本書は、
『歴史とユートピア(1960年)』に次ぐ5番目の作品で、
アフォリズム集ではなく、散文体といった形式で書かれている。
また、他書の『カイエ』にて、
「『時間への失墜(1964年)』最後の7ページ
これは私が書いた、一番いいもので、ことの他、愛着があります。
書くのにえらく~。」
とあるように、
後退しながら観想し、経験し続けてきた53歳のシオランさんが至った、
ひとつの境地を垣間見ることができる書であり、
時間(存在)と、
己の孤立の精神世界(非ー存在)を対比させながら、
自らの精神世界と経験を回想し、
至った境地を反哲学し断言しながら箴言をつきつけ、
さらに埒外の空間に向けて人間性を棄てていく。
時間とは、
アダムに始まる人類の歴史から根付いた呪詛のようなものであり、
時間を誹謗すれば時間は復讐し、
物乞いの境遇にわたしたちを落とし、
時間を懐かしむように強いるものである。
(時間=地獄の中の「期待の慰め」という幻想=歴史、労働、文明、生成、教義など)
(倦怠、ノスタルジーといった二重の喪失の反芻が、それである。)
時間からの後退と埒外へ至る空間が、
一種、精神世界の救いの境地ではあるが、
時間の内部から見た人間にとって、
その外側にいる人間は非人間であるとみなされる為、
どちらにしても、さほど地獄に変わりないことが、
本書から考察できる。
(文明の時間、文明から離脱した精神世界の永遠の空間)
孤独への回帰は、
鎖の数が多い地獄から、
少しだけ鎖を取り外された地獄へ移行できる。
(有機物、おびえ、不安定)
(無機物はみずからに充足)
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1章 生命の樹
2章 文明人の肖像
3章 懐疑論者と蛮
4章 悪魔は懐疑論者か
5章 名誉欲と名誉嫌い
6章 病気について
7章 最古の恐怖ートルストイについて
8章 知恵の危険
9章 時間から墜ちる…
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【序列の考察】
1 時間への失墜(権力執着、ユートピア歴史の構造、ノルム、反醜悪、生誕の災厄、袋小路)
2 脱離、境界、孤独への回帰(狂気と向き合う空間、反ノルム)
3 死、虚無、空無、埒外への後退(外延)
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【1 時間への失墜】
(此岸の永遠の中に入る人間)
(人間は道を間違えている失墜する、運命を誤魔化しながらには進めない失墜への道)
(いまや人間にとって問題は永遠からの失墜ではなく時間からの失墜)
(時間=歴史からの失墜、宙ぶらりんの生成=失墜との順応の過程=衰弱、過剰の生成)
(私たちそれぞれの<星>は消滅し、科学と化学の奴隷)
・雄大な迂路を介して時間からの失墜に導かれ不可避の最終段階に入ることとなろう
・時間への順応、失墜への順応の過程が「歴史、文明」
・時間を絶対の代用品として仕立て上げる(カオスの否定、自由の否定)
・時間の中に孤立した存在と非ー存在の関係を取り込んでしまった時間
・時間を自分の強迫観念の材料にするという、そのことのために時間を奪われた
・時間に対する権利喪失という不幸
・生きるとは可能事の魔力に屈することだ
・憂鬱—倒錯的嗜好、新しいものへの恐怖
・要するに<お上品な>人間は、事実上は頭の狂った人間だ
・<黙って堪えている>人間場合も事情は変わらない
・羞恥心、非実在性を隠すための知という仮面を作り続ける
(時間を対象に変え、自我も同じように分析し分類する)
【2 脱離、境界、孤独への回帰】
・一者の破壊—非ー知
・無名性、永遠を生成と交感、存在からの脱走
・事実の埒外に出る→全ての埒外にいるもの理解
・人間具現の観念の忘却化
・<想像する>とは明視を禁じる
・多様性の虚偽、雑多なものへの欺瞞性を感知しない勇気、幸運を持つ
・一日15分、吼える能力を身に着けるべきだろう
(嗜好室をつくる、明視と節度の鎖を払いのける)
【3 死、虚無、空無、埒外への後退】
・生と死を平然と見下すこと、無意味、虚無
・内部に狂人が存在していた限り恐れなければならないものは何もなかった
・無感、無一物になった私たちに残るものは、
すべてを抹殺しつくす笑いという手段
・感受性の公認の様式、歴史から追放された人類の常態
・もうそんなことはほとんどどうでもいいことだ
(時間の内部から出てしまえば、世俗は無意味)
・時間の世界に自分が追放された第二の楽園
・時間が私に親しいものであった時期は、
記憶にも残っていない疎遠なものであり、もはや私の生の一部ではない
・血の表現様式である咆哮は
私たちの力を掻き立て強化し、時には癒してくれる
幸いにも嗜好に溺れこむとき
一挙に遠い祖先の近くにいることを感じるが
その洞窟の中では誰もが、
洞窟の壁に塗りたぐっていたものも
たえず吼えていたに違いない
・この幸福の時代とは反対に、ひどく不様に組織化された社会を生きなければならず
差し障りなく吼えることができる場所はといえば精神病院しかない
・こうして私たちは他人に対する恐怖から、自分自身に対する恐怖から
自由になる唯一の方法を禁じられてしまったのだ
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E・M・シオラン選集 (4) (E.M.シオラン選集 4) 単行本 – 2004/7/1
- 本の長さ172ページ
- 言語日本語
- 出版社国文社
- 発売日2004/7/1
- ISBN-10477200159X
- ISBN-13978-4772001595
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登録情報
- 出版社 : 国文社 (2004/7/1)
- 発売日 : 2004/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 172ページ
- ISBN-10 : 477200159X
- ISBN-13 : 978-4772001595
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,115,791位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- - 2,115位西洋哲学入門
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いきなりこういう文章がある。さすが反哲学者と称するだけある。
「人間が自分は人間であると何ごとにつけ思い起こすのはよくないことだ。自分のことをあれこれ考えるのはすでに悪しきことであり、偏執狂のように熱心に人類について考えるにいたっては、いっそう悪しきことだ。なぜならそれは、内省の気まぐれな惨苦に客観的根拠と哲学的な正当化を与えることであるから。」
シオランの文章はとにかく名言が多い。私が長年読み続けているのは、こういう名言に出くわす為で、つまらない野心こそ蛇足であり、
「あらゆる欲求はわたしたちを生の表面に導き、わたしたちに生の深みを覆い隠しながら、価値なきものに、価値をもちえぬものに価値をあたえる。」といった名言が、自ら翻弄される人生に一つの指針を与えてくれる。
あと、若い人間にありがちだが、他者を無根拠に馬鹿にする人に警句を一つ。
「わたしたちは自分を無意味だと思えば思うほど、ますます他人を軽蔑する。そして自分の無意味が明らかになると、他人はわたしたちにとって存在さえしなくなる。」
日本人には恐らく、いや間違えなく書けないであろう、本質を容赦なくえぐる名言の数々。
「自分以上のものになろうと願う者は、必ずや自分以下のものになるだろう。」
この本は甘えとか、楽しさを求める類ではない。容赦のない本質から這い上がる為の本である。従ってそこら辺の口当たりの良いモラリストの本とは決定的に違うということは、読む前から伝えておきたい。でも読めばきっと何かが得られるのは断言できる。
「人間が自分は人間であると何ごとにつけ思い起こすのはよくないことだ。自分のことをあれこれ考えるのはすでに悪しきことであり、偏執狂のように熱心に人類について考えるにいたっては、いっそう悪しきことだ。なぜならそれは、内省の気まぐれな惨苦に客観的根拠と哲学的な正当化を与えることであるから。」
シオランの文章はとにかく名言が多い。私が長年読み続けているのは、こういう名言に出くわす為で、つまらない野心こそ蛇足であり、
「あらゆる欲求はわたしたちを生の表面に導き、わたしたちに生の深みを覆い隠しながら、価値なきものに、価値をもちえぬものに価値をあたえる。」といった名言が、自ら翻弄される人生に一つの指針を与えてくれる。
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「わたしたちは自分を無意味だと思えば思うほど、ますます他人を軽蔑する。そして自分の無意味が明らかになると、他人はわたしたちにとって存在さえしなくなる。」
日本人には恐らく、いや間違えなく書けないであろう、本質を容赦なくえぐる名言の数々。
「自分以上のものになろうと願う者は、必ずや自分以下のものになるだろう。」
この本は甘えとか、楽しさを求める類ではない。容赦のない本質から這い上がる為の本である。従ってそこら辺の口当たりの良いモラリストの本とは決定的に違うということは、読む前から伝えておきたい。でも読めばきっと何かが得られるのは断言できる。