偉大なるアンバーソン家の人々《IVC BEST SELECTION》 [DVD]
フォーマット | ドルビー, モノ, ブラック&ホワイト |
コントリビュータ | オーソン・ウェルズ, ドロレス・コステロ, アン・バクスター, アグネス・ムーアヘッド, レイ・コリンズ, ジョセフ・コットン, ティム・ホルト |
言語 | 英語 |
稼働時間 | 1 時間 28 分 |
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商品の説明
オーソン・ウェルズ、27歳の情熱がほとばしる!
「市民ケーン」につづくダイナミックな人間ドラマ!
世界を驚かせた天才ウェルズが「市民ケーン」に匹敵する大作として挑んだ壮大な集団ドラマ。欧米では世界映画史に輝く傑作と評価が高い。
アメリカの地方都市の誇り高い名家の息子は、母親がヨリを戻そうとする昔の恋人を遠ざけて報いを受ける。一家が富と市民の信頼を失い、時代の波に取り残されて没落してゆく姿を、ウェルズの大胆な移動、パン・フォーカスとロー・アングル、長まわしの映画技法を駆使する力強い映像美が圧倒する。
監督・製作・脚本:オーソン・ウェルズ
出演:ジョゼフ・コットン / ティム・ホルト /ドロレス・コステロ / アン・バクスター
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 英語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 83.16 g
- EAN : 4933672238456
- 監督 : オーソン・ウェルズ
- メディア形式 : ドルビー, モノ, ブラック&ホワイト
- 時間 : 1 時間 28 分
- 発売日 : 2011/1/28
- 出演 : ジョセフ・コットン, ティム・ホルト, ドロレス・コステロ, アン・バクスター, アグネス・ムーアヘッド
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 英語 (Mono)
- 販売元 : IVC,Ltd.(VC)(D)
- ASIN : B004C3TV3S
- ディスク枚数 : 1
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オーソン・ウエルズの大ファンです。「DVD」が欲しくて捜しておりました。良かったです。
2013年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オーソン・ウェルズの2作目。
今回は自ら出演はせず、脚本と監督に徹しています。
「市民ケーン」のような衝撃力はありませんが、じわじわと良さが伝わってきます。
古き良き時代のアメリカを舞台にした作品で、名家の没落を描いています。
ジョゼフ・コットン、ティム・ホルト、ドロレス・コステロ、アン・バクスター、アグネス・ムーアヘッドらが良い演技。
撮影は「市民ケーン」のグレッグ・トーランドではなく、スタンリー・コルテスですが、
同じように深い陰影と凝った構図を堪能させてくれます。
バーナード・ハーマンの音楽も良いです。
繰り返し味わいたい作品です。
今回は自ら出演はせず、脚本と監督に徹しています。
「市民ケーン」のような衝撃力はありませんが、じわじわと良さが伝わってきます。
古き良き時代のアメリカを舞台にした作品で、名家の没落を描いています。
ジョゼフ・コットン、ティム・ホルト、ドロレス・コステロ、アン・バクスター、アグネス・ムーアヘッドらが良い演技。
撮影は「市民ケーン」のグレッグ・トーランドではなく、スタンリー・コルテスですが、
同じように深い陰影と凝った構図を堪能させてくれます。
バーナード・ハーマンの音楽も良いです。
繰り返し味わいたい作品です。
2015年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
DVD版になります。
リーズナブルで楽しめます。
さすが名作!の一言に尽きます。
リーズナブルで楽しめます。
さすが名作!の一言に尽きます。
2013年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品を見てどうしてウェルズが騒がれるのかがよくわかりました。特撮ばかりの昨今の映画にはない手触りがあります。
2010年1月22日に日本でレビュー済み
ウェルズの監督第2作です。愛し合っていたカップルが別れ、それぞれ別の人と結婚します。年月が過ぎ、地元を離れていた男は、やもめとなって美しい娘を連れて戻り、元恋人と少しずつ関係修復していきます。彼の娘も、元恋人のドラ息子と付き合うようになります。男は自動車を発明して大成功する一方、女の(偉大なる)アンバーソン家は逆に次第に没落していきます。ドラ息子がかなりのドラっぷりなので、街の人々と一緒に「そのうち罰が当たる」と思ってしまいますが、ともかく、『市民ケーン』に続き、ウェルズのメロドラマ体質全開の結末を迎えます。パーティ・シーンでは長回しに継ぐ長回しです。
2015年8月31日に日本でレビュー済み
監督はオーソン・ウェルズです。
町一番の名家アンバーソン家が没落するまでを描きます。
一人息子である当主が、財産に依存していて、正道に就こうとしないのです。
両親の死までは、それで通せますが、やがて全財産を手放さざるを得なくなります。
そうなるのを止めることができないのですから、周囲の人々もまた、手を貸しているようなものです。
映像は、雪道の中のソリから街中の自動車まで、馬車に乗って傍若無人に振る舞う坊ちゃんは、最後に痛い目にあいます。
監督による話の膨らませ方は、メリハリのきいた対比論法です。
町一番の名家アンバーソン家が没落するまでを描きます。
一人息子である当主が、財産に依存していて、正道に就こうとしないのです。
両親の死までは、それで通せますが、やがて全財産を手放さざるを得なくなります。
そうなるのを止めることができないのですから、周囲の人々もまた、手を貸しているようなものです。
映像は、雪道の中のソリから街中の自動車まで、馬車に乗って傍若無人に振る舞う坊ちゃんは、最後に痛い目にあいます。
監督による話の膨らませ方は、メリハリのきいた対比論法です。
2013年11月30日に日本でレビュー済み
「市民ケーン」に次ぐ監督二作目で1942年製作。
オリジナルは131分もあったが映画会社の勝手な編集で88分まで短縮されているので、話がちょっと飛んでしまうところあって残念。
19世紀末から20世紀初頭のアメリカを舞台に社会と経済の変化に翻弄される誇り高い一族の没落を描いた物語で、市民ケーンで使った短いカット割でスピーディーに展開していく演出ではなく、今回は長回しを多用し、ゆったりとして話が進んでいく。
同じ手法を使わないやり方は流石。
舞踏会のシーンで、奥の壁に掛かった鏡に写る踊りのシーンを背景に入れながら、踊りに合わせてカメラが手前に移動し、ロングから最後は男女の顔のアップにまで持っていくシーンは圧巻。
この辺の斬新な映像にはほんと驚かされる。
しかし、現実には不可能だが、当初のオーソン・ウェルズが編集したバージョンで見たかったもんだ。
没にされた映像にどんな傑作映像が眠っていたのかと考えると残念でならない。
オリジナルバージョンで公開していれば、大傑作になっただろうと予感させる作品です。
オリジナルは131分もあったが映画会社の勝手な編集で88分まで短縮されているので、話がちょっと飛んでしまうところあって残念。
19世紀末から20世紀初頭のアメリカを舞台に社会と経済の変化に翻弄される誇り高い一族の没落を描いた物語で、市民ケーンで使った短いカット割でスピーディーに展開していく演出ではなく、今回は長回しを多用し、ゆったりとして話が進んでいく。
同じ手法を使わないやり方は流石。
舞踏会のシーンで、奥の壁に掛かった鏡に写る踊りのシーンを背景に入れながら、踊りに合わせてカメラが手前に移動し、ロングから最後は男女の顔のアップにまで持っていくシーンは圧巻。
この辺の斬新な映像にはほんと驚かされる。
しかし、現実には不可能だが、当初のオーソン・ウェルズが編集したバージョンで見たかったもんだ。
没にされた映像にどんな傑作映像が眠っていたのかと考えると残念でならない。
オリジナルバージョンで公開していれば、大傑作になっただろうと予感させる作品です。
2022年1月18日に日本でレビュー済み
この作品は130分ほどで完成されたものを、公開時には製作会社=RKOが大幅にカットし、ラスト・シーンをオーソン・ウェルズ抜きで作り直したと解説にあります。確かに、ストーリーの展開が早くダイジェストを観ているような印象もあり、もし130分のままであったらかなり退屈に感じたかもしれず、現在の感覚ではこれも悪くないとは感じます。ただ主人公のバカ息子ジョージ・アンバーソンは、あまりに愚かでかつ、マザコン的で魅力的には見えない。これは最後の和解をセリフで伝えられた時に、納得感を生み出さない上に、叔母の微笑みが不気味に見える効果を生んでいるような気がします。
オーソン・ウェルズという人は、演劇畑出身との事で、確かに長回しの移動撮影を行って、セリフを大切にしたシーンも多いと同時に、映像の効果に関しても挑戦的であり、雪の中でエンストした自動車の周りを馬車がぐるぐる回るシーンは印象的です。
「市民ケーン」やこの作品がコスチュームプレイ的なのは、仲間の俳優を多く使いたいという意図があったのかも知れませんが、同時に造り込んだ絵作りを外側で笑うような感覚を感じてしまいます。
そこでなぜか連想したのが松本人志なんです。ちょっと前に「キング・オブ・コントの会」という番組が有って、その中で有能なコント芸人たちと、松本人志がそれぞれTVコントを披露するものなんですが、松本の作品だけが異質だったのです。ほかのコントはそれぞれ面白いものでしたが、舞台的で観客の存在が前提とされていて、松本のそれは、映像的な、フレーム外への配慮、視点の転換、編集のタイム感などが感じられました。求められる態度に対して、別の感覚、笑いとは限らない視点を常に用意する感じが、この作品を観ていてどこか共通しているなと思った次第です。ゆえに、再編集は歴史の必然ということに。
オーソン・ウェルズという人は、演劇畑出身との事で、確かに長回しの移動撮影を行って、セリフを大切にしたシーンも多いと同時に、映像の効果に関しても挑戦的であり、雪の中でエンストした自動車の周りを馬車がぐるぐる回るシーンは印象的です。
「市民ケーン」やこの作品がコスチュームプレイ的なのは、仲間の俳優を多く使いたいという意図があったのかも知れませんが、同時に造り込んだ絵作りを外側で笑うような感覚を感じてしまいます。
そこでなぜか連想したのが松本人志なんです。ちょっと前に「キング・オブ・コントの会」という番組が有って、その中で有能なコント芸人たちと、松本人志がそれぞれTVコントを披露するものなんですが、松本の作品だけが異質だったのです。ほかのコントはそれぞれ面白いものでしたが、舞台的で観客の存在が前提とされていて、松本のそれは、映像的な、フレーム外への配慮、視点の転換、編集のタイム感などが感じられました。求められる態度に対して、別の感覚、笑いとは限らない視点を常に用意する感じが、この作品を観ていてどこか共通しているなと思った次第です。ゆえに、再編集は歴史の必然ということに。