こちらの巻にはコリントやデルフォイなどが含まれ、隣保同盟によって各都市が協力して問題に対処していたことが見えてくる。上巻と同じように訳者による遺跡の写真、注釈もたっぷりあり、1900年前の旅行記が苦もなく読める。ギリシアの人名や神々の名がたくさん登場するので、カタカナに慣れていないと面食らうかもしれない。
現在、イスタンブールにある青銅製の蛇の柱は、デルフォイにあったという。ビザンツ帝国時代には聖ソフィア大聖堂側の戦車競技場の真ん中に据えられていた。もともとは紀元前479年のペルシア軍に対するプラタイアイの合戦戦勝を記念して、デルフォイに奉献された。当時はこの三匹の絡まる大蛇の頭上に黄金の鼎が載っていたが、それから約800年後コンスタンティヌス大帝がコンスタンティノープルに運んだ時にはもうなかったようだ。黄金の鼎は紀元前4世紀半ばにフォキス人が軍資金にするために溶解されたという。パウサニアスがデルフォイに訪れた時には鼎はもうなかったが、蛇の柱はまだそこにあったわけだ。ちなみにコンスタンティヌス大帝の時代から1000年以上あとのオスマン帝国時代にはこの蛇の柱に蛇の頭はついていたが、現在は頭がなく博物館に保管されているようである(19世紀に見つかった?or複製?)。時代が錯綜してしまった。
エピダウロスはサロニカ湾に面した都市で、医術の神アスクレピオスの生誕地。パウサニアスもしっかり紹介している。フレギュアスという猟奪者の娘コロニスがアポロンの子を宿したが、その子がアスクレピオス。しかしコロニスは山にその子を捨てた。子供はなんと山羊に育てられる。アスクレピオスの生誕には他にも2つの伝承がある。ローマ帝国を建国したロムルスとレムスも狼に育てられた。偉業をなすには艱難辛苦の来歴があるということか、あるいは当時はそういう動物との交流が頻繁にあったということか。『ギリシア神話』(アポロドーロス)ではケンタウロス族のケイロンの元で狩猟と医術を学び外科医になったとされる。
アスクレピオスの神殿の近くには、庇護嘆願者、つまり助けを求める人々のこもった場所も残っている。また円形の遺構についても今は土台しかないが、当時は愛神エロスが弓矢を捨てて竪琴を持つ絵やガラスの盃を持つ女性の絵が描かれていた。アスクレピオスによって治療された者の石碑もある。パウサニアスが訪れた時は6本残っていて、昔はもっとたくさんあったようだ。そして近くにはテセウスの息子、ヒッポリュトスの石碑もある。ヒッポリュトスはテセウスによってポセイドンの呪いをかけられ殺された。アスクレピオスはそのヒッポリュトスを甦らせたのだ。
ちなみに本書の第32章でエピダウロスのさらに南の地、トロイゼンにヒッポリュトスの神域があり、彼は信仰を受けている。その地の人々は彼が馬に引きずられて死んだことを信じたくなくて、墓の在りかもパウサニアスには教えなかったという。
ヒッポリュトスはイタリアのアリキアに移り、その地の王となった。そこで信奉するアルテミスの神殿を寄進。本書の注釈によるとイタリア、ラティウム地方ネミ湖の北で、アルテミス神殿が発掘されている。アルテミスはラテン名ディアナ、英語名ダイアナ。月と狩猟と野生動物の女神である。アルテミスは自尊心が高く情け容赦ない性格だった。パウサニアスはイタリアの当地にも行ったことを記述していて、そこでは神殿の神官が前任者を殺してからようやく成れるという凄まじい掟があったという。当時はその資格が奴隷にしか与えられていなかった。
アスクレピオスの方は、『ギリシア神話』(アポロドーロス)によれば、人を甦らせることに恐れをなしたゼウスの雷に撃たれ殺されてしまう。
デルフォイに関することも詳しい。デルフォイに向かう途中、パルナソス山の南東にスキステという地があり、オイディプスがテーベの父王ライオスを殺した場所だとされる。オイディプスは子供の頃にくるぶしに針を通され捨てられ羊飼いに育てられた。その後コリント王に預けられたが、実の父親ではないことを知る。悩んだ彼はデルフォイの神託を聞きに行く。そこで実の母親と結婚し父親を殺すだろうという託宣を受けてしまう。その帰り道、このスキステの地で遭遇した男を父とは知らず殺してしまう。恐るべき災難である。子供をないがしろにした罰を描いているのだろうか。現代ではこの父親殺しが、エディプスコンプレックスとして、母親の愛情を手に入れるために生じる子供の父親に対する対抗心を示している。
デルフォイにたどり着く前に、文章が増えすぎてしまった。
デルフォイではフォキス人による占領や、その後の隣保同盟評議会によるフォキスへの罰金と10年間の戦争などが語られる。この神聖戦争を終わらせたのが、マケドニアのフィリッポス二世、アレクサンドロス大王の父である。
神聖戦争から約90年後にはガラタイ族の侵攻があり、このデルフォイが戦乱に巻き込まれた。本書ではガラタイとギリシアの軍勢の規模や戦闘の様子を細かく伝えている。ガラタイ族の人非人な略奪の振舞いには震え上がる。
最後はデルフォイのレスケ(談話室)内にあったポリュグノトスによる絵画の解説がある。パウサニアスは絵の中の登場人物を一人一人挙げながら、その伝説を語り尽くしている。イリオン(トロイア)陥落の絵はネット検索すると複写されたものが今でも残っているようだ。それを見ながら読んでいたら1日が過ぎ去ってしまった。
パウサニアスは『イリアス』や『キュプリア』『イリオン落城』『帰国譚』など当時あった物語も引用しながら、いくつかの絵画を説明している。
デルフォイの部分は濃密な内容だったが、この辺で紹介はやめておこう。
パウサニアスはローマ時代の人だが、道を外した皇帝には手厳しい。ネロ帝がコリントの地峡を開鑿したりアレクサンドロス大王がミマス半島を開鑿して、大地を改変しようとしたことには遠回しの批判を加えている。自然が神々の存在と深い関係にあり、それに背けば天罰があるという信仰心なのだが、天罰とはならずも天変地異が起こって、人々が困難に陥るというのはあながち間違いではないように思う。平穏を失う恐れから無数の神が生みだし、戦乱や天災の不幸が渦巻く世界で、人々は信じることで安寧を得ていたのだろうか。現代でも科学や知識を持たなければ、信仰は一つの幸福の手段なのかもしれない。ただ他者を不幸にする信仰もあるので、そこも要注意かもしれない。巻き込んで塗り替えるのではなく、他者を認めつつ共存が大切なのだろう。
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ギリシア案内記 下 (岩波文庫 青 460-2) 文庫 – 1992/2/17
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- 本の長さ441ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1992/2/17
- 寸法10.5 x 4.4 x 14.8 cm
- ISBN-104003346025
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- 発売日 : 1992/2/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 441ページ
- ISBN-10 : 4003346025
- ISBN-13 : 978-4003346020
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2004年6月6日に日本でレビュー済み
パウサニアスの『ギリシア案内記』は、かつてギリシアを訪れる人すべてが携えたと言われる名著である。下巻の凡例に、1巻「アッティカ・メガラ」、2巻「コリント・アルゴリス」、10巻「フォキス」を選んだ理由として、旅行者に人気がある点を考慮した、とある。したがって旅行者は必携である。しかし、パウサニアスが読みたくて読みたくてしょうがない、という人(あまりいないかもしれませんが)、あるいはもっともっとギリシアに触れたい、という人が買うと失望しかねません。だってしょうがないじゃないですか。膨大な著書の一部分なんだから。僕の場合、買ったときは大喜びだったんですが…。まあ、買う前に中身を確かめろという話ですが。でも、どちらにせよ買っていたでしょう。少しでも読みたいという衝動は、いちど感じてしまうと抑えることは困難です。僕みたいになってしまうと、もうギリシアに住むしかないのかも。実際。
2013年9月15日に日本でレビュー済み
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古代ギリシアの様子が伺え大変に参考になっています。
保存状態もよく、違和感なく読んでいます。
保存状態もよく、違和感なく読んでいます。
2013年10月10日に日本でレビュー済み
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ギリシア・ローマ神話、文化を知るための基本資料です。美術史の講義のために遅まきながら購入。
2021年8月30日に日本でレビュー済み
2世紀、ローマ帝国が全盛期迎えた五賢帝の時代に、ギリシャ人パウサニアスによって書かれたギリシャ地方の案内記。10巻を超える膨大な内容だが、岩波文庫の下巻には第2、10巻の内容が収録されている。コリント、アルゴス、デルフォイの神殿などが紹介されている。文庫版ながら、多くの写真や地図が掲載されていて、とても読みやすい構成になっている。いつか、全巻の内容が文庫版で出版されて欲しい。