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地球生命圏: ガイアの科学 単行本 – 1984/10/1
- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社工作舎
- 発売日1984/10/1
- ISBN-104875020988
- ISBN-13978-4875020981
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商品の説明
商品説明
1970年代、NASAによる火星探査に先立つ地上調査が行われ、著者らが火星と地球ではその大気組成に大きな違いがあることを発見した。そして導き出されたのが、地球の大気組成はきわめて不思議な非平衡状態にあり、地球を総体としてその平衡状態を自動調節する機能(サイバネテックス)を持っている有機体、つまり巨大な一個の生命体とみなす、という大胆な仮説であった。
原著発刊当時、ガイア仮説はほとんど無視された。リン・マーギュリスとカール・セーガンを除いて。しかし、後にオートポイエーシスや自己組織化の地球生成などとともに認められるようになった。
太古の苛酷な地球環境(太陽はまだ弱々しく、強烈な放射線にさらされ、遊離酸素がほとんど存在しない状態)から生命の旅が始まったという。ラヴロックは努めて悲観的になり過ぎないよう、科学的洞察力と平常心をもって仮説を説こうとしている。たとえばレイチェル・カールソンの悲観論にやんわりと反意を表すというように。彼の視点は、今日のエコロジストの心情からすればあまりにも楽観的に思えるかもしれない。第7章「ガイアと人間― 汚染問題」の末尾で、「唯一の汚染― それは人間なり」と言っているのは彼の本心でもあり、人間中心主義に対して唯一見せたシニシズムでもあろう。
また、この訳者による翻訳は全般的にわかりやすく良質である。しかし、“訳者後記にかえて”は翻訳者の立場を越えて自己主張しすぎであり、読むに耐えない。また、そこに書かれている内容は一部明らかにナイーブすぎる。本文中にも訳注と称して妙な疑問や間の手を差し込んでいるのは笑止なだけでなく、著者に対して不誠実であり、同時に編集者の良識を疑うものである。(澤田哲生)
登録情報
- 出版社 : 工作舎 (1984/10/1)
- 発売日 : 1984/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 296ページ
- ISBN-10 : 4875020988
- ISBN-13 : 978-4875020981
- Amazon 売れ筋ランキング: - 177,983位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,037位歴史・地理 (本)
- - 9,552位科学・テクノロジー (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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著者のジェームズ・ラヴロック氏は1970年代にNASAの依頼で火星に生物が存在するか否かの研究を始める。そこで、地球と火星の大気の比較分析をするのだが、二酸化炭素が9割超を占める火星(金星も同じ)に対して、地球の大気の組成は窒素が8割、酸素が2割と「不自然に」大きく乖離している。それは何故なのか。そこで氏が気がついたのは、生命体が介在しなければ、地球のような組成の大気はあり得ないこと、そして、何億年もそれを維持できないことだったのである。地球も生命がいなければ理論上火星と同じ組成の大気になる。そして、そうなれば、我々人間を含めて酸素呼吸をする生命体は誕生も生存もできないのである。
大気中の酸素や窒素の濃度に止まらず、海水の塩分濃度や温度に至るまで、どうやって「ガイア」が調節をしているのか、著者の論考は続く。本書執筆の時点で仮説、推論の域を出ていないとは言え、誰もバクテリアを中心とした地球上の生物が惑星の環境をコントロールしているという仮説を否定することはできないだろう。現代に生きる我々は、科学的に証明されていないことは事実ではなく、とるに足らないものだと考えがちだ。しかし、それは20世紀以前の考え方だろう。そもそも科学は万能ではなく、人間の極めて不完全な知覚と頭脳でわかることなどたかが知れている、と考えることがこれからの人類の心構えとして必要だと思う。宇宙や自然など人間が創ったものでないものへの畏敬である。
自らの物質的かつ刹那的な繁栄のために、地球を「破壊」している人類。GDP成長率や貿易収支で一喜一憂する前に、知っておくべきことがあるとすれば、まさにこの「ガイア仮説」である。私たちの世代は半世紀前に「人命は地球より重い」と教えられ、地球は無限に近いほど大きいものだと漠然と思っていた。しかし、実際には、地球は有限の惑星であり、そして自然はいとも簡単に人間によって破壊できるものであった。今になって思えば、我々は単に「無知」であったのだ。いや、まだ過去形にはできない。未だに無知なのである。人類の進化は無知からの脱却にある。とすると「ガイア仮説」は学校で教えるべきである。これを知った上で人類はこれからの経済、政治、社会を考えるべきである。「無知」もダメだが、本書を読んで、ここに書かれた大切なことを「無視」してもイケナイ。
しかし、それを科学という必要があるだろうか。
科学信仰の先に、生物主観を接ぎ木したことによって生まれる視点で、
何か見えるものがあれば、それは仮説として受け入れてもよい。
しかし、全体を科学という必要はないかもしれない。
環境問題を真剣に考えている!!
そんな方は、必読の一冊!!!
地球の鼓動が聞こえてきます!!!!
フィールドを通じて、押しも押されぬ有名仮説になった感すらある。
本書を出版した工作舎は、かの松岡正剛が主宰した出版社で、当時、ニューエイジ風の
生命論がらみの東洋的?有機体的世界観に呼応するような著作を多く扱っていた。
ガイア仮説自体は著者自身もいうようあくまで仮説であって、システムのトータルな機能、
やその実在が照明されたわけではない。何故ならこの仮説は「生物」の定義すら見直しを
迫る根本的な問いを本質とするものだからだ。単にフィードバックが働くという機能面だ
けをもって比喩的な概念として「ガイア」が提出されているわけではなく、文字通り「地
球は生きている」ことを主張しているからだ。
環境がビジネスでも無視できないテーマとなり、田坂広志あたりが遅ればせながら「生命
論的パラダイムの時代」を口にし始めるにつれ、ガイア仮説は地球規模の環境問題を語る
時におさえておかにゃならない物の見方になっている、とそんな雰囲気だけど
どこか余計な精神的なものがくっついてる感じがいやだなあ・・・
ラヴロックは具体的に地球上の生命体と地質があいまって働いて全体を維持している様を描こうとしますが、その際メインの存在は我々人類とわたしたちの見知った生物ではなく微生物が主役の位置にたちます。例えばメタンガス、つまり「おなら」が地球の大気圏を維持する層になるわけですが、それを作り出す微生物の住みかとして私たち動物の腸が挙げられます。
こうした視点からすれば私たちは微生物の住みかとしての役しか与えられてないことになります。
人間とその眼の届く範囲の自然、といった通常の人間中心主義エコロジーと大きく違い、公害にせよ人口増大にせよ人間の影響なぞ歯牙にもかけない微生物と地質、海草の世界が描かれます。