単純な再現ドラマだけの構造にせず、監督と再現ドラマを演じる俳優たちによる
ディスカッション、阮玲玉本人が出演する現存のフィルム、
今は老人となった当時の関係者たちへのインタビューを組み合わせた重層的な構造が本作の目玉である。
一般的な再現ドラマにありがちな対象の偶像化や視点の偏りを回避し、
伝説の女優の本質により深く切り込もうとする作り手の意欲と
全方位的に客観的な視点を保とうとする姿勢が強く打ち出された構造である。
特筆すべきは、当時の関係者たちへのインタビューが、
しばしば再現ドラマを演じる俳優たちによって眺められ議論される映像資料として
間接的に画面に示されることだ。
このため、現実の当事者たちの語る「史実」が、
あたかもそれ自体が一般的な劇における劇中劇の様な虚構性を帯びてくる。
阮玲玉の記憶を語る生き証人であり、
彼ら自身も往年の大監督であったりはたまたスター女優であったりする
関係者たちの現在の姿と発言に対し、
劇中におけるリアルタイムで再現ドラマを作る關監督と俳優たちは時として皮肉で残酷な視線さえ投げかける。
もっともその彼らにしても画面の外側から更に観客の無遠慮な視線に晒される立場におり、
彼らの発言にもそうした自覚が感じられる。
例えば、阮玲玉の親友で自身も’30年代を代表するスター女優だった黎莉莉のインタビュー映像を眺めた劉嘉玲は、
「もうすっかりおばあさんだわ。私もこうなるの?」
と再現ドラマで自身が演じる大先輩の近影に哄笑とも苦笑とも知れぬ笑いを漏らす。
観客はここで溌溂たる姿態を誇る劉自身も生き続ければ
やがてはインタビュー中の黎莉莉の様に年老いていく自然の摂理を想起せざるを得ない。
若くして命を絶った阮玲玉の面影はそうした残酷の歳月の波を逃れて永久に美しいままだが、
「私はこんな風には生きない」と語る張曼玉を介して描出されるその人生はやはり苛酷で痛ましい。