バルザックでもディケンズでもトーマス・マンでもいいですが西洋の代表的な長編小説を思いかえしてみると、波瀾万丈、有為転変というと大袈裟だけれど、少なくとも人生の浮き沈み、出会いと別れ(死別もあり)といった、大小さまざまな出来事が起こって、長い時間の流れのなかで移りゆく人間の悲劇と喜劇、あるいは少なくともその哀歓を感得させる、そんなところに読者である私は惹かれてきました。そこにこそ西洋の長編小説の醍醐味がある、と。
このジェイムズの長編小説(1881年刊)はしかし、そんな私の期待からちょっとはずれるものでした。
この小説でもそれなりに時間は流れてゆき、また隠微で暗示的ではあれ愛憎関係もとくに後半浮かび上がってきて、その息苦しいまでの人間模様をめぐって延々とつづく精細な心理描写はたしかに読みごたえじゅうぶんともいえます.
が、しかしとにかくこれだけ長い小説なのに出来事らしい出来事はほとんど何も起こらないといってもいいぐらいです。
ようやく小説も最後のほうになってマール夫人の秘密が明かされるあたりで小説のなかに多少とも大きな起伏があらわれるかと思ったら、結局そのあとも何ごとも起こりません。
思えば、もしかすると本人にも周りにもいくらか小波乱をひきおこしたかもしれない、つまり小説の中でひとつの大きな出来事ないし山場になったかもしれないイザベルとオズモンドとの結婚(式)をめぐる記述もその前後の状況もふくめて小説からすっぱり省略されており、やはりこれはこれで小説家の明らかな創作意図があったのだろうと想像します。ただ読者とすればそのへんでも物足りないものを感じたといわざるをえません。
と、まあ書きましたが、この表面的には何も起こらないことこそがしかしヘンリー・ジェイムズの小説の真骨頂だといわれれば、ほんとうにそうなのかもしれませんが。
なお、イザベルの、結婚における義務を最後まで守ろうとする態度は、ヘンリー・ジェイムズ的主題としてたとえばヨーロッパ的な放逸とアメリカ的な潔癖との対立というようなかたちで小難しく考える必要もなく、あくまでイザベル一個人の格率ないし生き方の次元でとらえるべきではないかと思ったしだい。
翻訳は、ジェイムズの英文をよくぞここまで日本語にしたものだと思うぐらい、とても読みやすいものでした。この訳者で、例の難解をもって鳴るジェイムズ晩年三部作を読みたいものです。

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ある婦人の肖像 中 (岩波文庫 赤 313-6) 文庫 – 1996/12/16
ヘンリー ジェイムズ
(著),
行方 昭夫
(翻訳)
岩波書店HPより ヘンリー・ジェイムズ 行方 昭夫 訳 伯母の勧めで,ロンドン郊外の由緒ある豪邸を訪れたアメリカ娘イザベルは,そこにヨーロッパの円熟した文化を見出し,広大な世界が開けてゆくような陶酔感を味わった.やがてフィレンツェに在住のアメリカ人オズモンドと結婚,次々におそう試練に耐えて成長してゆくイザベルを見事な語り口で描くジェイムズ(1843-1916)の代表作(1881).
- ISBN-104003231368
- ISBN-13978-4003231364
- 出版社岩波書店
- 発売日1996/12/16
- 言語日本語
- 本の長さ373ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1996/12/16)
- 発売日 : 1996/12/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 373ページ
- ISBN-10 : 4003231368
- ISBN-13 : 978-4003231364
- Amazon 売れ筋ランキング: - 464,136位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2002年8月11日に日本でレビュー済み
19世紀アメリカ文学を代表するヘンリー・ジェイムズの初期の代表作。
ジェイムズの小説の主要なテーマである、ヨーロッパの文化(成熟、経験、退廃)とアメリカの文化(未成熟、未経験、無垢)の対比を軸にヨーロッパの美しい舞台のもと、将来に希望を馳せる無垢なアメリカ人女性、イザベルの人生が緻密に描かれていく。
作者の視点はどの登場人物からも一歩離れ、彼らの思考、感情、表情を細かく描写している。そのため読者はまるで映画のカメラを通して見るような形でイザベルの人生を眺めることになる。まさに言葉で描かれた一人の女性の「肖像」なのである。
ヨーロッパの文化とアメリカの文化の対比と述べたが、厳密にはアメリカ人としての純粋さをなくし、経験の故にずる賢くなったヨーロッパ在住のアメリカ人の中で、ヨーロッパを自分の目で見てみたいという強い希望を持ってやって来た若く聡明なアメリカ人女性が騙され、打ちのめされながらも、必死に自分の信じているものを守り貫こうとする物語となっている。しかし、単純にヨーロッパが悪で、アメリカが善という図式で成り立っている訳ではない。
才気に溢れ魅力的なイザベルが自分の判断力を信じ、自らの人生を選び取って幸せになれるはずであったのだが、自分の判断力を過大評価し、周りの意見や忠告にも耳を貸さない頑なさが災いして、思いもよらなかった運命に巻き込まれていく。気が付かぬうちに、確かにヨーロッパ化したアメリカ人の策略にはめられてしまうのだが、結局、これはイザベル自身が選んだ結果であり、周りの意見を聞いて、考慮しうることができたとしたら、防げたかもしれない運命なのである。
また、ヨーロッパ化したアメリカ人にもどことなく喪失感が漂っており、祖国にもヨーロッパにも完全に根を生やせなくなってしまった空虚さが、彼らの人物像に深みを与えているのである。
作者はイザベルを単に悲劇のヒロインとしてその人生を描くのではなく、ある一人の女性の心の襞を丁寧に描いて、一枚の「肖像を」作り上げている。
読者はその「肖像」を自分の好きな角度で鑑賞できる魅力がこの作品にはあると思う。私は、挫折をしながらも不器用なまでにの信念を通そうとするイザベルの生き方が好きである。自分で選んだことに対して責任を持つということを彼女は放棄することをしない。
自分だったら同じ生き方はできないかもしれない、そう思いつつ彼女の生き方から目が離せなかった。是非一度手に取って、自分がイザベルだったらどうするかを想像する楽しみを味わっていただきたい。
ジェイムズの小説の主要なテーマである、ヨーロッパの文化(成熟、経験、退廃)とアメリカの文化(未成熟、未経験、無垢)の対比を軸にヨーロッパの美しい舞台のもと、将来に希望を馳せる無垢なアメリカ人女性、イザベルの人生が緻密に描かれていく。
作者の視点はどの登場人物からも一歩離れ、彼らの思考、感情、表情を細かく描写している。そのため読者はまるで映画のカメラを通して見るような形でイザベルの人生を眺めることになる。まさに言葉で描かれた一人の女性の「肖像」なのである。
ヨーロッパの文化とアメリカの文化の対比と述べたが、厳密にはアメリカ人としての純粋さをなくし、経験の故にずる賢くなったヨーロッパ在住のアメリカ人の中で、ヨーロッパを自分の目で見てみたいという強い希望を持ってやって来た若く聡明なアメリカ人女性が騙され、打ちのめされながらも、必死に自分の信じているものを守り貫こうとする物語となっている。しかし、単純にヨーロッパが悪で、アメリカが善という図式で成り立っている訳ではない。
才気に溢れ魅力的なイザベルが自分の判断力を信じ、自らの人生を選び取って幸せになれるはずであったのだが、自分の判断力を過大評価し、周りの意見や忠告にも耳を貸さない頑なさが災いして、思いもよらなかった運命に巻き込まれていく。気が付かぬうちに、確かにヨーロッパ化したアメリカ人の策略にはめられてしまうのだが、結局、これはイザベル自身が選んだ結果であり、周りの意見を聞いて、考慮しうることができたとしたら、防げたかもしれない運命なのである。
また、ヨーロッパ化したアメリカ人にもどことなく喪失感が漂っており、祖国にもヨーロッパにも完全に根を生やせなくなってしまった空虚さが、彼らの人物像に深みを与えているのである。
作者はイザベルを単に悲劇のヒロインとしてその人生を描くのではなく、ある一人の女性の心の襞を丁寧に描いて、一枚の「肖像を」作り上げている。
読者はその「肖像」を自分の好きな角度で鑑賞できる魅力がこの作品にはあると思う。私は、挫折をしながらも不器用なまでにの信念を通そうとするイザベルの生き方が好きである。自分で選んだことに対して責任を持つということを彼女は放棄することをしない。
自分だったら同じ生き方はできないかもしれない、そう思いつつ彼女の生き方から目が離せなかった。是非一度手に取って、自分がイザベルだったらどうするかを想像する楽しみを味わっていただきたい。