・パリエロ
撮影:オテロ・マルテッリ
音楽:レンツォ・ロッセリーニ
CAST
【第1話 シチリア】
カルメラ・サツィオ/ロベルト・ヴァン・ルーン/カルロ・ピザカーネ
【第2話 ナポリ】
ドッツ・M・ジョンソン/アルフォンジーノ・パスカ
【第3話 ローマ】
マリア・ミキ/ガー・ムーア/ロレーナ・ベルグ
【第4話 フィレンツェ】
ハリエット・ホワイト/レンツォ・アヴァンツォ/ジュリエッタ・マシーナ
【第5話 修道院】
ウィリアム・タブス
【第6話 ポー河流域】
デール・エドモンズ/チゴラーニ
1946年 イタリア作品
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : イタリア語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4933672236711
- 監督 : ロベルト・ロッセリーニ
- メディア形式 : ドルビー, ブラック&ホワイト
- 時間 : 2 時間 6 分
- 発売日 : 2009/2/20
- 出演 : カルメラ・サツィオ, ロベルト・ヴァン・ルーン, ドッツ・M・ジョンソン, アルフォンジーノ・パスカ, ハリエット・ホワイト
- 字幕: : 日本語
- 言語 : イタリア語 (Mono)
- 販売元 : IVC,Ltd.(VC)(D)
- ASIN : B001O8ORAQ
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 74,339位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 523位外国の戦争映画
- - 5,912位外国のアクション映画
- - 6,888位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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1. シチリア編
2. ナポリ編
3. ローマ編
4. フィレンツェ編
5. 修道院編
6. ポー河流域編
としておく。本作の特徴は既成の俳優を使わずに出演者には素人ばかりを起用して、完膚なきまでのドキュメンタリー・タッチで製作していること。さらに各物語には「湿った」ところが微塵もなくて、劇中の登場人物はもちろん観客も予想し得ない、身も蓋もなく突き放すようなエンディングが待ちかまえていること。たとえばシチリア編ではドイツ兵に狙撃された米軍の兵士の仇を討とうとして、案内役の娘がドイツ兵たちに襲いかかるがもちろんあっさりと返り討ちに遭う。事情を知らない米軍の本隊が現場に戻ってもドイツ兵たちはもういないし、米軍兵士も死んでいるし、娘もいないので(彼女は殺されて海に捨てられている)、米軍たちは元々反抗的であった娘が兵士を殺して逃げたと勘違いしたところで物語は突然終わる、という具合。
6編は何れも優れたものばかりであるが、特に6は痛切である。米軍兵士は捕虜になってからもジュネーヴ条約を順守するドイツ軍指揮官に厚遇され、お酒をふるまわれたりするが、イタリア人のパルチザン兵士はゲリラゆえにあっさり殺されるというコントラストが余りにも切ない。ラストシーンにこれらパルチザン兵士たちの処刑場面をもってきたことにより、本作の反戦メッセージはより痛烈になった。ただし本作には反戦を声高に叫ぶ人は出てこないし、そういったあざとい演出も皆無。それ故に反戦メッセージが強烈に浮かび上がってくるのだが、わが国の左翼系の演出家諸氏もこの辺をキチンと見習っては如何か?
さらに余談ではあるが3の冒頭で、ローマから撤退する本物のドイツ軍の部隊が映し出されるが、兵士たちの装備、そして兵員輸送用装甲車、ハーフトラック、四号戦車のバリエーション(名前忘れ)、75mm対戦車砲など、もちろんすべて本物である。元ミリタリーマニアとしてはヨダレが出る映像であります。
最後にこのDVDの画質は白いチリチリが万遍なく出ているし、白黒のコントラストもメリハリがなくてハッキリ言って良くありません。しかも米軍兵士の英語のセリフに対してイタリア語の字幕が画面下に時々出るので、画面右側の日本語字幕と重なると、字幕だらけで鬱陶しいです。より高画質の版をご存じの方がいらしたら、ご教授いただければ幸いです。
渋いイタリア戦の映画といえば、“無防備都市”や“○○将軍”(←作品名ど忘れ)などがありますが、この映画はオムニバスということもあって、短編小説を読むがごとく小気味よく-時には悲しみを湛え-緩急よく話が展開し、作品を追う度に幾つかの微笑や涙、悲哀に出会うことができるでしょう。娼婦の話、黒人兵と少年の交流、フィレンツェでの激戦…そして、ポー川での凄惨かつ無慈悲なパルチザン戦…。
モノクロのせいもあって心に残る佳品の一つとなっています。
作品の背景とか、歴史的要素を含むとこういう高評価になるのかな。
私にはわからない。
例えば、ポー河畔の第6話。
・・・捕虜となったイタリア人ゲリラに酒をついでやるドイツ軍兵士。貧しく厳しい故郷の田舎の現実を語り、ナチスが何故必要なのかを静かに話しかける。
そして翌日、命令のままに、ゲリラを後ろ手に縛り河に放り投げる。灰色の波紋が緩やかにどこまでも拡がり、そしてその数ヶ月後戦争は終わりをつげる・・・
ロッセリーニは他者を、他者として見続けようとする。それがリアリズムの重い宿命であり意味でもある。
ロッセリーニ、戦争三部作の第二作目。
ハリウッド資本の作品などとは全く雰囲気が違い
敗戦国イタリアの戦時中の複雑な状況がわかります。
関連のないいくつかの戦争話が語られていますが、
アメリカの豊かな従軍牧師たちが古い修道院に来ると
最初は好意的だった修道士たちが異教徒がいると わかったとたん
断食するというパートが一番面白かったです。
1946〜47年イタリア銀リボン監督賞・脚本賞・音楽賞。
1948年ニューヨーク映画批評家賞最優秀外国映画賞。
1948年ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀映画賞。
オムニバス形式で、戦時中と戦後まもなくのイタリア全土を、多角的に描きます。
第1話シチリア、第2話ナポリ、第3話ローマ、第4話フィレンツェ、第5話山岳地帯の修道院、第6話ポー河流域です。
特に感銘を受けるのは、第2話、第3話、第6話です。
ほとんど素人ばかりを使い、リアリズムにのっとった演出をしています。
ドキュメンタリーを思わせるような、生々しい迫力に満ちています。
前作「無防備都市」と同じく、この作品でも、フェリーニが脚本と助監督をがんばっています。
この時期のロッセリーニとフェリーニの共同作業は素晴らしいと思います。
この「戦火のかなた」は、ロッセリーニ自身が特に好んでいた一本として知られています。
日本では、1949年キネマ旬報外国映画ベストテン第1位に輝きました。
「無防備都市」と「戦火のかなた」の2本は、世界的に興業が成功しましたが、
次の「ドイツ零年」が失敗し、それ以降ロッセリーニ映画は「当たらない」ものになっていきます。
この作品は、「当たっていた」時期の貴重な記録といえます。
個人的な好みでいえば、「無防備都市」と「ドイツ零年」の方が好きですが、
この「戦火のかなた」も、世界映画史上の偉大な名作だと思います。
ドキュメンタリー・タッチの六話構成で描いた作品。
私が特に印象的だと思ったのは「第五話修道院」で、山の修道院を訪れた三人の米軍大尉(従軍牧師)は
一夜の宿を乞う。だが、その修道院は貧しく三人分の夕食さえも賄う余裕はなかった。
それを察してか、三人は持参した食料品の缶詰を夕食に使うよう提供する。
修道僧達は文明の恵みに感心するが、修道院500年の歴史の深さに従軍牧師達も感慨深げであった。
そこに、ある会話の一端から、三人の中にユダヤ教とプロテスタントの牧師が含まれていることが判明、
修道院は俄かに騒然となる。
この宗教上の対立問題にロッセリーニはどんな結末を用意したのであろうか?