まず読んでいて非常に面白い。ラディカルな社会変革に対するレーニンの「情熱」が、
手に汗握るがごとく、直截に伝わってくるからだ。
本書を「帝国主義論」と同じ土俵で評価しようとするのは、
例えば文学者志望だったマルクスの書いた詩と資本論を比較するのに似て、無益に等しい。
本書は、今あるこの社会あるいは世界に対し「なんかオカシイよね」と、
本当に感じることの出来る人なら、一度は手に取ってみるべき必読の古典だと思う。
いわゆる社会主義国家は、確かに歴史的には失敗だった。
中国もベトナムも、今や経済体制は、周知のごとく資本主義である。
彼らが社会主義(≒共産主義)の高邁な理想から、無惨にも頽落してしまったのは、
人間存在の限界を仄めかし、その行く末を暗示するような、
悲しく恐ろしい現実と言うべきだろうか。
社会主義あるいは共産主義が、本来何を目指したものだったのか、
人間と人間社会をどう変革しようとしたものなのか、答えられる人、
そして真摯に知ろうとする人は、
資本主義社会の支配層が、保身と既得権にまつわる矮小な盲目的欲望と
「洪水よ我が後に来たれ」に収斂する資本主義的自滅の原理に基づき、
被支配層抑圧のシステム構築とそのメンテナンスに余念のない現実社会において、
驚くほど少ない。
無知のまま、失敗だったから「悪」であるという野狐禅的な諦観にひたるのは、
あまりに無気力無責任にして、短絡的にすぎるだろう。
階級社会は格差社会に名を変えて、眼に見えないカタチで、
あるいは変幻自在に、未だ獲物を侵食中である。
帝国主義戦争は、巧妙に見た目をメタモルフォーゼしつつ、、
全世界で蠢動し続けており、列強大国は「超」が付こうが付くまいが、
弱小後進国家の生き血を啜る搾取によって、パワーを維持し続けようとするその本質において、
依然として列強大国のままである。
割を食うのは、自覚的だろうと無自覚だろうと、いつも「弱者」であり「支配される側」なのだ。
「国家の死滅」。
人間社会の究極の理想の実現に、全身全霊を賭して果敢に挑んだ、
類まれなるひとりのロシア男の言い草を、一度は噛みしめてみることが、
滅亡をゴールとする、強者に導かれた資本主義的現実の諸矛盾を破砕する、
端緒とならんことを‼
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国家と革命 (講談社学術文庫) 文庫 – 2011/12/13
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「民主主義を徹底せよ。それが死滅するまで!」
世界を震撼させたロシア十月革命。
その指導者レーニンによる革命権力マニフェスト。
論争と実践の書でありながら国家とは階級支配機関だという一線を譲らず、代議制の欺瞞を暴き立て、直接民主主義の徹底を訴えてあらゆる妥協論を弾劾する。
理論と実践が完全に統一されているかのような口ぶりは、原則を忘れたい我々をおびやかす。
歴史的挑発の書。
世界を震撼させたロシア十月革命。
その指導者レーニンによる革命権力マニフェスト。
論争と実践の書でありながら国家とは階級支配機関だという一線を譲らず、代議制の欺瞞を暴き立て、直接民主主義の徹底を訴えてあらゆる妥協論を弾劾する。
理論と実践が完全に統一されているかのような口ぶりは、原則を忘れたい我々をおびやかす。
歴史的挑発の書。
- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2011/12/13
- 寸法10.8 x 1.2 x 14.8 cm
- ISBN-104062920905
- ISBN-13978-4062920902
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商品の説明
著者について
レーニン
1870年~1924年。本名はウラジミール・イリイッチ・ウリヤノフ(Владимир Ильич Ульянов)。ロシア社会民主労働党の分派・ボリシェビキの指導者として独自の国家論と党組織論を展開した。第一次大戦に際して自国を支持した社会主義者たちを論難し、戦争を内乱に転化することを唱える。1917年にはロシア10月革命を指導して、ソビエト政権を樹立した。著書に『唯物論と経験批判論』『帝国主義論』『何をなすべきか?』など。
角田 安正
(つのだ やすまさ)
1958年、山口県生まれ。1983年、東京外国語大学大学院地域研究研究科修士課程修了。1994-96年、在ロシア日本国大使館専門調査員。防衛大学校助教授を経て、同大学校教授。ロシア地域研究専攻。訳書に、レーニン『帝国主義論』(光文社2006)、ルース・ベネディクト『菊と刀』(光文社2008)、ジョン・ロック『市民政府論』(光文社2011)がある。共訳書には、クライスティア・フリーランド『上からの革命:ソ連体制の終焉』(新評論2004)、アーチー・ブラウン『ゴルバチョフ・ファクター』(藤原書店2008)。共著に加藤朗編『脱冷戦後世界の紛争』(南窓社1998)がある。
1870年~1924年。本名はウラジミール・イリイッチ・ウリヤノフ(Владимир Ильич Ульянов)。ロシア社会民主労働党の分派・ボリシェビキの指導者として独自の国家論と党組織論を展開した。第一次大戦に際して自国を支持した社会主義者たちを論難し、戦争を内乱に転化することを唱える。1917年にはロシア10月革命を指導して、ソビエト政権を樹立した。著書に『唯物論と経験批判論』『帝国主義論』『何をなすべきか?』など。
角田 安正
(つのだ やすまさ)
1958年、山口県生まれ。1983年、東京外国語大学大学院地域研究研究科修士課程修了。1994-96年、在ロシア日本国大使館専門調査員。防衛大学校助教授を経て、同大学校教授。ロシア地域研究専攻。訳書に、レーニン『帝国主義論』(光文社2006)、ルース・ベネディクト『菊と刀』(光文社2008)、ジョン・ロック『市民政府論』(光文社2011)がある。共訳書には、クライスティア・フリーランド『上からの革命:ソ連体制の終焉』(新評論2004)、アーチー・ブラウン『ゴルバチョフ・ファクター』(藤原書店2008)。共著に加藤朗編『脱冷戦後世界の紛争』(南窓社1998)がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2011/12/13)
- 発売日 : 2011/12/13
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 296ページ
- ISBN-10 : 4062920905
- ISBN-13 : 978-4062920902
- 寸法 : 10.8 x 1.2 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 49,073位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 115位講談社学術文庫
- - 647位社会一般関連書籍
- - 1,017位その他の思想・社会の本
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年3月7日に日本でレビュー済み
2017年3月6日に日本でレビュー済み
レーニンの本質、その革命理論は非常に単純だ。
殺せ!殺せ!ぶち殺せ!容赦無く殺せ!
腹をかっさばけ!首を斬り落とせ!
即断でぶっ殺せ!情け容赦なく殺せ!
であった。
これは富農(クラーク)のような反革命に遺憾なく発揮された。
まさに、これこそ革命である。
殺せ!殺せ!ぶち殺せ!容赦無く殺せ!
腹をかっさばけ!首を斬り落とせ!
即断でぶっ殺せ!情け容赦なく殺せ!
であった。
これは富農(クラーク)のような反革命に遺憾なく発揮された。
まさに、これこそ革命である。
2018年7月24日に日本でレビュー済み
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『国家と革命』は共産主義思想の理解のためには必読の文献です。但し、批判的に読む必要があります。
その意味で、「訳者あとがき―解説に代えて」はマトモで良いのですが、白井聡氏の「解説」はいけません。講談社の担当はマルキストなのでしょうか。
白井氏の論理を要約すれば、ロシア革命とソ連国家(の脅威)のお蔭で、資本主義国家は修正資本主義となり、富の分配の平等化、社会福祉の実現など(社会主義革命の果実)を得ることが出来た。従って、社会主義革命は偉大であったというものである。ここでは、社会主義革命によって犠牲となった人民は一顧だにされていません。
白井氏には、1991年6月エリツィン・ロシア大統領の発言(抜粋)を送りましょう。「共産主義の実験は、我々の祖国で開始されたが、結局のところ、マルクス主義の理論など存在する余地がない(誤りであった)ことが立証された。この理論は、我々を世界の文明国が辿った道から踏み外させただけである。」「共産主義は、ロシアのみならず人類全体の悲劇であり、全人類の歴史における最大の悲劇であった。」
その意味で、「訳者あとがき―解説に代えて」はマトモで良いのですが、白井聡氏の「解説」はいけません。講談社の担当はマルキストなのでしょうか。
白井氏の論理を要約すれば、ロシア革命とソ連国家(の脅威)のお蔭で、資本主義国家は修正資本主義となり、富の分配の平等化、社会福祉の実現など(社会主義革命の果実)を得ることが出来た。従って、社会主義革命は偉大であったというものである。ここでは、社会主義革命によって犠牲となった人民は一顧だにされていません。
白井氏には、1991年6月エリツィン・ロシア大統領の発言(抜粋)を送りましょう。「共産主義の実験は、我々の祖国で開始されたが、結局のところ、マルクス主義の理論など存在する余地がない(誤りであった)ことが立証された。この理論は、我々を世界の文明国が辿った道から踏み外させただけである。」「共産主義は、ロシアのみならず人類全体の悲劇であり、全人類の歴史における最大の悲劇であった。」
2008年1月30日に日本でレビュー済み
本書『国家と革命』が著されたのは1917年、第一次世界大戦時のことである。西欧各国における社会主義者たちがナショナリズムの虜となり、総力戦の遂行に熱狂的に協力していたことに対する危機感が行間に読み取れる。
レーニンの批判は何よりもまず、マルクスの思想がカウツキーをはじめとする西欧の社会主義者たち(レーニンは「日和見主義者」とか「社会主義的排外愛国主義者」と呼ぶ)によって歪曲され矮小化されている点に向けられる。西欧の社会主義者たちに見られる、マルクスを語りつつ議会制民主主義の枠内における平和的改革を唱える傾向に対し、レーニンは徹底的にマルクス及びエンゲルスの著作を参照し、マルクスの革命観、国家観を読み解くとともに、西欧の社会主義者たちがいかにマルクスを曲解しているかを明らかにする。レーニン曰く、国家とは階級間の抜きがたい対立の産物であり、抑圧された階級を搾取する道具以外の何者でもない。そして、暴力革命による国家の廃止以外に道はないにも拘らず、西欧諸国の社会主義者たちは、「資本主義のもとでぬくぬくした場所に収まっており」、「ブルジョアジーに対抗して革命推進の立場から人民を指導するという役割を放棄している」という。
レーニンの主張は至極クリアーであり、訳も悪くない。ソ連という20世紀の世界を二部した超大国を内在的に理解しようとするならば、まずはソ連を生み出した革命の思想と論理をきちんと知ることが不可欠である。本書は『帝国主義』とともに、必読の古典だといえる。
レーニンの批判は何よりもまず、マルクスの思想がカウツキーをはじめとする西欧の社会主義者たち(レーニンは「日和見主義者」とか「社会主義的排外愛国主義者」と呼ぶ)によって歪曲され矮小化されている点に向けられる。西欧の社会主義者たちに見られる、マルクスを語りつつ議会制民主主義の枠内における平和的改革を唱える傾向に対し、レーニンは徹底的にマルクス及びエンゲルスの著作を参照し、マルクスの革命観、国家観を読み解くとともに、西欧の社会主義者たちがいかにマルクスを曲解しているかを明らかにする。レーニン曰く、国家とは階級間の抜きがたい対立の産物であり、抑圧された階級を搾取する道具以外の何者でもない。そして、暴力革命による国家の廃止以外に道はないにも拘らず、西欧諸国の社会主義者たちは、「資本主義のもとでぬくぬくした場所に収まっており」、「ブルジョアジーに対抗して革命推進の立場から人民を指導するという役割を放棄している」という。
レーニンの主張は至極クリアーであり、訳も悪くない。ソ連という20世紀の世界を二部した超大国を内在的に理解しようとするならば、まずはソ連を生み出した革命の思想と論理をきちんと知ることが不可欠である。本書は『帝国主義』とともに、必読の古典だといえる。
2005年10月8日に日本でレビュー済み
レーニンの主著であるこの本は国家とは何か、革命とは何かを丹念に説明されています。レーニンの思想が再認識される近頃、是非、この本を読んでレーニンの目指していた物は何なのか、レーニンの誤りは何処にあったのかを考え直すためにも読まれて然るべき本だと思います。訳者による解説は少々誤った部分があるが、「官僚制の部分はレーニンのそれとは違うような気がする。丹念に読めば判るのに」その部分は読まなくても充分レーニンの息吹を得ることが出来ます。
2001年12月19日に日本でレビュー済み
私は、この社会主義者のバイブルとも言える「国家と革命」を読んで、一番、心に残ったのは「なぜ革命は必要なのか」がよくわかる。多分これを読み始めた人は何回でも繰り返して読むと思う。
2015年1月22日に日本でレビュー済み
敗北主義のwikipediaを読んだが、ボルシェビキレーニンは対外的に第一次世界大戦を拒否敗北し国内ロシアを革命する、とあり冷戦崩壊後失われた10年20年と評論される日本は対内的に国内を拒否敗北し海外世界を革命する、これは無味無臭なSGIではないのか?今太閤田中角栄元首相のロッキード事件の公判手続きや娘眞紀子氏がアメリカに父が消されたと言うが…ロッキード社はイタリア政界他日本以外にも航空機売り込みの為に金銭を配っていた…
2018年4月29日に日本でレビュー済み
本書は1917年の8-9月に書かれたもので、本来は未完の1905年と1917年のロシア革命の経験が主体であるはずであった。これが1917年の十月革命によって果たされなかった。本書は第一次世界大戦とロシアの関係という歴史的背景に対するレーニンの思想という科学的な読み方をするべき内容。本書を読み進めていくと、この時点でマルクスとエンゲルスの書かれたものは聖典のように扱われており、彼らの書かれたものを多様な人物が自分の思想に合わせて引用し、自らの思想を正当化するのに使っている印象である。「帝国主義論」でレーニンは、マルクスが「資本論」で書き得なかった帝国主義の構造を解き明かしたが、本書では、マルクス(「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」、「フランスの内乱」)やエンゲルス(「家族・私有財産・国家の起源」)のいくつかの書物、の重箱の隅をつついて。彼らが強調していない暴力による革命こそ、真のマルクス主義であると提唱し暴力を肯定しているのはいただけない。それでは、レーニンが暴力主義者であるかというと、そうではなく、本書でも「民主主義は、少数者が多数者に服従することを承認する国家、すなわち、一階級の他の階級に対する、住民の一部分の他の部分に対する、系統的な暴力行使のための組織なのだ。我々は、国家の廃絶を、すなわち組織された系統化されたいっさいの暴力の廃絶を、人間一般に対するいっさいの暴力の廃絶を、究極の目標としている。」としている。ここで本書を読んだり引用したりする時に大切なのは、本書でレーニンは「民主主義」と「国家」という言葉を今日一般に使われている意味では使っていないという点である。すなわち国家は特定の階級の支配機関であり「国家は階級支配の機関、一つの階級が他の階級を抑圧する機関、階級衝突を緩和しつつ階級抑圧を合法化し確固たるものにする「秩序」の創出そのものなのだ」と定義している。レーニンは「国家とはそもそも、闘争において、革命において、敵を暴力的に抑圧するために採用される過渡的な制度に他ならない」と書いているように、一時的な暴力の使用が当時必要であるという思想である。これはロベスピエールらが恐怖政治時にとったスタンスと似ており、(レーニンを利用し)スターリンの永続化した暴力の正当化につながったとみることもできるだろう。ただこの時代はイギリスとドイツが第一次世界大戦を争っており、「“権力の奪取”がカウツキーらの日和見主義者に何千という逃げ道を残しておくように大衆は吹き込まれ、これによる問題の歪曲と黙殺は、帝国主義的競争の結果として強化された軍機関をもつ諸国家が、軍事的怪物に転化して、イギリスとドイツの金融資本の争いに決着をつけるために、幾百万の人間を皆殺しにしつつあるとき、巨大な役割をはたさすにはいなかった」とレーニンは本書の終わりに書いている。つまりは革命で流れる以上の血が流れていた時代に、これを妥協を許さない姿勢を貫くことに意味があるというのがレーニンのこの時点でのスタンスである。レーニンは、「“粉砕された国家機構を何によって置き換えるか”という問題に対して、マルクスは1847年の共産党宣言のなかで課題が指示されているだけで、その解決方法は支持されていなかった」としているが、この後の章で、革命後の社会がどうあるべきかを書いているが、この部分は「帝国主義論」にみられた科学的思考は明らかではなく一部は空想的である。つまり、「郵便事業は社会主義経営の見本。こんにちの郵便事業は国家資本主義的独占の型にのっとって組織された経営である。そして帝国主義は、しだいにあらゆるトラストをこの種の型の組織に転化させつつある。社会的運営のメカニズムは、ここではすでに出来上がっている。国民経済全体を郵便事業のように組織することが我々の当面の目標である。」というあたりは、「帝国主義論」で書かれていたことに一致する。ここでは「経済的諸前提は、まず、だれでも読み書きできること。次に、郵便、鉄道、大工場、大商業、銀行等々の大規模で複雑な社会化された機関によって、幾百万という労働者が「教育と訓練」を受けること。このような全人民的な計算と統制の網の目をのがれることなど、信じられぬほど困難で、きわめてまれな例外とでも言えるものになるのは必定」とレーニンはしており、このあたりも納得はできるところである。ところが、これをプロレタリアートが「計算と統制を自主的におこなうとき」、統治は単純化され、読み書きのできる人間ならだれにでもできる監督と記帳、算術の四則の知識といった程度の作業になり」、「管理と経理の機能がすべての人によって順番に遂行される」としているあたりは、長年かけて構築された網の目のような社会的運営のメカニズムが簡単な計算ができるすべての人の持ち回りでできるということを言っており現実味はない。政治についても同様で革命を暴力によって既存のシステムを一掃した後は、「労働者は政権を掌握するや、古い官僚機構を粉砕し、新しい機構で置き換える。すべての人が統制と監督の機能を遂行し、すべての人がある期間「官僚」となる」としており、これも実現のための現実的な提言はなにもない。しかし、こういった空想的とも思えるレーニンの思想は、彼の人類に対する信頼に基づくものであるであろうことは、彼の次の共産主義の未来に関する記述でわかる。「共産主義に成長転化すれば、人間は、暴力なしに、服従なしに、社会生活の根本的諸条件を遵守する習慣がついてくるだろう」「公共生活の規則を破る不法行為の社会的根源は、大衆の搾取、彼らの困窮と貧困にある。この主要な原因が排除されると同時に、不法行為は不可避的に“死滅し”始めるだろう」。レーニンを読み解くときは、このように彼の時代背景と人類に対する信念を念頭に置きながら、現代に生かせる思想は何かを考えておきたい。たとえば、次の一文は、本書でレーニンが第一次世界大戦の時のことを書いたものであるが、現代の日本の政治家の言っていることに極似している「イギリスあるいはドイツの、世界制覇のための、獲物を分配するための、1914-17年の強盗戦争。“祖国を守れ”とか“共和国と革命を防衛しよう”などといった空文句によって、「自国の」ブルジョワジーの強盗的利益をおおい隠そうとしている」。