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立命の書『陰騭録』を読む (致知選書) ハードカバー – 2011/9/16
安岡 正篤
(著)
多くの現代人は、善因善果、悪因悪果、因果応報などという考え方は古いとし捨て去っているようである。
しかし、激動の現代こそ、自己を超えた絶対者の意思を畏れ、自己の行動を慎む陰隲思想を一層尊重すべきように思う。
本書は、明代の学者袁了凡の著書『陰隲録』を、安岡正篤師が独自の解釈を加えたものである。
内容は、序章/「陰隲録」を読む意義に始まり、第1章/立命の学、第2章/謙虚利中、第3章/積善の要諦、第4章/いかに過悪を改めるか――である。
いかに人生において道徳的規範・行動が大切か。
そしてそのことが人智をも及ばぬ運命をいかに変えていくか。
まさに、本書は、これを読む人に道徳的勇気を起こさせるものをもっているように思う。
しかし、激動の現代こそ、自己を超えた絶対者の意思を畏れ、自己の行動を慎む陰隲思想を一層尊重すべきように思う。
本書は、明代の学者袁了凡の著書『陰隲録』を、安岡正篤師が独自の解釈を加えたものである。
内容は、序章/「陰隲録」を読む意義に始まり、第1章/立命の学、第2章/謙虚利中、第3章/積善の要諦、第4章/いかに過悪を改めるか――である。
いかに人生において道徳的規範・行動が大切か。
そしてそのことが人智をも及ばぬ運命をいかに変えていくか。
まさに、本書は、これを読む人に道徳的勇気を起こさせるものをもっているように思う。
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社致知出版社
- 発売日2011/9/16
- ISBN-104884741811
- ISBN-13978-4884741815
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著者について
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明治31年大阪市生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。昭和58年12月死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『洗心講座―聖賢の教えに心を洗う』(ISBN-10:4884748980)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
想像以上の品物で大変満足している。又欲しいものがあればここで買いたいと思う。
2017年12月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あんまり勉強にならなかった。時代遅れの本。陰徳を積む功徳は良くわかった。
2023年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonのオススメでたまたま見かけて興味を持ち、図書館で借りた一冊。
若き日に受けた占い師の「予言」を天の定めた「宿命」だと信じて疑わなかった明朝の知識人袁了凡(袁黄)が、雲谷禅師との邂逅により「立命」ー意志と力次第で己の運命を創造出来るーを悟った体験を書き記した書物である『陰騭録』を安岡正篤氏がその背景と内容を解くと共に、我々現代人へ「人」として往くべき「道」をも説く作品となっている。
先述した袁了凡や浅見絅斎のような和漢の者ばかりでなく、(ヴィクトール・)フランクル(代表作『夜と霧』)やショーペンハウアー、サラザール(ポルトガルの政治家)等、洋の東西を問わず様々な人物について縦横無尽に語る安岡氏の教養の深さには、ただただ頷くばかりであった(既に亡くなっているが実際にお会いしたら圧倒されただろう)。
これからは、『陰騭録』で説く善行/愛教/敬神/(正法)護持/改過(自新)等と共に、安岡氏の以下の主張を噛み締めて生きたいと思う:
・・・自分一人くらいが何をやろうが、どうしようもないじゃないか、というようにかたづけて何もしない、この心理が一番いけない。どんなささやかなことでも、どんなに役に立たないと思うようなことでも、自分が善と信ずることに身を挺して、自己を犠牲にして尽すことが大事であります。
浅見絅斎先生のいわゆる靖献です。自ら靖んじ自ら献じてゆくのでなければ日本は救われません(本書133-134頁)
若き日に受けた占い師の「予言」を天の定めた「宿命」だと信じて疑わなかった明朝の知識人袁了凡(袁黄)が、雲谷禅師との邂逅により「立命」ー意志と力次第で己の運命を創造出来るーを悟った体験を書き記した書物である『陰騭録』を安岡正篤氏がその背景と内容を解くと共に、我々現代人へ「人」として往くべき「道」をも説く作品となっている。
先述した袁了凡や浅見絅斎のような和漢の者ばかりでなく、(ヴィクトール・)フランクル(代表作『夜と霧』)やショーペンハウアー、サラザール(ポルトガルの政治家)等、洋の東西を問わず様々な人物について縦横無尽に語る安岡氏の教養の深さには、ただただ頷くばかりであった(既に亡くなっているが実際にお会いしたら圧倒されただろう)。
これからは、『陰騭録』で説く善行/愛教/敬神/(正法)護持/改過(自新)等と共に、安岡氏の以下の主張を噛み締めて生きたいと思う:
・・・自分一人くらいが何をやろうが、どうしようもないじゃないか、というようにかたづけて何もしない、この心理が一番いけない。どんなささやかなことでも、どんなに役に立たないと思うようなことでも、自分が善と信ずることに身を挺して、自己を犠牲にして尽すことが大事であります。
浅見絅斎先生のいわゆる靖献です。自ら靖んじ自ら献じてゆくのでなければ日本は救われません(本書133-134頁)
2008年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
陰隲録は、明(みん)の時代に、著された書物。安易な宿命観に陥らずに、自ら正しく運命を切りひらいて行くべく、謙虚に真剣に生きよ・・・というような趣旨。原文(漢文の読み下し)と、安岡氏の解説が交互する構成となっている。「立命の書」と銘打たれているように、自らの生きる道を立てていくための哲学であり、峻厳な清涼さに満ちている。
2020年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
目次 「陰しつ録」を読む意義・立命の学・謙虚利中・積善・改過
運命を自身で創っていく立命の書「陰しつ録」を安岡正篤さんが説明した講演集です。
東洋思想についての安岡正篤さんの豊富な話題を読むことが出来て読みやすいです。
大森義成先生のブログで薦められていて、読んでみました。
大変重要なことが書いてあり、なぜもっと普及していないのか、不思議です。
善行を行い運命をプラスの方へ変えていくということなのですが、
普通の人にとっては、大きな善事をなすのは難しいことです。
仏教では布施の最たるものが、施餓鬼供養であるそうです。
運命を好転したい人は、施餓鬼供養をやっているお寺でやってもらうのが良いです。
運命を自身で創っていく立命の書「陰しつ録」を安岡正篤さんが説明した講演集です。
東洋思想についての安岡正篤さんの豊富な話題を読むことが出来て読みやすいです。
大森義成先生のブログで薦められていて、読んでみました。
大変重要なことが書いてあり、なぜもっと普及していないのか、不思議です。
善行を行い運命をプラスの方へ変えていくということなのですが、
普通の人にとっては、大きな善事をなすのは難しいことです。
仏教では布施の最たるものが、施餓鬼供養であるそうです。
運命を好転したい人は、施餓鬼供養をやっているお寺でやってもらうのが良いです。
2016年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良書ですが、すでに内容はよく知られております。
もっと何かあるだろうと期待しておりましたが、期待が強すぎました。
もっと何かあるだろうと期待しておりましたが、期待が強すぎました。
2020年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本人はこの本を読むべし。
2012年5月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
帯に「人生には、宿命、立命がある。いかにして人生を立命となすか。その極意を説いた『陰'録』に学ぶ。」と書かれている。
なるほど、序章と第1章は、帯に記載された通りの記述が進められていくのであるが、第2章以降は、謙虚であること、善行を積むこと、過ちを改めることといった教えが述べられているのみで、タイトルに惹かれた私としては、最後まで興味を持って読み進めることができなかった。
本書は、著者の講演録であるため、ところどころに面白いエピソードが紹介されている。
例えば、登山家などがヒマラヤやアルプスに登る場合、どうしても聖典・経典といった物を読むという。昔から有名な武将はみな、戦乱の巷・陣営の中に在って、暇を見つけては真剣に読書したという。
「つまり人間は真剣になると、初めて本当のものが出てくる、厳粛なものが出てくる。太平無事になると、大事なものを失って、享楽的になり、ふざけた生活をするようになる。そのためにますます世の中がだめになる。そうしてひどい目に会って、初めて今更のように本当のものを求めるようになる。」
著者の袁了凡は、雲谷禅師に出会って、徹底的な運命論者を改めることになるが、その禅師が言うには、道徳・仁義といった自分の心に内在するものも、名富貴といった心の外に在るものも、すべて自分の心に向かって得ようと努力することによって得られるものだという。
改過の章では、「恥心、畏心、勇心の三つの心を具えれば、たとえ過があろうとも、春の氷が日に照らされて消え去るように消えてしまう。」畏心とは、敬の心に通じる。われわれの上にはちゃんと天地鬼神が在って、それを欺くことは絶対にできない。勇心は勇猛心を奮い起すこと、ぐずぐずと姑息になって気が衰え縮むから人の過が改まらないという。
なるほど、序章と第1章は、帯に記載された通りの記述が進められていくのであるが、第2章以降は、謙虚であること、善行を積むこと、過ちを改めることといった教えが述べられているのみで、タイトルに惹かれた私としては、最後まで興味を持って読み進めることができなかった。
本書は、著者の講演録であるため、ところどころに面白いエピソードが紹介されている。
例えば、登山家などがヒマラヤやアルプスに登る場合、どうしても聖典・経典といった物を読むという。昔から有名な武将はみな、戦乱の巷・陣営の中に在って、暇を見つけては真剣に読書したという。
「つまり人間は真剣になると、初めて本当のものが出てくる、厳粛なものが出てくる。太平無事になると、大事なものを失って、享楽的になり、ふざけた生活をするようになる。そのためにますます世の中がだめになる。そうしてひどい目に会って、初めて今更のように本当のものを求めるようになる。」
著者の袁了凡は、雲谷禅師に出会って、徹底的な運命論者を改めることになるが、その禅師が言うには、道徳・仁義といった自分の心に内在するものも、名富貴といった心の外に在るものも、すべて自分の心に向かって得ようと努力することによって得られるものだという。
改過の章では、「恥心、畏心、勇心の三つの心を具えれば、たとえ過があろうとも、春の氷が日に照らされて消え去るように消えてしまう。」畏心とは、敬の心に通じる。われわれの上にはちゃんと天地鬼神が在って、それを欺くことは絶対にできない。勇心は勇猛心を奮い起すこと、ぐずぐずと姑息になって気が衰え縮むから人の過が改まらないという。