ジャン=ピエール・メルヴィルの「サムライ」は個人的に大好きな作品である。
メルヴィルはヌーベルバーグの父的存在にしてもちろんフィルム・ノワールの名匠。
その作品群はハードでストイック、そして苛酷なのだが、今作はそれに加えて強烈なサスペンスが盛り込まれる。
例えば、序盤の容疑者取り調べのシークエンスだ。
ある殺し屋の男が依頼された仕事はナイトクラブのオーナー殺し。
今回も周到にアリバイ工作を進め、手際よく“仕事”を終えた男だったが、たまたま“現場”から出ていく処をピアニストの女に見られてしまう。
警察はその日のうちに容疑者を数十人連行するが、その中には男も含まれていた。
ピアニストの女を含め、クラブの関係者たちや男のアリバイを確認する為婚約者を呼び寄せ、何度も面通しと話を聞く警部。彼らの中には男が犯人に違いないと断言する者も居る。
果たして、男はこの窮地から逃れる事が出来るのか、、、。
20分近くにも及ぶ序盤のこのシーンはいつ見ても凄い。
幾つもの部屋を行き来しながら的確な指示と尋問を続ける警部、男を凝視しながら記憶を呼び戻そうとする証人たち、そしてそれらに動ずる事なく表情ひとつ変えない男。
静かに密やかに動き回り、かつアングルも変換するカメラ。
正に息詰まると言った形容が見事にハマる名シーンだと思う。
女の偽りの証言から難を逃れた男だが、警察からも“依頼人”からも付け狙われるようになって、、、。
今作の主人公は孤独なプロフェッショナル。
己の価値観とスタイルで“仕事”を黙々とこなす。
寡黙にて冷徹な殺し屋役は、アラン・ドロンにとってはお馴染みのハマリ役だ。
台詞は殆どないものの、切れのある動きと全身から醸し出される緊張感、甘く端正なマスクにもニヒルなクールさを秘めていて、男からしてもゾクッとする色気と怖さを感じる。
メルヴィル作品には、決してピーカンにはなり得ないどんよりとした色調で覆われた明暗のコントラストが曖昧な風景が支配している。
まるで、登場人物たちの内面を写し出すように。
名コンビたるアンリ・ドカエの、まるでモノクロームのような色彩を感じさせない中でのスタイリッシュな撮影に眩惑させられる。
ナルシスティックなまでに高められたその映像美学は、贅肉を削ぎ落としたかのようなストイシズムが漂う。
最後の最後に、再び息を呑むような緊迫感が迫る今作、果たして主人公の取る選択は何なのか?。
メルヴィルは、これを武士道に於けるいわゆるオトシマエ的なものだと語っていた気がするが、従来のメルヴィル作品にはない通俗的な甘さを感じる。
いや、この甘さこそ愛したいんだが。
ドロンを追い回す警部にフランソワ・ペリエ、この人は、「真夜中の刑事」でも「Z」でも警察や検察機構のトップを演じるとサマになる重厚な名バイプレーヤー。
ドロンの婚約者にナタリー・ドロン、もちろん当時のドロン夫人である。
メルヴィル作品の中ではやはり最も人気が高い今作、私は幸運にもDVDソフトを所有しているが、現在取引されている価格は如何にも高額だ。
今観ても、古さを感じさせない、と言うより、今の映画では味わえないフィルムから滲み出るようなクラシカルでクールなムードと色気に溢れた傑作。
再販しても、絶対売れると思うけどなぁ、、、。