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新井白石「読史余論」 現代語訳 (講談社学術文庫) Kindle版
「正徳の治」で名高い大儒学者による歴史研究の代表作。古代天皇制から、武家の発展を経て江戸幕府成立にいたる歴史を九変・五変に時代区分して論じ、徳川政権の正当性を主張する。天皇家や源頼朝、足利幕府への客観的で冷徹な評価、為政者の不徳と失政に対して天命が革まる「易姓革命」への警鐘など、実証的で先駆的な史論の現代語訳。(講談社学術文庫)
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2012/11/12
- ファイルサイズ2606 KB
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商品の説明
著者について
横井 清
1935年、京都市生まれ。立命館大学大学院博士課程中退。部落問題研究所、京都市史編さん所などに勤務したほか、富山大学教授、桃山学院大学教授を歴任。おもな著書に『中世民衆の生活文化』『東山文化』『下剋上の文化』『的と胞衣』『光あるうちに』『中世日本文化史論考』『室町時代の一皇族の生涯』などがある。
1935年、京都市生まれ。立命館大学大学院博士課程中退。部落問題研究所、京都市史編さん所などに勤務したほか、富山大学教授、桃山学院大学教授を歴任。おもな著書に『中世民衆の生活文化』『東山文化』『下剋上の文化』『的と胞衣』『光あるうちに』『中世日本文化史論考』『室町時代の一皇族の生涯』などがある。
登録情報
- ASIN : B00OKC2D90
- 出版社 : 講談社 (2012/11/12)
- 発売日 : 2012/11/12
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2606 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 355ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 206,559位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,760位日本史 (Kindleストア)
- - 4,269位日本史一般の本
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年5月18日に日本でレビュー済み
レポート
Amazonで購入
「南帝が斬られて、ここに古代からの天皇制は終焉した」との記述には、かなり衝撃を受けました。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2013年1月14日に日本でレビュー済み
三大史論の一つとして名高い『読史余論』の現代語訳である。
これまで、原文でさえ入手が容易でなく、現代語訳ともなると、中公バックスシリーズぐらいしかなく、一般読者との距離が遠かった。学術文庫に今回現代語訳が加わったことにより、一般読者からのチャンネルが増えることになった。名著を国民に近づけるという意味で非常に価値あるものと言える。
『読史余論』は、元来、将軍に歴史を講義ずるために書かれた講義録で、徳川家による権力掌握の正統性を説くという目的を持ったものであった。それにもかかわらず、『読史余論』が名著として名高い所以は、歴史上の幾多の変事を単なる政権奪取として論じるのではなく、「貴族から武家の世へ」という流れに位置づけて論じたところにある。白石は、武家同士の政権交代を「源平」間の移動(北条氏の氏は平氏、織田氏の氏も平氏であることから、平氏→源氏→北条氏(平氏)→足利氏(源氏)→織田氏(平氏)→徳川氏(源氏)と位置づける。)と捉えている(このように捉えることにより、徳川氏の政権獲得の正統性が論証されることになる)。もちろん、歴史の流れは単なる源平間の政権移動とは捉えられないが、白石の史論の底流にある「貴族から武家の世へ」という史観は、現代においても首肯しうるものであり、その史観を示したという点において、『読史余論』は『愚管抄』や『神皇正統記』とは異なる画期性を持っている。現代語訳を通じて、その醍醐味を味わってほしい。
一つ惜しまれるのは、総論部分が省略されていることである。『読史余論』のエッセンスを知るという意味では、それでも足りるのであろうが、総論部分には、後嵯峨天皇即位のいきさつに触れている箇所など、ゆるがせにできないところもあり、できれば全訳にしてほしかったところである。もちろん、省略に至った背景には諸々の事情があったのであろうが、今後全訳を検討してもらえるとありがたい。
なお、同学術文庫には『愚管抄』の現代語訳もあり、『読史余論』に続いて『愚管抄』にもチャレンジしていただき、三大史論の読破を目指してほしい。
これまで、原文でさえ入手が容易でなく、現代語訳ともなると、中公バックスシリーズぐらいしかなく、一般読者との距離が遠かった。学術文庫に今回現代語訳が加わったことにより、一般読者からのチャンネルが増えることになった。名著を国民に近づけるという意味で非常に価値あるものと言える。
『読史余論』は、元来、将軍に歴史を講義ずるために書かれた講義録で、徳川家による権力掌握の正統性を説くという目的を持ったものであった。それにもかかわらず、『読史余論』が名著として名高い所以は、歴史上の幾多の変事を単なる政権奪取として論じるのではなく、「貴族から武家の世へ」という流れに位置づけて論じたところにある。白石は、武家同士の政権交代を「源平」間の移動(北条氏の氏は平氏、織田氏の氏も平氏であることから、平氏→源氏→北条氏(平氏)→足利氏(源氏)→織田氏(平氏)→徳川氏(源氏)と位置づける。)と捉えている(このように捉えることにより、徳川氏の政権獲得の正統性が論証されることになる)。もちろん、歴史の流れは単なる源平間の政権移動とは捉えられないが、白石の史論の底流にある「貴族から武家の世へ」という史観は、現代においても首肯しうるものであり、その史観を示したという点において、『読史余論』は『愚管抄』や『神皇正統記』とは異なる画期性を持っている。現代語訳を通じて、その醍醐味を味わってほしい。
一つ惜しまれるのは、総論部分が省略されていることである。『読史余論』のエッセンスを知るという意味では、それでも足りるのであろうが、総論部分には、後嵯峨天皇即位のいきさつに触れている箇所など、ゆるがせにできないところもあり、できれば全訳にしてほしかったところである。もちろん、省略に至った背景には諸々の事情があったのであろうが、今後全訳を検討してもらえるとありがたい。
なお、同学術文庫には『愚管抄』の現代語訳もあり、『読史余論』に続いて『愚管抄』にもチャレンジしていただき、三大史論の読破を目指してほしい。