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人生と陽明学 (PHP文庫) 文庫 – 2002/6/1
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本書は、東洋学の泰斗として今なお多くのファンを持つ著者が、身近な事例を引きながら、日本陽明学の叡智を人生に活かす思索・実践について論じつくした講話録。中江藤樹・佐藤一斎・大塩中斎・熊沢蕃山らの著作・言行などから、混迷の現代日本を確固たる自己をもって生きる上での様々な知恵が示されている。PHP文庫だけのオリジナル編集版。
- 本の長さ253ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2002/6/1
- 寸法10.5 x 2.5 x 14.8 cm
- ISBN-104569577199
- ISBN-13978-4569577197
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出版社より





商品の説明
商品説明
陽明学の始祖である王陽明は、中国・明代の後半に世に出ている。著者は当時の状況を、皇帝の側近である宦官がはばをきかせて政治は衰退し、学問・教育は「立身出世のための功利的学問・暗記型の生命のない主知的学問」に堕していたと指摘。「そういう中にあって厳として、失われた道徳を回復する、真の人格をつくってゆく、という意味で真の聖賢の学問、身心の学を講じた」のが王陽明だと論じている。さらに、陽明学の代表的教学『伝習録』の「抜本塞源論」から、「功利的な考えを捨てて、かなわずと雖も自ら発奮して、身を以て事に当たるより外にない」という思想の神髄を読み解いたりしている。陽明学がどんな時世に、いかなる力を人に与えるかという点はじつに興味深く、現代の日本の精神状況への大きな衝撃になることが実感できる。
また本書では、王陽明から学問を受け継ぎ、日本陽明学として発展させた江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、大塩中斎、森田節斎、岡村閑翁などの人物にも光が当てられている。それぞれが陽明学どう学び、実践したかが多彩なエピソードから述べられており、陽明学をもって時代を生きることがいかなることなのかを教えてくれる。「警世」の意味を離れても、強い自覚や実践を促す陽明学は、個人の生き方へのよきヒントになる。(棚上 勉)
出版社からのコメント
啾啾吟
王陽明の源流―青年哲人文中子
「言志四録」
現代と大塩中斎
中江藤樹・熊沢蕃山と今後の学問
森田節斎とその交友
生駒の大儒・岡村閑扇
著者について
登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2002/6/1)
- 発売日 : 2002/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 253ページ
- ISBN-10 : 4569577199
- ISBN-13 : 978-4569577197
- 寸法 : 10.5 x 2.5 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 147,361位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 17位中国の中世・近代思想
- - 60位中国哲学
- - 69位中国の思想(一般)関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について

明治31年大阪市生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。昭和58年12月死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『洗心講座―聖賢の教えに心を洗う』(ISBN-10:4884748980)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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非常に良い本です。
正に私にとって、著者を知ったことは縁尋の機妙である。
著者が大学を出ると同時に出した本が『王陽明研究』であり、本著はその著者が陽明学を語っているのだから面白くない訳がない。
本著は陽明学を説明するのに、その著を紐解いているだけではなく、陽明学に学んだ日本の過去の人物、佐藤一斎、大塩中斎、熊沢蕃山、森田節斎等の説明も行い、山を説明するにいろいろな角度、時間からの写真を以て説明するような方法を取っている。
陽明の教学を最もよく代表するものは、何と言っても『伝習録』であり、その中巻に「顧東橋に答ふる書」というのがあり、これが所謂「抜本塞源論」だと。
曰く、「抜本塞源とは、退廃・混乱の時期になると、徒に枝葉末節にこだわって論じ合っておっても、何にもならない。それよりも先ず病弊の由って来る根本を抜いて。その源を塞ぐことを考えねばならぬ」「他人の褌で相撲を取ろうといった様な、安易な、功利的な考えを捨てて、かなわずと雖も自ら奮発して、身を以て事に当たるより外にない」「他人は如何にもあれ、俺は俺でやるのだという人物が出て来なければ、到底世の中は救われない」。
著者の目指しそして実践してきた生き方でもあるのであろう。
『人生と陽明学』(安岡正篤著、PHP文庫)を読んで、意外の念に打たれました。もっと高踏的な論調を想定していたのに、何とも親しみ易い語り口だったからです。本書が講話集ということが影響しているのでしょう。
陽明学の祖・王陽明と、日本陽明学の祖・中江藤樹とその流れを汲む人々の事績が簡潔に語られていますが、とりわけ興味深いのは、王陽明、中江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、大塩中斎(平八郎)、山田方谷についての部分です。
「陽明の教学を最もよく代表するものは、何と言っても『伝習録』であります。・・・その『伝習録』の中巻に『顧東橋に答ふる書』というのがありまして、これが所謂『抜本塞源論』というものであります。・・・本文は顧東橋の質問に答えられたもので、最後に結論とも言うべきものが書かれてある。これは誠に堂々たる文章でありまして、天下の名論『伝習録』中の傑作として、古今に有名なものであります」。陽明の「本(もと)を抜き、源を塞ぐ」は、このように説明されています。「人間は、人や物によって、他によって、平たい言葉で言えば、他人の褌で相撲を取ろうという様な、安易な、功利的な考えを捨てて、かなわずと雖も自ら奮発して、身を以て事に当たるより外にない、ということを力説しておるのであります」。
陽明に対する安岡の敬慕の念が全篇に溢れています。「よくもあの病躯を引っ提げて、あの艱難辛苦を極めた経歴の間にあれだけの学問・講学が出来たものであります。彼の文を読み、詩を読み、門弟達との間に交わされた問答や書簡を読み、或いは政治に対する建策、匪賊討伐の際の建白書といったものを読みますと、本当に何とも言えぬ感激に打たれるのでありまして、人間にこういう人がおるのか、又人間はこういう境地にあってこういうことが出来るものか、ということをしみじみ感じます」。
「陽明先生の生涯を通じて最もうたれることは、真剣に身心の学問・求道に徹した人だということであります。それが先生の天稟を養って、学問に於て、教育に於て、行政に於て、或いは軍政・軍略に於て、行くとして可ならざるなしというような自由自在の驚嘆すべき業績となっておる。しかも先生自身は左様な天賦や事績を何とも思っておらない」。
陽明が弟子に与えた手紙に見える「山中の賊を破るは易し。心中の賊を破るは難し」という言葉が胸に響きます。
「藤樹先生、蕃山先生を追想致しまして、なによりも先ず気のつくことは、先生達がいかに真剣に学ばれたかということであります。・・・先生方の性命を打ち込んでされた学問というものは、決して外物を追う、単に知識を得る、或いは資格を得る条件にする、というような功利的目的のためではない。その最も大切な意義は、自分が自分に反(かえ)る、本当の自分を把握するということであった。自分というものをはっきりつかんで、自分の本質を十分に発揮するということであったわけであります」。
藤樹が特に重んじた「敬」については、こう解説されています。「敬という心は、言い換えれば少しでも高く尊い境地に進もう、偉大なるものに近づこうという心であります。従ってそれは同時に自ら反省し、自らの至らざる点を恥ずる心になる。省みて自ら懼れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく。偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰ぎ、これに感じ、憧憬(あこが)れ、それに近づこうとすると同時に、自ら省みて恥ずる、これが敬の心であります」。
読み終わって、一度、直に安岡の講話を聴きたかったなとしみじみ思いました。