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戦争と平和(四) (新潮文庫) 文庫 – 2006/2/1
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ナポレオンの大軍は、ロシアの大地を潰走してゆく。全編を通してトルストイは、歴史を作るものは一人の英雄ではなく、幾百万の民衆の生活にほかならないという歴史観を明らかにしてゆく。また、アレクサンドル一世から一従卒まで、全登場人物559人のすべてを、個性ゆたかに生き生きと描き出すことによって構成される本書は、世界文学の最高峰とよぶにふさわしいであろう。
- 本の長さ657ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2006/2/1
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104102060162
- ISBN-13978-4102060162
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対象商品: 戦争と平和(四) (新潮文庫)
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【新潮文庫】『戦争と平和』シリーズ | ナポレオンのロシア侵攻を歴史背景に、十九世紀初頭の貴族社会と民衆のありさまを生き生きと写して世界文学の最高峰をなす名作。 | 青年貴族ネフリュードフと薄幸の少女カチューシャの数奇な運命の中に人間精神の復活を描き出し、当時の社会を痛烈に批判した大作。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (2006/2/1)
- 発売日 : 2006/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 657ページ
- ISBN-10 : 4102060162
- ISBN-13 : 978-4102060162
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 34,555位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 29位ロシア・ソビエト文学 (本)
- - 93位ロシア・東欧文学研究
- - 801位新潮文庫
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年2月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ナポレオン戦争のロシア側からの視点。
2023年8月12日に日本でレビュー済み
エピローグはトルストイの書き方が芸術的だからか、翻訳が悪いのか、わからないが難解。分かったようでわからないが、歴史は大勢の人間が動かしてゆくものであり、特定の人間が動かすものではない、という主張は理解できた。船の穂先が波間を切り裂く例えが秀逸。波間を切り裂く現象が見えるからと言って波間の切り裂きが船を進めていると思うのは間違いである、とある。ロシアのウクライナ侵攻もプーチン一人の意志ではなく、多くの人の意思があの侵攻を生んでいるということになり、プーチンがいなくなってもウクライナ侵攻は終わらないことになる。ウクライナ侵攻は終わるべき時に終わるとしか言えない。終わるべき時がいつなのかは誰にも分からないが。
2021年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小説というより論説かと思えます。歴史を語るなら読む必要あり。
2019年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
圧倒的な読後感だった。
これを上回るのはプルーストの「失われた時を求めて」くらいだ。
ページ数にしてどのくらいの差があるのか分からないが、ジョイスの「ユリシーズ」に匹敵するインパクトだった。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は、人物描写が、やや、ステレオタイプに感じた。
一方、トルストイはリアルだった。
ただ、実務家と理想家、日陰の女性と華やかな女性等の対比はあった。
しかし、なんといっても、誇大妄想的なナポレオンと老練なロシアの司令官クトゥーゾフとの対比が圧巻だった。
やや、理屈っぽ過ぎて冗長なエピローグに辟易とはしたが
歴史を動かすのは英雄ではなく微分的な民衆の魂であるという視点は頷けた。
だが、実際は両方によるのだろう。
民衆の魂を代表しない英雄はありえない。
元来、長編は苦手だが、その内、「復活」も読んでみたい。
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しかし、なんといっても、誇大妄想的なナポレオンと老練なロシアの司令官クトゥーゾフとの対比が圧巻だった。
やや、理屈っぽ過ぎて冗長なエピローグに辟易とはしたが
歴史を動かすのは英雄ではなく微分的な民衆の魂であるという視点は頷けた。
だが、実際は両方によるのだろう。
民衆の魂を代表しない英雄はありえない。
元来、長編は苦手だが、その内、「復活」も読んでみたい。
2023年3月21日に日本でレビュー済み
★3.2/2023年17冊目/3月3冊目/『戦争と平和(四)』(新潮文庫/新潮社)/トルストイ/P.657/2006年/781円+税 #読書 #読書2023 #読了 #読了2023
登場人物は総勢559人いたという。読了後、徒労感だけが残った。本書の評価点は「人物達の精神的発達、生活、友情、愛、家庭など、一切の個人生活の面が歴史的な面と有機的に結びついている」「ロシア精神を讃美する国民的叙事詩」、当時では画期的だったナポレオンなどの英雄を否定することだった。それを知るために私が払った時間的コストは膨大だった。ーーー私の生活は誰かが私のために演ずる愚かな喜劇のように思われた。…芸術は人生の鏡だ。人生がもはや意味を持たない時に、鏡の遊戯はもはや興を与えることはできない。p638
登場人物は総勢559人いたという。読了後、徒労感だけが残った。本書の評価点は「人物達の精神的発達、生活、友情、愛、家庭など、一切の個人生活の面が歴史的な面と有機的に結びついている」「ロシア精神を讃美する国民的叙事詩」、当時では画期的だったナポレオンなどの英雄を否定することだった。それを知るために私が払った時間的コストは膨大だった。ーーー私の生活は誰かが私のために演ずる愚かな喜劇のように思われた。…芸術は人生の鏡だ。人生がもはや意味を持たない時に、鏡の遊戯はもはや興を与えることはできない。p638
2020年8月19日に日本でレビュー済み
オードリーヘップバーン、ヘンリーフォンダ主演、キングビダー監督の手で映画化された名高い文学ですが、僕自身の感想は戦意高揚ものが流行る現代にこの作品は数え切れない登場人物とそれらの葛藤、人は何を支えて生きて行くかに主題が置かれて、また、映像表現では、まずできない愛、人間の弱さ、哀しみが浮き彫りにされていました。
直接の戦闘場面はあまりなく、あれほどにもナポレオンの横暴にも負けない庶民の逞しさ、著者トルストイの視点はやはり、人間愛にあったのでしょうね。
ナターシャが男に裏切られ、泣きわめくくだりはあまりに悲しい。
最終巻にさしかかり、登場する人達ともお別れ。そういう感情移入に寂しさ感じ、読み終えました。
直接の戦闘場面はあまりなく、あれほどにもナポレオンの横暴にも負けない庶民の逞しさ、著者トルストイの視点はやはり、人間愛にあったのでしょうね。
ナターシャが男に裏切られ、泣きわめくくだりはあまりに悲しい。
最終巻にさしかかり、登場する人達ともお別れ。そういう感情移入に寂しさ感じ、読み終えました。
2018年11月23日に日本でレビュー済み
希代の小説家たちが、“史上最も素晴らしい小説”と讃える『戦争と平和』。たとえば、博覧強記で知られる作家、辻原登は「まるで,神様が書いたような小説」(『東京大学で世界文学を学ぶ』)と最大限の賛辞を述べている。とはいえ、この小説をどう読むかは古来、議論を呼んできた。
本書は簡単に言うと、歴史的事実を下敷きにした壮大なフィクション、いわば歴史(的)スペクタクルである。19世紀初頭、ナポレオンがロシアに侵攻し、ロシア人の魂とも言えるモスクワが陥落するが、その後ナポレオンはフランスに敗走、結果的にロシアの勝利となる(1812年ロシア戦役)。物語は、この前後に繰り広げられた、主に貴族たちのドラマを描いている。
つまり、小説であることは間違いないのだが、この歴史の背景を知っていれば大河ドラマのように読むこともできるのである。しかし、歴史小説の面を重視して読むと本書の大部分を占めるフィクションの存在が気になるし、純愛や悲哀を描いた人間ドラマとして読むと著者の歴史観や哲理を語る部分が冗長に思えてこなくもない。著者は時に、力学や法学などを持ち出して、読者に物事(特に歴史の流れ)の道理を語り出す。ここまでして、この小説で訴えたかったこととは何だったのか、という読後感を味わわずにはいられなくなるのだ。
読者は,物語を読み進むうちに次のような著者の疑問に出合う。なぜ、ロシアは侵攻されたのか、なぜ,その後フランス軍はモスクワを離れることになったのか、ロシアのフランスに対する結果的な勝利は果たして必然だったのか、偶然だったのか……。
新潮文庫版の訳者である工藤精一郎の解説によると、本書にはもともと『1805年』という仮題が付けられていた。その他にも候補はあったようだが、この年はロシアとロシア人を題材に書き続けたトルストイにとって「わが国の敗戦と恥辱を書かずに、ボナパルトのフランスとの戦争の勝利を書くことは気がとがめる」(第4巻、解説より引用)と本人が語っているように、無視できない要諦の年であり、本書を執筆する大きなモチベーションになったようなのだ。
純粋に、彼は知りたかったのだろう。我が愛するロシアが、一時的とはいえフランスに完敗したその理由を。それは、本当にボナパルト(ナポレオン)一人のなせるわざだったのか。著者はさらに、ロシア軍がフランス軍をモスクワから追い払いパリまで撃退した理由をも考察する。それは、ボナパルトの責任だったのか、それとも、ロシア軍総司令官クトゥーゾフの功績か、有り体に言えば、“フランスはロシアに劣っていたのか、まさっていたのか”。これらの疑問は、ロシア人トルストイにとって決して忽せにできるものではなかったことが想像されるのである。
彼は、その解消の糸口を膨大な数の歴史書に求める。『戦争と平和』を書くにあたり、彼は内外の歴史書をひも解きながら調査を進めたはずである。だが、結果的にこの知の巨人を納得させるものは少しも見当たらなかった。諸学に造詣の深かったトルストイは、科学の功罪を認めつつも、歴史学の構造的・思想的欠陥を「科学的に」分析し、その当時までの歴史家たちが掲げてきた新/旧の歴史観の至らなさについて言及する。この小説が普通の小説でない理由の一つは、この自由奔放な構成と展開にあるのだろうが、いずれにしても、著者の大海を思わせる広大な知識量とそれを支えるマグマのような情熱、そして、神懸かり的な筆力なくして、このような小説が成功することはなかったろうと思われる。
「いかにしてロシアは負け、そして勝ったのか」。この問いは、やがて「戦争に端を発する民族大移動のような歴史的なイベントは、いかにして起きうるか?」という、より根本的な謎へと昇華する。彼がたどり着いた解答の一つは、従来の歴史観で示されるような、数人の歴史的重要人物に着眼してそのイベントの発生理由を求めるような方法では、まったく不十分という結論だった。
彼はこう考える。ある偉大な存在とその権力が、ある歴史の一事件を引き起こした最大で唯一の原因である、とする考えがそもそも間違いなのだと。もちろん、大きな歴史的な流れが,その偉大な存在の周りに作られていたことは事実だろう。しかし、その強力な流れ(権力)を生んだ源流(原因)を突き止めないかぎり、決して戦争(結果)の理由を知ることはできない。その機序を執拗なまでに追い求めるトルストイの姿を,読者はこの本の中に見出すことになる。
この著者は、名も無き無数の人々の存在とそれぞれが持つ小さな力の合算、すなわち合力によって歴史は作られるのだと主張する。戦争というあまりにも大きなイベントは、結局、そこに居合わせた人たちすべてが原因となった結果として起きるのであると。しかし、それが正しいとして、具体的な問題、たとえば、あの1812年ロシア戦役を具体的にひも解かんとする企図の容易ならざることは誰にとっても明らかのはずだ。「エピローグ」(第4巻)で繰り広げられるトルストイの考察からは、同時に彼の苦悩をも読み取ることができる。事実、それは彼をもってしても過大な仕事と言わざるを得ないのである。
それでもトルストイは、この歴史分析に果敢に取り組んだ。エピローグでは、権力者と民衆、必然と自由などの対比の言葉が掲げられて、歴史的な原因と結果を正確に結ぶために彼がたどった「解」への道筋が披瀝される。
民衆とは恣意的な主体の総体である。それらは、まったくの自由な存在として第三者の目には映る。しかし、果たしてそうなのだろうか。それらが、どうやって一つの歴史的イベントを作り出す原因足りうるのか。科学が目指すように、そこに法則性は見いだせないのか……。彼は、一見、自由に見えるものにも、それらを従属させている何か見えないものの存在に思い至る。地動説という“真理”にも、「私たちが動いていることを感じさせない」という見えない事実があったではないか! では、その個々の従属という小さな流れが、やがて合流して巨大な大河になるような歴史の法則とは何か、どうやってそれは導き出せるのか。しかし、その方法については最後まで語られない。
いや、トルストイは語っていたのである。あの戦争、あの歴史を語るに不可欠な人々――すなわち権力者はもとより、民衆たちのドラマをできるだけ語りつくすことが、従属の本質、つまり歴史の法則を語ることに等しい! これが彼の結論だったと推察されるのだ。この物語に登場する人物は、その数なんと559人。ピエール、ナターシャ、アンドレイ、マリア、ニコライといった、主要人物たちに力点が置かれてはいるものの、「我がロシア」を形作った下々の人々にまで目を向けて紙幅を割くという、歴史を語る上ではあまりにも遠回りな,しかしまさにその方法こそが、この『戦争と平和』でトルストイが探し当てた歴史の語り方だったのだろう。
ついでながら、本作の主人公たるピエールは、往時よりロシア貴族の教養の証とされたフランス語を操り(本文中の<>で囲まれた部分がそれ)、物語の初期にはロシアの仇敵ナポレオンの崇拝者として描かれる。その姿は、当時のロシアを映し出す真実の一面であり、トルストイとすれば屈辱の歴史、負の一時代を象徴するものだったはずだ。あえてこのような設定としたのは、リアリティの付加という意味合いもあろうが、そこにロシア人としての自戒の念を込めたという見方もできよう。事実、ピエールはトルストイ自身を投影した存在とされている。とはいえ、この“過ち”がまさにロシア・ナショナリズムの萌芽へとつながっていく。実際、物語の中のピエールはナポレオンを……(これは,読んでからのお楽しみ♡)。
さて、あらゆる人々を語ることで歴史を紡ぐという、この計画だけなら、それがいかに壮大なものであったとしても、この作品がここまで偉大になることはなかったはずだ。言うまでもないが、本書は膨大な資料をまとめて一つの新しい見解を世に問う「論文」の類いのものではない。本書を偉大な作品足らしめたのは、人物たちをあまりにも生き生きと描くことのできた文才、納得するまで草稿(それも、このような膨大な本の原稿)を書き直し続けられた情熱という、併せ持つのが難しい二つの性質を著者が有していたこと、そのことに尽きるのではないか。
たとえロシア人でなくとも、読者は克明に描写された登場人物たちの行動に一喜一憂させられる。いったん感情移入してしまったが最期、人物たちのどんな些細な行動にも魅惑のひとときを感ぜずにはいられない。大部な物語ではあるけれども、そう思わせないのは、上述してきた理念と魅力が、本書には常軌を逸するほどの神懸かり的なバランスでおさめられているからかもしれない。
本書は簡単に言うと、歴史的事実を下敷きにした壮大なフィクション、いわば歴史(的)スペクタクルである。19世紀初頭、ナポレオンがロシアに侵攻し、ロシア人の魂とも言えるモスクワが陥落するが、その後ナポレオンはフランスに敗走、結果的にロシアの勝利となる(1812年ロシア戦役)。物語は、この前後に繰り広げられた、主に貴族たちのドラマを描いている。
つまり、小説であることは間違いないのだが、この歴史の背景を知っていれば大河ドラマのように読むこともできるのである。しかし、歴史小説の面を重視して読むと本書の大部分を占めるフィクションの存在が気になるし、純愛や悲哀を描いた人間ドラマとして読むと著者の歴史観や哲理を語る部分が冗長に思えてこなくもない。著者は時に、力学や法学などを持ち出して、読者に物事(特に歴史の流れ)の道理を語り出す。ここまでして、この小説で訴えたかったこととは何だったのか、という読後感を味わわずにはいられなくなるのだ。
読者は,物語を読み進むうちに次のような著者の疑問に出合う。なぜ、ロシアは侵攻されたのか、なぜ,その後フランス軍はモスクワを離れることになったのか、ロシアのフランスに対する結果的な勝利は果たして必然だったのか、偶然だったのか……。
新潮文庫版の訳者である工藤精一郎の解説によると、本書にはもともと『1805年』という仮題が付けられていた。その他にも候補はあったようだが、この年はロシアとロシア人を題材に書き続けたトルストイにとって「わが国の敗戦と恥辱を書かずに、ボナパルトのフランスとの戦争の勝利を書くことは気がとがめる」(第4巻、解説より引用)と本人が語っているように、無視できない要諦の年であり、本書を執筆する大きなモチベーションになったようなのだ。
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「いかにしてロシアは負け、そして勝ったのか」。この問いは、やがて「戦争に端を発する民族大移動のような歴史的なイベントは、いかにして起きうるか?」という、より根本的な謎へと昇華する。彼がたどり着いた解答の一つは、従来の歴史観で示されるような、数人の歴史的重要人物に着眼してそのイベントの発生理由を求めるような方法では、まったく不十分という結論だった。
彼はこう考える。ある偉大な存在とその権力が、ある歴史の一事件を引き起こした最大で唯一の原因である、とする考えがそもそも間違いなのだと。もちろん、大きな歴史的な流れが,その偉大な存在の周りに作られていたことは事実だろう。しかし、その強力な流れ(権力)を生んだ源流(原因)を突き止めないかぎり、決して戦争(結果)の理由を知ることはできない。その機序を執拗なまでに追い求めるトルストイの姿を,読者はこの本の中に見出すことになる。
この著者は、名も無き無数の人々の存在とそれぞれが持つ小さな力の合算、すなわち合力によって歴史は作られるのだと主張する。戦争というあまりにも大きなイベントは、結局、そこに居合わせた人たちすべてが原因となった結果として起きるのであると。しかし、それが正しいとして、具体的な問題、たとえば、あの1812年ロシア戦役を具体的にひも解かんとする企図の容易ならざることは誰にとっても明らかのはずだ。「エピローグ」(第4巻)で繰り広げられるトルストイの考察からは、同時に彼の苦悩をも読み取ることができる。事実、それは彼をもってしても過大な仕事と言わざるを得ないのである。
それでもトルストイは、この歴史分析に果敢に取り組んだ。エピローグでは、権力者と民衆、必然と自由などの対比の言葉が掲げられて、歴史的な原因と結果を正確に結ぶために彼がたどった「解」への道筋が披瀝される。
民衆とは恣意的な主体の総体である。それらは、まったくの自由な存在として第三者の目には映る。しかし、果たしてそうなのだろうか。それらが、どうやって一つの歴史的イベントを作り出す原因足りうるのか。科学が目指すように、そこに法則性は見いだせないのか……。彼は、一見、自由に見えるものにも、それらを従属させている何か見えないものの存在に思い至る。地動説という“真理”にも、「私たちが動いていることを感じさせない」という見えない事実があったではないか! では、その個々の従属という小さな流れが、やがて合流して巨大な大河になるような歴史の法則とは何か、どうやってそれは導き出せるのか。しかし、その方法については最後まで語られない。
いや、トルストイは語っていたのである。あの戦争、あの歴史を語るに不可欠な人々――すなわち権力者はもとより、民衆たちのドラマをできるだけ語りつくすことが、従属の本質、つまり歴史の法則を語ることに等しい! これが彼の結論だったと推察されるのだ。この物語に登場する人物は、その数なんと559人。ピエール、ナターシャ、アンドレイ、マリア、ニコライといった、主要人物たちに力点が置かれてはいるものの、「我がロシア」を形作った下々の人々にまで目を向けて紙幅を割くという、歴史を語る上ではあまりにも遠回りな,しかしまさにその方法こそが、この『戦争と平和』でトルストイが探し当てた歴史の語り方だったのだろう。
ついでながら、本作の主人公たるピエールは、往時よりロシア貴族の教養の証とされたフランス語を操り(本文中の<>で囲まれた部分がそれ)、物語の初期にはロシアの仇敵ナポレオンの崇拝者として描かれる。その姿は、当時のロシアを映し出す真実の一面であり、トルストイとすれば屈辱の歴史、負の一時代を象徴するものだったはずだ。あえてこのような設定としたのは、リアリティの付加という意味合いもあろうが、そこにロシア人としての自戒の念を込めたという見方もできよう。事実、ピエールはトルストイ自身を投影した存在とされている。とはいえ、この“過ち”がまさにロシア・ナショナリズムの萌芽へとつながっていく。実際、物語の中のピエールはナポレオンを……(これは,読んでからのお楽しみ♡)。
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たとえロシア人でなくとも、読者は克明に描写された登場人物たちの行動に一喜一憂させられる。いったん感情移入してしまったが最期、人物たちのどんな些細な行動にも魅惑のひとときを感ぜずにはいられない。大部な物語ではあるけれども、そう思わせないのは、上述してきた理念と魅力が、本書には常軌を逸するほどの神懸かり的なバランスでおさめられているからかもしれない。
2012年5月21日に日本でレビュー済み
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ナポレオンのモスクワ占拠、そして撤退。ロシア侵攻から戦争は大きく動く。主人公ピエールの妻エレンの死。親友アンドレイ公爵の死。捕虜仲間のカタラーエフの死。戦場での死ばかりではなく、様々な死が描かれている。しかし、人はそうした悲惨極まりないなか至上の愛に至る。まさに、トルストイ文学の極まりが
ここにある。感動に次ぎ感動。
ここにある。感動に次ぎ感動。