政談より学ぶ!荻生徂徠が説く経世済民と礼楽刑政の道!

荻生徂徠は、朱子学に立脚した古典解釈を批判し、古代中国の古典を読み解く方法論としての古文辞学(蘐園学派)を確立した江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。
「道として民を利することができなければ、それを道と呼ぶことはできない」
柳沢吉保や8代将軍・徳川吉宗への政治的助言者でもあり、吉宗に献上した政治改革論の意見書『政談』には、徂徠の政治思想が具体的に示されている著書として知られており、日本思想史の流れのなかで政治と宗教道徳の分離を推し進める画期的な著作です。

この『政談』以降、経世論(経世思想・経世済民論)が本格的に生まれてきました。
ちなみに経世論とは、「経世済民」のために立案された諸論策もしくはその背景にある思想です。
現代でいうところの「政治学」「政治・政策思想」「経済学」「経済思想」「社会学」「社会思想」など広範な領域を含んでおり、さまざまな社会矛盾の問題にいかに対応するかという権力者への献言・献策として、以下のような書物が執筆・刊行されました。
集義和書、集義外書、大学或問(熊沢蕃山)
・政談(荻生徂徠)
・経済録(太宰春台)
・経済録拾遺(太宰春台)
・統道真伝、自然真営道(安藤昌益)
・価原(三浦梅園)
・赤蝦夷風説考(工藤平助)
・三国通覧図説(林子平)
・海国兵談(林子平)
・西域物語、経世秘策(本多利明)
・稽古談(海保青陵)
・夢の代(山片蟠桃)
・経世談(桜田虎門)
・混同秘策(佐藤信淵)
・新論(会沢安)
・経済要録、農政本論(佐藤信淵)
・慎機論(渡辺崋山)
・戊戌夢物語(高野長英)
・経済問答秘録(正司考祺)
・東潜夫論(帆足万里)
・広益国産考(大蔵永常)
・海防八策(佐久間象山)
・国是三論(横井小楠)
武教全書講録(吉田松陰)

そんな『政談』です。

この書物ほど、江戸の社会体制のありようを根本から論じたものはありません。
社会観察が細かく、その細かに捉えられた墳末とも思える事象が、いずれも社会の深部で進行している大きな変化に由来する只ならぬ問題の表出であることが解明されていきます。
徂徠は、江戸の社会が綱吉の治世の頃から大きく変容しており、貨幣・商品・市場の力が浸透して、伝統的な人間関係が、人々の気付かないうちに解体を始めたことや他人に気を配ることを忌避するあり方「面々構」という印象的な言葉で表現しました。
このように現実を捉えた徂徠は、政教分離を説き、その全面的な制度改革を吉宗に訴えた訳です。

・困窮が社会の混乱の原因になるため、国を豊かにすることが治世の根本と考え、
・人と土地との結びつきを、戸籍や旅券などによって把握することを提案
・武士や百姓と土地の関係を重視する反面、商人の商売はそれとは異質であることを認め
・自然に発生する風俗と、人為によって定めた制度を区別
・誠の制度として歴史感覚や程度問題を考慮すべき
・制度においては、それによって倹約も可能となることから、各々の分限や節度を重視
・人を使う道と、人が取り扱う法は区別。人があっての法であり、その上での法による支配の重要性を説き
・人の住処をはっきりさせて、適切な制度を立てることによって、経済は適切に動いて世界は豊かになる
と考えたのでした。

では、そのエッセンスを抽出してみましょう。

【困窮と富豊】
経済を論じるためには、困窮の悲惨さを考えておくことが重要
困窮が礼儀作法の喪失につながるため、困窮を病気に例え、国家においては困窮しないのが治めの根本であるということです。
古代の聖人が立てた法制の基本は、上下万民をみな土地に着けて生活させることと、そのうえで礼法の制度を立てることであるというこです。

【風俗と制度】
武士は米を貴ぶ気持ちを無くしてお金に執着するから、商人にいいようにお金を吸い取られて困窮すると考えられています。
落ち着かない風俗においては、法律も上のものが下を思いやることなく勝手に定めるため宜しくないというのです。
制度とは、分限を立てて世界を豊かにするものなのです。
少し注意が必要なのは、風俗によって自然と成立したものは制度とは認められていないことです。

【誠の制度】
誠の制度とは、時代によって変わることない人情をもって、過去を顧みて未来を憂うことによってもたらされるのです。
さらにその制度は、質素がよくても質素過ぎてはよろしくなく、華やかであっても華やかすぎてもよろしくなく、すなわち程度を考慮すべきことが示されているのです。

【制度と人の関係】
下の者は、天下世界のために心身を労することがないと考えられています。そのため、上の者が天下世界のために心身を労して考え、末永く続き万民のためになる制度を立てるべきことが語られています。
また、徂徠は、〈総じて天地の間に万物を生ずる事、おのおのその限りあり〉という考えに立って、各人の分限に応じて、限りある資源を配分すべきことが語られています。
その上で、制度を立てることによって、分を守るようにするというのです。
国の秩序を守るには、人に道義を説いたところで何の解決にもならない、筋道だった計画、新たな制度が必要だと徂徠は断言しています。

【人材育成】
人は用いて始めて長所が現れるものなので、人の長所を始めから知ろうとしてはいけないのです。
その上で、人はその長所だけを見ていればよいし、短所を知る必要はありません。
なお、自分の好みに合う者だけを用いることのないようにし、用いる際には小さい過ちをとがめず、その仕事を十分に任せるのです。
器量をもつ人材であれば、必ず一癖あるものなので、癖を捨てず、ただその事を大切に行えばよいのです。
上に立つ者は、己の才智によらず、下の者と才能や知恵を争うことなく、その「才智」をみぬき、それを用いる力量に求めました。
良く用いれば、事に適し、時に応じる程の人物は必ずいるものです。
「言語・容貌」を慎み、下の者を大切にし、その力をふるわせる作法こそは指導者たる者が身につけておかねばなりません。

【万民と土地】
戸籍や路引などの政策から分かるように、徂徠は人と土地との結び付きを重視しています。
特に武士については、〈身貴ければ身持も自由ならず、気の詰る事がち也〉とあるように、武士の気苦労がしのばれます。
万民についても、土地と結び付けることの重要性が指摘されています。
ただし、商人は、急に大金持ちになったり、一日で没落したりして、定めなく世を渡る者だというのです。
それに対し、武士階級や百姓は、土地との結びつきが強いため、それを考慮する必要がありますが、商人は勝手に商売してろということです。

そもそも都市と田舎の境界がなくなってしまったのが、この境界ができていないため、どこまでが江戸の内で、ここから田舎という限度がなくなってしまっているというのです。
勝手に家を建てならべていった結果、江戸の範囲は年々に拡がってゆき、誰が許可を与えたというわけでもなく、奉行や役人の中にも誰ひとり気がつく人もいない間に、いつの間にか北は千住、南は品川まで家つづきになってしまった。
従って、都市と田舎の境界がなければ、農民はしだいに商人に変わっていき、生産者が減少して国は貧しくなるものであるというのです。

【法と道】
法を立てずに何でも自由にできてしまうことを戒めています。さらに、罰則を伴う法による支配を提示しています。
法と人の関係については、法は人次第であり、人が法を取り扱うところにおいて、道があらわれます。
人を知り、人をつかうことにおいて道があり、その取り扱うものとして法があるのです。
とるべき方法としては、政治の根本に立ち返って、やはり現在の柔弱な風俗をもとにし、古代の法制を勘案して、法を立て直すのが肝要ということです。
政治の根本は、とにかく人を地に着けるようにすることであって、これが国を平和に治めるための根本なのであるとしています。

【戸籍と路引】
国を豊かに富ますことが、治めの根本であると徂徠は考えています。
治めの根本は、人が土地に根付くことであり、そのために戸籍・路引の二つが必要ということです。
戸籍によって国民の所在をはっきりさせなければ、世の中は混乱するということです。
路引とは旅券のことです。人の移動を、路引によってはっきりさせよということです。
この戸籍と路引の二つによって、国民の居場所を把握することの重要性が示されています。
自由すぎると、害悪が多くなるというのは重要な指摘です。

とにかく戸籍の法を立てて、人を土地に着けるという方法が、古代の聖人の深い知恵から出たものであることをよく理解しなくてはならないということです。
根本を重んじて、枝葉末節を抑えるのが、すなわち古代の聖人の原則。
根本というのは農業であり、末節というのは工業や商業です。
工業や商業が盛んになると農業が衰えるということは、歴史上の各時代を見ても大体そのとおりで、これもまた明らかな事実であるということです。

徂徠は、結論として、国民の住処を把握し、それぞれに合った制度を立てることで、世界の流通が活発に動いて経済が正しく直り、豊かさがもたらされると説きました。
そして、天下を治める道とは、民が安心して生活できること(経世済民)であり、そのためには儀礼・音楽・刑罰・政治などの制度(礼楽刑政)を用いて、人民の意見や才能を育み、発揮させることが肝要であるとしたのです。
さらに、六経に記された礼楽刑政を知るためには、古文辞(古語)を学ばねばならない(古文辞学)と唱えた人物でした。

こうした教えは、今の時代にも十分に通用するものです。
そのエッセンスを生かすべく、何をなすべきかを考えて参りましょう。

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