『増補 <徒然草>の歴史学』(五味文彦著、角川ソフィア文庫)は、『徒然草』と、その著者・兼好法師を知る上で、勉強になる一冊です。
「『徒然草』の著者・兼好法師については、最近、出自を語る『尊卑分脈』所収の系図に見える、卜部兼顕の子、蔵人、兵衛佐であったという記事の信憑性が疑われるようになった」と、小川剛生の説を支持しています。
兼好は、後醍醐天皇の兄で若くして亡くなった後二条天皇の内裏に滝口という官職で奉仕していたのだろうと推考しています。「滝口」というのは、雑役に奉仕する低い身分です。
本書では、「兼好は後二条天皇には蔵人としてではなく、滝口として仕えたこと、それを推挙したのは堀河家ではなく、洞院家であったこと、『徒然草』の執筆事情からみて、兼好は文筆を職能としていた文筆家であったことなど」が明らかにされています。
「兼好が書いた『徒然草』を読んだ人々は、さらに兼好から話を聞こうとしたであろうし、またその文章の才をかい、物を書くように依頼したことが考えられる。『徒然草』や歌集からは、和歌を代作していたことが知られ、『太平記』には、高師直から恋文の執筆を依頼された逸話が見えるが、さらに兼好が草した文章は多かったであろう。後醍醐天皇の周辺に集まった職人たちは『徒然草』の存在を知り、兼好に文章を依頼したことは十分に考えられるところである」。『徒然草』は、兼好が文筆業を行うための見本だったというのです。
個人的には、私の好きな静御前に関する記述に目を惹かれました。『平家物語』に記されている白拍子の起源の話は誤りとして、自説を展開しています。「<多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に、興ある手どもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に。さう巻をささせ、烏帽子を引き入たりければ、男舞とぞいひける。禅師が娘、静といひける、この芸を継ぎけり。これ、白拍子の根元なり>。白拍子舞は、藤原通憲入道(信西)が舞のなかの興ある手から選んで磯の禅師に教えたことに始まり、禅師の娘静が継承したこと・・・が語られている」。
「戦乱で地方に赴くにあたって、その徒然を慰めるために『磯の禅師が第(てい)の舞女』を求めた書状(=藤原忠親の著とされる『貴嶺問答』に載っている)であり、このことから磯の禅師は京における白拍子のセンターのようなものであって、各所に白拍子が派遣されていたものとわかる。有名な源義経と静の馴れ初めはこのセンターを通じてのものなのであろうか。磯の禅師とその芸を継いだ静の動向は『吾妻鏡』にも記されており、わざわざ兼好が多久資の語る話として紹介した内容の信憑性は高い」。
閑話休題、『増補 <徒然草>の歴史学』(五味文彦著、角川ソフィア文庫)は、『徒然草』と、その著者・兼好法師を知る上で、勉強になる一冊です。
「『徒然草』の著者・兼好法師については、最近、出自を語る『尊卑分脈』所収の系図に見える、卜部兼顕の子、蔵人、兵衛佐であったという記事の信憑性が疑われるようになった」と、小川剛生の説を支持しています。
兼好は、後醍醐天皇の兄で若くして亡くなった後二条天皇の内裏に滝口という官職で奉仕していたのだろうと推考しています。「滝口」というのは、雑役に奉仕する低い身分です。
本書では、「兼好は後二条天皇には蔵人としてではなく、滝口として仕えたこと、それを推挙したのは堀河家ではなく、洞院家であったこと、『徒然草』の執筆事情からみて、兼好は文筆を職能としていた文筆家であったことなど」が明らかにされています。
「兼好が書いた『徒然草』を読んだ人々は、さらに兼好から話を聞こうとしたであろうし、またその文章の才をかい、物を書くように依頼したことが考えられる。『徒然草』や歌集からは、和歌を代作していたことが知られ、『太平記』には、高師直から恋文の執筆を依頼された逸話が見えるが、さらに兼好が草した文章は多かったであろう。後醍醐天皇の周辺に集まった職人たちは『徒然草』の存在を知り、兼好に文章を依頼したことは十分に考えられるところである」。『徒然草』は、兼好が文筆業を行うための見本だったというのです。
個人的には、私の好きな静御前に関する記述に目を惹かれました。『平家物語』に記されている白拍子の起源の話は誤りとして、自説を展開しています。「<多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に、興ある手どもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に。さう巻をささせ、烏帽子を引き入たりければ、男舞とぞいひける。禅師が娘、静といひける、この芸を継ぎけり。これ、白拍子の根元なり>。白拍子舞は、藤原通憲入道(信西)が舞のなかの興ある手から選んで磯の禅師に教えたことに始まり、禅師の娘静が継承したこと・・・が語られている」。
「戦乱で地方に赴くにあたって、その徒然を慰めるために『磯の禅師が第(てい)の舞女』を求めた書状(=藤原忠親の著とされる『貴嶺問答』に載っている)であり、このことから磯の禅師は京における白拍子のセンターのようなものであって、各所に白拍子が派遣されていたものとわかる。有名な源義経と静の馴れ初めはこのセンターを通じてのものなのであろうか。磯の禅師とその芸を継いだ静の動向は『吾妻鏡』にも記されており、わざわざ兼好が多久資の語る話として紹介した内容の信憑性は高い」。
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増補「徒然草」の歴史学 (角川ソフィア文庫) 文庫 – 2014/11/21
五味 文彦
(著)
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無常観の文学として読まれてきた『徒然草』を歴史学の立場から探る。兼好が見、聞き、感じたことの背景にある事実と記憶を周辺史料で跡づけ、中世人の心性や時代と社会の輪郭を描き出す。増補改訂版。
- 本の長さ336ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日2014/11/21
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104044092168
- ISBN-13978-4044092160
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商品の説明
著者について
1946年生まれ。放送大学教授・東京大学名誉教授。日本中世史専攻。人物史を中心に、絵画や文学、和歌などから歴史を解明。著書に『殺生と信仰』『後鳥羽上皇』角川選書、『中世の身体』角川叢書など多数。『中世のことばと絵』でサントリー学芸賞、『書物の中世史』で角川源義賞受賞。
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA/角川学芸出版; 特別版 (2014/11/21)
- 発売日 : 2014/11/21
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 336ページ
- ISBN-10 : 4044092168
- ISBN-13 : 978-4044092160
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
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2016年12月7日に日本でレビュー済み
『徒然草』といえば、作者の思想に「宿命」を感じ取る小林秀雄のような評価もあるが、一般的には、『方丈記』と同様に、仏教的な無常観を描いた代表的古典と理解されている。しかし、『枕草子』『方丈記』『徒然草』の3大随筆のなかで、『徒然草』の際立った特徴を挙げるとすれば、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。」(第55段)とか、「高名の木登りといひし男、…軒長(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りし…」(第109段)とか、「よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず。」(第229段)といった社会通念をひっくり返す印象鮮やかなパラドックスにこそあるように思う。それは政治的なトピックであっても同じで、権中納言・日野資朝が、六波羅探題に連行される権大納言・京極為兼の姿を目撃し、「あな羨まし、世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」と言い放ったエピソード(第153段)を書き留めた作者の態度には、日野資朝への共感と世間の常識への挑戦が窺えるのである。
兼好法師は、出家前の俗名を卜部兼好(うらべのかねよし)といい、朝廷の卜占(ぼくせん)を所掌する卜部家に生まれ、父も兄も神祇官であった。まだ年若い頃には、大覚寺統の後宇多法皇や後二条天皇に伺候し、同じ大覚寺統の歌道師範・二条為世に和歌を学び、その和歌が『続千載集』『風雅集』などの勅撰歌集にたびたび入集しており、30歳頃に出家してのちは、いまの京都市山科区の「小野庄」に居住していたらしい、といった経歴が知られている。兼好法師は、8歳の折りに、仏の教えの始まりについて、父に、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と問い詰めて、返答に困らせたとあって(第243段)、この『徒然草』の掉尾を飾るエピソードは、作者の人物像を知りたいという読者へのヒントといった趣きがある。この合理性を志向する8歳の少年は、卜占を業とする自らの古い家柄を自覚し、武家の台頭と入れ替わりに凋落に傾いていく朝廷の内幕を客観視できる絶好のポジションにあったが、そういった生い立ちが『徒然草』の思想に影響しないはずがない。『徒然草』序段の、「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を書きつくれば…」と、『方丈記』冒頭の、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」とを比較すれば、兼好法師は、仏教的な無常観よりも、伝統的な「知」のありように関心を寄せていたと思う。
本書『『徒然草』の歴史学』は、歴史学者の手になる『徒然草』論で、無常観の文学作品として論じるのではなく、「歴史資料として徹底的に探る」(p11)ことを主眼に置いている。著者の見立てによれば、『徒然草』の成立時(1330年前後)は、京都の伝統的な貴族文化と新興勢力である鎌倉の武家文化、大陸文化の3つの文化がせめぎ合っており、兼好法師は、「鎌倉末期の社会における時代の転換を最も鋭く表現した」(p11)人物であった。そこで、日本中世史を専攻する著者が本書で採用した手法は、『徒然草』『兼好法師家集』という兼好法師の著作や、『九条殿御遺誡』『禁秘抄』『大鏡』『小槻季継記』『愚管抄』『花園天皇日記』などといった当時の史料を糾合し、出来事を時系列に並べ、登場人物の身分・主従関係を整理して、兼好法師の社会的な位置関係を明らかにする、というオーソドックスかつ効果的なものであった。その結果として、本書が描き出す兼好法師の実像は、侘び住まいに隠棲する出家者のイメージの対極にあるような交友関係の豊かさと行動半径の広さを示しており、当代一流の文化人であると同時に、世俗的なトピックにも鋭敏に反応し、行動する中世人の姿が見えてくる。本書が立証した実例は枚挙にいとまがないが、秦重躬という随身が「北面の下野入道信願」の落馬を予言し、的中させたエピソード(第145段)や、高名の木登りなどもその例である。兼好法師は、後宇多法皇や後二条天皇だけでなく、後二条天皇の母方の公卿・堀河基具といった上流貴族とも密接な関係を持っていて、それが珍談奇談や意外なエピソードの有力な情報源となっていたのである。約700年も昔の歴史上の人物たちの動静が手に取るように理詰めで解き明かされると、少しの隠し立てもできない感じがしてきて、専門家の分析・洞察というものはたいしたものだと思うしかない。本書のような歴史学的アプローチによって、古典文学の時代背景がより明確化されることを歓迎したい。
なお、これは些細な瑕疵にすぎないが、本書p42に、「たとえば先に見た二十五段において、染殿大臣良房が子孫はいないのがよいことだ、と語ったと述べ、…」とあるが、この場合は、「二十五段」ではなく、p38の論述のとおり「六段」とするのが正しい。
兼好法師は、出家前の俗名を卜部兼好(うらべのかねよし)といい、朝廷の卜占(ぼくせん)を所掌する卜部家に生まれ、父も兄も神祇官であった。まだ年若い頃には、大覚寺統の後宇多法皇や後二条天皇に伺候し、同じ大覚寺統の歌道師範・二条為世に和歌を学び、その和歌が『続千載集』『風雅集』などの勅撰歌集にたびたび入集しており、30歳頃に出家してのちは、いまの京都市山科区の「小野庄」に居住していたらしい、といった経歴が知られている。兼好法師は、8歳の折りに、仏の教えの始まりについて、父に、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と問い詰めて、返答に困らせたとあって(第243段)、この『徒然草』の掉尾を飾るエピソードは、作者の人物像を知りたいという読者へのヒントといった趣きがある。この合理性を志向する8歳の少年は、卜占を業とする自らの古い家柄を自覚し、武家の台頭と入れ替わりに凋落に傾いていく朝廷の内幕を客観視できる絶好のポジションにあったが、そういった生い立ちが『徒然草』の思想に影響しないはずがない。『徒然草』序段の、「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を書きつくれば…」と、『方丈記』冒頭の、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」とを比較すれば、兼好法師は、仏教的な無常観よりも、伝統的な「知」のありように関心を寄せていたと思う。
本書『『徒然草』の歴史学』は、歴史学者の手になる『徒然草』論で、無常観の文学作品として論じるのではなく、「歴史資料として徹底的に探る」(p11)ことを主眼に置いている。著者の見立てによれば、『徒然草』の成立時(1330年前後)は、京都の伝統的な貴族文化と新興勢力である鎌倉の武家文化、大陸文化の3つの文化がせめぎ合っており、兼好法師は、「鎌倉末期の社会における時代の転換を最も鋭く表現した」(p11)人物であった。そこで、日本中世史を専攻する著者が本書で採用した手法は、『徒然草』『兼好法師家集』という兼好法師の著作や、『九条殿御遺誡』『禁秘抄』『大鏡』『小槻季継記』『愚管抄』『花園天皇日記』などといった当時の史料を糾合し、出来事を時系列に並べ、登場人物の身分・主従関係を整理して、兼好法師の社会的な位置関係を明らかにする、というオーソドックスかつ効果的なものであった。その結果として、本書が描き出す兼好法師の実像は、侘び住まいに隠棲する出家者のイメージの対極にあるような交友関係の豊かさと行動半径の広さを示しており、当代一流の文化人であると同時に、世俗的なトピックにも鋭敏に反応し、行動する中世人の姿が見えてくる。本書が立証した実例は枚挙にいとまがないが、秦重躬という随身が「北面の下野入道信願」の落馬を予言し、的中させたエピソード(第145段)や、高名の木登りなどもその例である。兼好法師は、後宇多法皇や後二条天皇だけでなく、後二条天皇の母方の公卿・堀河基具といった上流貴族とも密接な関係を持っていて、それが珍談奇談や意外なエピソードの有力な情報源となっていたのである。約700年も昔の歴史上の人物たちの動静が手に取るように理詰めで解き明かされると、少しの隠し立てもできない感じがしてきて、専門家の分析・洞察というものはたいしたものだと思うしかない。本書のような歴史学的アプローチによって、古典文学の時代背景がより明確化されることを歓迎したい。
なお、これは些細な瑕疵にすぎないが、本書p42に、「たとえば先に見た二十五段において、染殿大臣良房が子孫はいないのがよいことだ、と語ったと述べ、…」とあるが、この場合は、「二十五段」ではなく、p38の論述のとおり「六段」とするのが正しい。