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懐風藻 (講談社学術文庫) 文庫 – 2000/10/10
江口 孝夫
(著)
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購入オプションとあわせ買い
751年に編纂された日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』は、『風土記』『古事記』『日本書紀』『万葉集』と並ぶ国家創成時の貴重な史料、魅力満載の文学作品である。近江朝から奈良朝時代、律令制天皇国家樹立をめざした大友皇子、大津皇子、藤原宇合(ふじわらのうまかい)や遣唐留学生などの詩、新時代への讃美や清新溌刺とした若き気漲(みなぎ)る佳品、120編の文庫版初の全訳注。
- 本の長さ400ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2000/10/10
- 寸法10.8 x 2.5 x 14.8 cm
- ISBN-104061594524
- ISBN-13978-4061594524
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商品の説明
著者について
1928年、千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。国文学者、元東京成徳大学日本語日本文化学科教授。著書に『説話世界の英雄たち』『夢と日本古典文学』『古都研修提要』『日本古典文学夢についての研究』『奥の細道の踏査研究』『俳諧と川柳狂句』など多数。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2000/10/10)
- 発売日 : 2000/10/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 400ページ
- ISBN-10 : 4061594524
- ISBN-13 : 978-4061594524
- 寸法 : 10.8 x 2.5 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 221,947位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 273位日本の古代・中世文学
- - 723位講談社学術文庫
- - 37,651位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2016年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
原文、現代語訳、解説が全て一冊で済む文庫は講談社版のみ。初学者には最適な一冊だ。
2015年11月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
よくできている本です
友人と読みあいながら 詩吟のヒントにしています
さすが講談社 手ごろな価格が すごい
友人と読みあいながら 詩吟のヒントにしています
さすが講談社 手ごろな価格が すごい
2016年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
残念ながら原文を読むことができませんの、よい解説書となっています。これからも活用します。
2013年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「懐風藻」は期待通りの商品で万葉集解読の為の参考資料になっています。
2021年12月21日に日本でレビュー済み
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有名な葛野王伝の書き下し文はたぶん天和刊本等に拠ったのだろうが、他の諸本と大きく異なるこの本文をあえて採用した理由が不明。しかも現代語訳は天和刊本以外の諸本に沿ったものとなっていて、書き下し文と現代語訳がまったく対応していない。どうしたらここまで杜撰な仕事がいい加減な仕事ができるのか首をひねる。
2013年8月5日に日本でレビュー済み
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どうも頭がついていけず、理解不足でした。もっと読み込むといいんでしょうけど。
2005年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的に万葉集で、思わず涙してしまうのは、大津皇子の悲劇を中心にした歌の数々。
大津皇子や姉の大伯皇女の歌を口にすると、そのあまりに哀切な響きに目頭が熱くなります。
自分はまったく学歴も教養も経済力もない人間なのですが、文武に優れたといわれる大津皇子の
漢詩が読めるということで、思わずこの本を買ってしまいました。
さっそく「臨終」などを読んでみましたが漢詩でもまた感動...。
折口信夫『死者の書』とともにファン必携の一冊ではないでしょうか。
文庫本としては、大きなマーケットを望めないジャンルなためか、ちょっとお高いのが残念ですが、
買って損はないと思います。
大津皇子をのぞいても、気紛れにページを開き、さまざまな作品にふれたことで、日本文化の原点のひとつが
垣間見えたような気もします。
なんといっても漢文は、平安期まで公用語として行政や文化の中心だったのですから...
大津皇子や姉の大伯皇女の歌を口にすると、そのあまりに哀切な響きに目頭が熱くなります。
自分はまったく学歴も教養も経済力もない人間なのですが、文武に優れたといわれる大津皇子の
漢詩が読めるということで、思わずこの本を買ってしまいました。
さっそく「臨終」などを読んでみましたが漢詩でもまた感動...。
折口信夫『死者の書』とともにファン必携の一冊ではないでしょうか。
文庫本としては、大きなマーケットを望めないジャンルなためか、ちょっとお高いのが残念ですが、
買って損はないと思います。
大津皇子をのぞいても、気紛れにページを開き、さまざまな作品にふれたことで、日本文化の原点のひとつが
垣間見えたような気もします。
なんといっても漢文は、平安期まで公用語として行政や文化の中心だったのですから...
2020年2月26日に日本でレビュー済み
良い点
1 新本で買える唯一の解説書。
残念な点
1 作者紹介の原文がない。
2 解説者の漢文の理解に疑問を感じる。
懐風藻は現存する日本で最古の漢詩集です。作者ごとに四六駢儷の美文の紹介が付いています。大げさな表現ながらも人物を知る数少ない手掛かりです。その原文がありません。読下し文と現代語訳だけです。原文は在野の研究者がネットに上げているのでそちらを参照することはできます。
解説者は国文学が専門なのか原文を軽視しているように感じます。この本の解説は読下し文が主で原文が従です。詩の響きを読下し文で論じています。奈良時代に漢文の読下しが行なわれていたのかさえ分かっていません。当時も現在の詩吟のように読下し文を詠じていないとは言えませんが、少なくとも詩を作る時は、読者として母語話者や当時の漢字文化圏の教養人を想定しないはずはありません。何のために平仄を合わせ韻を踏むのでしょう。
漢文を読むのに必要な知識は漢文法と故事に由来する熟語です。熟語は江戸時代の学者たちが出典に基づいて解説しています。それを写せば一通りの説明は出来ます。しかし漢文法の基礎を知らないとおかしな現代語訳になってしまいます。そういう場面が所々にあります。この本の現代語訳は原文ではなく読下し文に基づいているようです。
大津皇子の春苑言宴の「開衿臨霊沼」を「御所の池のほとりにくつろぎ」と訳していますが、これは「衿を開き、つまり心を開放した状態で貴い池にやってきた」のです。くつろいだ状態で来たのであって、来てからくつろいだのではありません。他にも疑問がありますが、同じく「群公倒載帰」は宴会に招かれた人が酔って帰ることを表現したものですが、これを「酔って正体のない者を物質を扱うように処理している」と解説しています。大酒のみの山簡という伝説上の人物が語源ですが、山簡倒載は、酒を入れた荷物の容器を空にするまで飲んだとも、持ち物を逆に積んで帰ったとも、馬に前後逆に乗って帰ったとも言われています。前後不覚になるまで飲んだことに間違いはなさそうですが、人間を上下逆にして車に積むのではありません。倒を他動詞と見て載を名詞と見るか、倒と載を自動詞と見るかです。
大津皇子の辞世の詩の起句の「金烏臨西舎」を「太陽は西に傾き」と訳していますが、西舎に近付いているのです。その西舎が何であるかわかりません。一説には皇子の家と言われます。あるいは刑場から見える街の家々かもしれません。漢文は単複を区別しません。あるいは太陽が帰る西舎という解釈があるのかもしれません。
承句の「鼓声催短命」を「夕べの鐘に短い命が身にしみる」としていますが、近松門左衛門と混同していませんか。鐘ではなく時を伝える太鼓です。自動車も拡声器もない時代です。高い建物もありません。太鼓の音は広い範囲に伝わります。また「催」は「急き立てる」です。処刑の時刻が迫っています。転句の「泉路無賓主」は「泉途を行くは一人の旅」という訳です。招かれる客も招く主人もないという意味ですが、一人の旅でも誰かには会いますよね。結句の「此夕誰家向」は流布本では「此夕離家向」です。この本の訳は「夕ぐれどこへ宿ろうとするのか」です。「誰家向」は文法に合いませんから「離家向」を選びたい。家を離れて向かう先は転句の「泉路」です。
なお「命」と「向」は韻を踏んでいませんが、語末の子音は同じですし、その前の母音は日本語話者には似た音に聞こえます。参照する本もない場面です。仕方ありません。このような状況でもこれだけの詩を作れる皇子の頭脳の明晰さと精神力はすごいと思います。反対勢力から見れば倒さなくてはならない強敵です。
スペインのMartinezが描いた名画を勝手に修復したおばさんがいましたが、皇子が深い意味を込めた詩を読下し文の日本語から自己流に解釈して単純化してしまうのはそれと同じと感じました。それだけでも読んでいて嫌になりますが、漢文法の知識が覚束ないのに、他の学者の受け売りで多くの詩の欠点を高所から難じています。自分に作れないものを評価する権利があるのでしょうか。読み下し文を現代語訳するのではなく、原文の微妙な意味を理解してほしいと思いました。
懐風藻の詳しい解説を読みたいなら林古渓(林作次郎)著『 懐風藻新註 』をお勧めします。林さんも詩の巧拙に厳しいのですが、現代のように平仄や韻を参照する漢和辞典もありません。その上懐風藻が成立した時点で日本に行われた漢字の音は漢音ではなく呉音です。その点を考慮して評価して欲しかったと思います。
1 新本で買える唯一の解説書。
残念な点
1 作者紹介の原文がない。
2 解説者の漢文の理解に疑問を感じる。
懐風藻は現存する日本で最古の漢詩集です。作者ごとに四六駢儷の美文の紹介が付いています。大げさな表現ながらも人物を知る数少ない手掛かりです。その原文がありません。読下し文と現代語訳だけです。原文は在野の研究者がネットに上げているのでそちらを参照することはできます。
解説者は国文学が専門なのか原文を軽視しているように感じます。この本の解説は読下し文が主で原文が従です。詩の響きを読下し文で論じています。奈良時代に漢文の読下しが行なわれていたのかさえ分かっていません。当時も現在の詩吟のように読下し文を詠じていないとは言えませんが、少なくとも詩を作る時は、読者として母語話者や当時の漢字文化圏の教養人を想定しないはずはありません。何のために平仄を合わせ韻を踏むのでしょう。
漢文を読むのに必要な知識は漢文法と故事に由来する熟語です。熟語は江戸時代の学者たちが出典に基づいて解説しています。それを写せば一通りの説明は出来ます。しかし漢文法の基礎を知らないとおかしな現代語訳になってしまいます。そういう場面が所々にあります。この本の現代語訳は原文ではなく読下し文に基づいているようです。
大津皇子の春苑言宴の「開衿臨霊沼」を「御所の池のほとりにくつろぎ」と訳していますが、これは「衿を開き、つまり心を開放した状態で貴い池にやってきた」のです。くつろいだ状態で来たのであって、来てからくつろいだのではありません。他にも疑問がありますが、同じく「群公倒載帰」は宴会に招かれた人が酔って帰ることを表現したものですが、これを「酔って正体のない者を物質を扱うように処理している」と解説しています。大酒のみの山簡という伝説上の人物が語源ですが、山簡倒載は、酒を入れた荷物の容器を空にするまで飲んだとも、持ち物を逆に積んで帰ったとも、馬に前後逆に乗って帰ったとも言われています。前後不覚になるまで飲んだことに間違いはなさそうですが、人間を上下逆にして車に積むのではありません。倒を他動詞と見て載を名詞と見るか、倒と載を自動詞と見るかです。
大津皇子の辞世の詩の起句の「金烏臨西舎」を「太陽は西に傾き」と訳していますが、西舎に近付いているのです。その西舎が何であるかわかりません。一説には皇子の家と言われます。あるいは刑場から見える街の家々かもしれません。漢文は単複を区別しません。あるいは太陽が帰る西舎という解釈があるのかもしれません。
承句の「鼓声催短命」を「夕べの鐘に短い命が身にしみる」としていますが、近松門左衛門と混同していませんか。鐘ではなく時を伝える太鼓です。自動車も拡声器もない時代です。高い建物もありません。太鼓の音は広い範囲に伝わります。また「催」は「急き立てる」です。処刑の時刻が迫っています。転句の「泉路無賓主」は「泉途を行くは一人の旅」という訳です。招かれる客も招く主人もないという意味ですが、一人の旅でも誰かには会いますよね。結句の「此夕誰家向」は流布本では「此夕離家向」です。この本の訳は「夕ぐれどこへ宿ろうとするのか」です。「誰家向」は文法に合いませんから「離家向」を選びたい。家を離れて向かう先は転句の「泉路」です。
なお「命」と「向」は韻を踏んでいませんが、語末の子音は同じですし、その前の母音は日本語話者には似た音に聞こえます。参照する本もない場面です。仕方ありません。このような状況でもこれだけの詩を作れる皇子の頭脳の明晰さと精神力はすごいと思います。反対勢力から見れば倒さなくてはならない強敵です。
スペインのMartinezが描いた名画を勝手に修復したおばさんがいましたが、皇子が深い意味を込めた詩を読下し文の日本語から自己流に解釈して単純化してしまうのはそれと同じと感じました。それだけでも読んでいて嫌になりますが、漢文法の知識が覚束ないのに、他の学者の受け売りで多くの詩の欠点を高所から難じています。自分に作れないものを評価する権利があるのでしょうか。読み下し文を現代語訳するのではなく、原文の微妙な意味を理解してほしいと思いました。
懐風藻の詳しい解説を読みたいなら林古渓(林作次郎)著『 懐風藻新註 』をお勧めします。林さんも詩の巧拙に厳しいのですが、現代のように平仄や韻を参照する漢和辞典もありません。その上懐風藻が成立した時点で日本に行われた漢字の音は漢音ではなく呉音です。その点を考慮して評価して欲しかったと思います。