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読史余論 (岩波文庫 黄 212-2) 文庫 – 1990/9/1
- 本の長さ321ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1990/9/1
- ISBN-104003021223
- ISBN-13978-4003021224
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1990/9/1)
- 発売日 : 1990/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 321ページ
- ISBN-10 : 4003021223
- ISBN-13 : 978-4003021224
- Amazon 売れ筋ランキング: - 707,881位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年11月17日に日本でレビュー済み
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歴史に學ぼうとする姿勢が強かった徳川家宣の要請により新井白石が著した政治通史ですが、実際の進講から十年以上経った白石の最晩年(享保九年)になって完成された(解説より)との事。日を追った経緯や武将として下した判断、人名を詳細に記し評價を加えており事例研究的な書き方です。時間を掛けて脱稿していますので、恐らく進講の内容から推敲を繰り返し政治史其の物のより学究的な考察へと内容が変わって行ったのでは無いでしょうか。晩年は不遇だったとされる白石ですが、此の様な著書を完成している事からも、むしろ余生の過ごし方として望む所だったのかも知れません。現代的価値観を通して白石個人の歴史観として本書を批評するよりも(進歩史観の考え方)、宝永〜正徳〜享保時代に入って行く素直な讀み方をした方がよいと思います。校正された原文のみで、現代語譯や注釈、振假名無しですが、江戸期の文ですので比較的讀み易いと思います。
2014年9月18日に日本でレビュー済み
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本書は新井白石が将軍家宣に日本史の進講をするために書いた講義ノートである。80以上の史書から自在に引用して書かれており、引用部なのか所々に漢文が丸ごと入っている。また重要な事績の後に人物について朱子学的史観から白石の筆誅が加えられている。読み終わって気付いたのだが、「按ずるに」で始まるこの注釈だけ読めば、白石の歴史観を知ることができる。要は天皇と公家と武家との実権の移り変わりを「天の報應」をもって説明しようと試みたものか。将軍側近の立場ゆえか、頼山陽の日本外史に比べて人物評価に苦心の跡を見てとれる。
第1巻: 藤原摂関政治から南北朝合一までの政治の変遷について書かれており、特に源頼朝の義経追捕から奥州合戦を経て北条氏に実権が移り承久の乱までの武家政権確立の過程に力を入れて書かれている。南北朝までである理由は、南朝の滅亡で政治の実権が武家に完全に移行したという歴史観に基づくらしい。
第2巻: 神武東征から湊川の戦後の光厳院重祚までの軍事等について書かれている。特に頼朝死後に続く鎌倉幕府内部の権力闘争から実朝暗殺を経て三浦一族を滅ぼして北条執権体制を確立するまでに大部分を割いている。次いで頁を割かれているのが建武の中興からその崩壊までである。
第3巻: 第2巻の続きで、北朝の光明院即位から豊臣秀吉の天下統一までが書かれている。戦乱絶えぬ室町時代に大半が割かれていて、注釈が増え「神祖」(徳川家康)のヨイショが散見される。最後の20頁で織豊時代に触れるが、ここに至って「神祖」をヨイショするあまり信長秀吉とその関係者とを全力で糞味噌に書き捨てている。非常に残念な終わり方である。
第1巻: 藤原摂関政治から南北朝合一までの政治の変遷について書かれており、特に源頼朝の義経追捕から奥州合戦を経て北条氏に実権が移り承久の乱までの武家政権確立の過程に力を入れて書かれている。南北朝までである理由は、南朝の滅亡で政治の実権が武家に完全に移行したという歴史観に基づくらしい。
第2巻: 神武東征から湊川の戦後の光厳院重祚までの軍事等について書かれている。特に頼朝死後に続く鎌倉幕府内部の権力闘争から実朝暗殺を経て三浦一族を滅ぼして北条執権体制を確立するまでに大部分を割いている。次いで頁を割かれているのが建武の中興からその崩壊までである。
第3巻: 第2巻の続きで、北朝の光明院即位から豊臣秀吉の天下統一までが書かれている。戦乱絶えぬ室町時代に大半が割かれていて、注釈が増え「神祖」(徳川家康)のヨイショが散見される。最後の20頁で織豊時代に触れるが、ここに至って「神祖」をヨイショするあまり信長秀吉とその関係者とを全力で糞味噌に書き捨てている。非常に残念な終わり方である。
2012年9月4日に日本でレビュー済み
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『読史余論』は言わずと知れた新井白石の著で、『愚管抄』、『神皇正統記』と合わせて三大史論と称される名著である。
『読史余論』は、元来、将軍に歴史を講義ずるために書かれた講義録で、徳川家による権力掌握の正統性を説くという目的を持ったものであった。それにもかかわらず、『読史余論』が名著として名高い所以は、歴史上の幾多の変事を単なる政権奪取として論じるのではなく、「貴族から武家の世へ」という流れに位置づけて論じたところにある。白石は、武家同士の政権交代を「源平」間の移動(北条氏の氏は平氏、織田氏の氏も平氏であることから、平氏→源氏→北条氏(平氏)→足利氏(源氏)→織田氏(平氏)→徳川氏(源氏)と位置づける。)と捉えている(このように捉えることにより、徳川氏の政権獲得の正統性が論証されることになる)。もちろん、歴史の流れは単なる源平間の政権移動とは捉えられないが、白石の史論の底流にある「貴族から武家の世へ」という史観は、現代においても首肯しうるものであり、その史観を初めて示したという点において、『読史余論』は『愚管抄』や『神皇正統記』とは異なる画期性を持っている。
『読史余論』は、かかる名著でありながら、入手は容易でない。本文庫版は、原文(漢文)を読み下しただけのもので、注が付けられておらず、なおかつ戦前の版から変わっていないため、現代の読者には非常にハードルが高い。それでも、『読史余論』を手軽に読むことができるものだけに、価値の高さは強調してもしすぎることはない。是非一読されることをお勧めしたい。
原文では難しすぎるという方は、中公バックスシリーズの現代語訳で大意をつかんでからチャレンジするのも一案である。
『読史余論』は、元来、将軍に歴史を講義ずるために書かれた講義録で、徳川家による権力掌握の正統性を説くという目的を持ったものであった。それにもかかわらず、『読史余論』が名著として名高い所以は、歴史上の幾多の変事を単なる政権奪取として論じるのではなく、「貴族から武家の世へ」という流れに位置づけて論じたところにある。白石は、武家同士の政権交代を「源平」間の移動(北条氏の氏は平氏、織田氏の氏も平氏であることから、平氏→源氏→北条氏(平氏)→足利氏(源氏)→織田氏(平氏)→徳川氏(源氏)と位置づける。)と捉えている(このように捉えることにより、徳川氏の政権獲得の正統性が論証されることになる)。もちろん、歴史の流れは単なる源平間の政権移動とは捉えられないが、白石の史論の底流にある「貴族から武家の世へ」という史観は、現代においても首肯しうるものであり、その史観を初めて示したという点において、『読史余論』は『愚管抄』や『神皇正統記』とは異なる画期性を持っている。
『読史余論』は、かかる名著でありながら、入手は容易でない。本文庫版は、原文(漢文)を読み下しただけのもので、注が付けられておらず、なおかつ戦前の版から変わっていないため、現代の読者には非常にハードルが高い。それでも、『読史余論』を手軽に読むことができるものだけに、価値の高さは強調してもしすぎることはない。是非一読されることをお勧めしたい。
原文では難しすぎるという方は、中公バックスシリーズの現代語訳で大意をつかんでからチャレンジするのも一案である。
2019年12月17日に日本でレビュー済み
〇6代将軍家宣に対する白石の講義原稿である。「本朝天下の大勢九変して武家の代となり、武家の代から五変して当代におよぶ」という。意外なほど既存の枠にとらわれずに歴史を自由に論じている。
〇白石は、儒者らしく因果応報を説く。頼朝は武将、政治家としては優れていたが、冷酷で親族を何人も殺すという悪行を犯したから子孫は繁栄せず北条に取って代わられたというのが良い例。また、くりかえし奢侈を批判し戒めている(例えば足利義家や義政に対する批判)。これは綱吉ごろから徳川幕府も奢侈に流れていることを暗に批判したものらしい。
〇また実務家らしく、政治、統治の要諦として大局観と賞罰の重要さ、公平な措置の大切さを説く。例えば、後醍醐天皇の建武の新政をまったく評価しない。武士が台頭し、その力を借りて政権を奪取したにも関わらす、領地を側近、愛妾、知人に分け与えて、功績ある武士に報いなかった旧態依然たる施策・無策が武士の離反を招いたとする。
〇また実利的でもある。寺院の建立を進めた鎌倉初期の僧について、その費用に対して実益なしと退けた頼朝を支持し、その後に実現された鎌倉五山に関しては批判的である。
〇高く評価するのは、北条泰時(3代目執権。頼朝の信頼が厚い。質素な生活を貫いた。御成敗式目を制定)、足利尊氏。足利義満などは考えもなく公家風(外戚を容れた)をまねたうえ大した人物ではないと言って評価が低い。義政も風流にカネを使ったとして厳しく批判している。
〇信長、秀吉、家康については、信長について近親者を容赦なく犠牲にした残忍さをもって、人倫に欠けるのでその因果を受けて滅んだと言う。ただしその功績と家康との良い関係から子孫は存続できた。秀吉も、乱世をうまく生きた人物だとしても、真の英雄ではない。深い考えはなく、はかりごとをもってうまく立ち回っただけだ。秀吉に人を見る目があったという人がいるが、そうでもない。五奉行と言っても小物ばかりだ。これに対して家康は、有力すぎる部下を作って将来の禍となるようなことはしなかったし、「諸侯の功績は民衆の目に見えるのでたたえられる。王者の仁成は広大でその徳が具体的に目に入らないので人々は気が付かないのだ」と述べるなど、考えが深かった。
〇白石は、儒者らしく因果応報を説く。頼朝は武将、政治家としては優れていたが、冷酷で親族を何人も殺すという悪行を犯したから子孫は繁栄せず北条に取って代わられたというのが良い例。また、くりかえし奢侈を批判し戒めている(例えば足利義家や義政に対する批判)。これは綱吉ごろから徳川幕府も奢侈に流れていることを暗に批判したものらしい。
〇また実務家らしく、政治、統治の要諦として大局観と賞罰の重要さ、公平な措置の大切さを説く。例えば、後醍醐天皇の建武の新政をまったく評価しない。武士が台頭し、その力を借りて政権を奪取したにも関わらす、領地を側近、愛妾、知人に分け与えて、功績ある武士に報いなかった旧態依然たる施策・無策が武士の離反を招いたとする。
〇また実利的でもある。寺院の建立を進めた鎌倉初期の僧について、その費用に対して実益なしと退けた頼朝を支持し、その後に実現された鎌倉五山に関しては批判的である。
〇高く評価するのは、北条泰時(3代目執権。頼朝の信頼が厚い。質素な生活を貫いた。御成敗式目を制定)、足利尊氏。足利義満などは考えもなく公家風(外戚を容れた)をまねたうえ大した人物ではないと言って評価が低い。義政も風流にカネを使ったとして厳しく批判している。
〇信長、秀吉、家康については、信長について近親者を容赦なく犠牲にした残忍さをもって、人倫に欠けるのでその因果を受けて滅んだと言う。ただしその功績と家康との良い関係から子孫は存続できた。秀吉も、乱世をうまく生きた人物だとしても、真の英雄ではない。深い考えはなく、はかりごとをもってうまく立ち回っただけだ。秀吉に人を見る目があったという人がいるが、そうでもない。五奉行と言っても小物ばかりだ。これに対して家康は、有力すぎる部下を作って将来の禍となるようなことはしなかったし、「諸侯の功績は民衆の目に見えるのでたたえられる。王者の仁成は広大でその徳が具体的に目に入らないので人々は気が付かないのだ」と述べるなど、考えが深かった。
2016年12月20日に日本でレビュー済み
史実を述べる部分とコメント部分に分かれる。史記や資治通鑑にあるアレである。史実の部分は大変よみにくい。そもそも講義草案みたいなものだからかもしれないが、どこから引用かよく分からないし、奔放に引用しているので、記述の主体(誰からみた史実か)が混乱しているし、氏を記さないで下の名前しか出てこないことが多く、メジャーな人物なら分かるが、そうでないと足利だか細川だか山名だか全然分からない。それに対して「按ずるに」ではじまるコメント部分はさすがに明快な文章である。しかしそれほどの卓見かなぁ。竹腰三叉などはずいぶん新井白石を買ってるようだが、当方はどうも好きになれない。荻生徂徠あたりとくらべると軽薄である。白石より千数百年も先んじて司馬遷は善人・義人でも悲惨な末路をたどることがあることに着目し、「天道是か非か」という深刻な問題提起をすでに行っているのに、「天は報応誤らずというべし」とかほざいてるんだから、退行している。そもそも名分論て間違ってるよね。名教の乱れと世の乱れが関係しているという儒教の観察は鋭いけれども、因果関係が逆でしょう。名教が乱れたから世が乱れるのではなくて、世の乱れが名教の乱れに現れるという方が自然だわナ。白石びいきの人は日本外史を読史世論の剽窃よばわりするけれども、外史の方が数倍読みやすくて面白いです。あと先行レビュアーが原文が漢文といってるのは間違いです。自跋は漢文だけど、本文は漢文じゃねえよ。読めば分かるだろう。ホントは読んでないんじゃないのか。