革命前夜(続・死ぬまでにこれは観ろ!) [DVD]
フォーマット | DVD-Video |
コントリビュータ | クリスティーナ・パリセット, アドリアーナ・アスティ, アレン・ミジェット, モランド・モランディーニ, ベルナルド・ベルトルッチ, ジーノ・パオリ, フランチェスコ・バリッリ, ジャンニ・アミーコ, エンニオ・モリコーネ 表示を増やす |
稼働時間 | 1 時間 52 分 |
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商品の説明
「続・死ぬまでにこれは観ろ!」 キング洋画100連発!
★名作・怪作から珍作まで全100タイトル★ぜんぶすごく面白い★死ぬまでにこんなに観なければならない、過酷なラインナップ★史上最悪の猛毒『悪魔の毒々モンスター』から巨匠ベルトルッチ『革命前夜』まで、このわけわからない幅!★何かがおかしい★果たして、大丈夫なのか。。。
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 60 g
- EAN : 4988003833824
- 監督 : ベルナルド・ベルトルッチ
- メディア形式 : DVD-Video
- 時間 : 1 時間 52 分
- 発売日 : 2015/8/5
- 出演 : フランチェスコ・バリッリ, アドリアーナ・アスティ, アレン・ミジェット, モランド・モランディーニ, クリスティーナ・パリセット
- 販売元 : キングレコード
- ASIN : B00XYTXWQS
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 13,533位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年6月13日に日本でレビュー済み
若干22歳でこの映画を撮るとは……。畏るべし。並外れた才能を感じる。自分自身への決別でもあり、離れがたい愛着でもある。来るべき「革命」を受け入れた世代、その姿がよくわかる。特典映像で当時のニュースがはいっているが、そこでベルナルド・ベルトルッチが、「自分自身を通して他人を語ること、そして、他人を通して己を語ること」という。何という洞察力か。「わたし」と「あなた」はそこにいる。
2007年6月9日に日本でレビュー済み
ベルトルッチ監督の作品はビットレストラートという撮影監督
(カメラマン)と組んだ作品をとても好きです。
この作品はそれ以前の作品でして確か図書館で観た記憶があります。
ベルトルッチ監督の脂の乗り切った作品からみると貧弱な気がしますが、
主人公が叔母との恋愛を成就すると今までモノクロだった映像が
突然カラーへ変わっていく。
もしかして現実の恋愛もこのようにみえていくのかもしれないと
思いとても印象深い作品でした。
(カメラマン)と組んだ作品をとても好きです。
この作品はそれ以前の作品でして確か図書館で観た記憶があります。
ベルトルッチ監督の脂の乗り切った作品からみると貧弱な気がしますが、
主人公が叔母との恋愛を成就すると今までモノクロだった映像が
突然カラーへ変わっていく。
もしかして現実の恋愛もこのようにみえていくのかもしれないと
思いとても印象深い作品でした。
2020年4月11日に日本でレビュー済み
空からの映像が、パルマの町を二分して流れる川を写し、さらに・・・
「まるで円形劇場のようだ」とopで主人公ファブリッツィオのモノローグが語る「広場」は、ラストのオペラシーン(ヴェルディの『マクベス』)と呼応するように思える。ダイナミックなカメラワークと繊細な鉛筆画のような美しさのモノクロ映像。
1962年4月、パルマの復活祭前夜のできごとから物語は始まる。
ファブリッツィオが「拒んだ」町(や、自分の階級)、その象徴のような美しい婚約者クレリア。この教会のシーンでは古楽器の音楽が流れ、全編そこかしこにファブリッツィオのゆれる心を表すように多彩な音楽が短めに、印象的に使われる(音楽は、エンニオ・モリコーネ)。
精神的に不安定。けれどとても知的で、蠱惑的な美しさに満ちた(叔母)ジーノ。美しい沼地のシーンに登場する(没落ブルジョワでジーノの「友人」)プックとともに・・・少々頭デッカチなファブリッツィオの「痛いところ」をついてくる鋭い感性の持ち主で魅力的(だと私は思うのです。「この人たちは一体何をやってるのか??」という部分もあるにはあるが・・・)。
ファブリッツィオの人生は(たぶん)1962年4月の復活祭前夜に、この「痛いところ(≒矛盾)」が凝縮されてしまったのだと思う・・・本作はそれを、サ~と流れるように描く中にあれこれと重層的に語ってゆく。
ファブリッツィオやジーノの幼いころ。(過去というほど大げさではない)昔あったことや、この町や、あの沼地。
ハタチでもう伝説的だった家出常習者、カナリアの羽毛のような金髪の(ジーナとどこか相似な)友人アゴスティーノのこと。
ファブリッツィオの師で(ファブリッツィオは彼のライバルになりたかったのだと思うが、とうてい及ばなかった)筋金入りの党員。知的で人間的にもゆとりがあるように思える小学校の先生チェーザレに絡む、ファシスト政権が終わりを告げた1945年のこと・・・などなどが(一本調子の説明ではなく)魅力的な映像(演出)を次々と見せて重なってゆく・・・
ファブリッツィオとジーノの「恋」ではあるけれど・・・
何か得体のしれない大きな力の一部として、まるでそれが彼女の「役割」であったかのように、彼女の心と身を削るように(と同時に天職のようにも見える)。一人のブルジョワ青年ファブリッツィオが、あらかじめ歩むことになっていた「レール」へと戻るのを手伝う大仕事をなし終えた・・・そんなジーナ。ファブリッツィオにしてみれば、もがきながらもその中に自分が「固められてしまった」一部始終。
クレリアと彼女の母と、ボックス席でのオペラ鑑賞のファブリッツィオを、遠くの桟敷席のチェーザレがオペラグラスで眺める姿や・・・1F真ん中あたりの、ファブリッツィオの父母とジーナの姿を、上演中の『マクベス』をバックにダイナミックに見せながら・・・「ファブリッツィオはすっかり言うことを聞くようになった。クレリアの母が結婚を急ぐの。」というファブリッツィオの母親と、「彼は大学を(ちゃんと)卒業するわ。」というジーナの大きな目の涙をとらえるカメラ。
ジーナは・・(没収まぢかの消えゆく運命にある美しい沼地を前に、美しい詩的なセリフに悲しみを託す)ブック氏をファブリッツィオに会わせたことで、ファブリッツィオを(プックと同じ)失敗から逃れさせた(と思う)。
ファブリッツィオとジーナ、1962年4月、復活祭前夜の、抽象的なムードの映像のラブシーンが美しく・・・
翌朝の、サイレント映画のような演出が少しコミカルで・・・おばちゃんと弟アントニオ登場の軽やかさが好ましい。
ジーノ・パオりのポップス♪~ボン・ジョールノ!が素敵に明るい二人の街での買い物はなんでもないカップルのデートのようで好きだし・・・普段どおり「おい!ママ」とか言っているパパ、おばあちゃんの家族団欒の中にしっとり流れるラヴソングと、二人の(カサヴェテス作品のような)アップの抱擁も、ドアを開けた弟アントニオへと逃して・・・
ラストのファブリッツィオとクレリアの新婚旅行出発風景は、家族、友人あれこれの、ドキュメンタリ的な中に、弟アントニオをもみくちゃにするジーナの涙のキス。表情は見えないが困惑にちがいないアントニオの後頭部が・・・なんど見ても好きだ、ベルトルッチのいろんなセンスが好き。
「まるで円形劇場のようだ」とopで主人公ファブリッツィオのモノローグが語る「広場」は、ラストのオペラシーン(ヴェルディの『マクベス』)と呼応するように思える。ダイナミックなカメラワークと繊細な鉛筆画のような美しさのモノクロ映像。
1962年4月、パルマの復活祭前夜のできごとから物語は始まる。
ファブリッツィオが「拒んだ」町(や、自分の階級)、その象徴のような美しい婚約者クレリア。この教会のシーンでは古楽器の音楽が流れ、全編そこかしこにファブリッツィオのゆれる心を表すように多彩な音楽が短めに、印象的に使われる(音楽は、エンニオ・モリコーネ)。
精神的に不安定。けれどとても知的で、蠱惑的な美しさに満ちた(叔母)ジーノ。美しい沼地のシーンに登場する(没落ブルジョワでジーノの「友人」)プックとともに・・・少々頭デッカチなファブリッツィオの「痛いところ」をついてくる鋭い感性の持ち主で魅力的(だと私は思うのです。「この人たちは一体何をやってるのか??」という部分もあるにはあるが・・・)。
ファブリッツィオの人生は(たぶん)1962年4月の復活祭前夜に、この「痛いところ(≒矛盾)」が凝縮されてしまったのだと思う・・・本作はそれを、サ~と流れるように描く中にあれこれと重層的に語ってゆく。
ファブリッツィオやジーノの幼いころ。(過去というほど大げさではない)昔あったことや、この町や、あの沼地。
ハタチでもう伝説的だった家出常習者、カナリアの羽毛のような金髪の(ジーナとどこか相似な)友人アゴスティーノのこと。
ファブリッツィオの師で(ファブリッツィオは彼のライバルになりたかったのだと思うが、とうてい及ばなかった)筋金入りの党員。知的で人間的にもゆとりがあるように思える小学校の先生チェーザレに絡む、ファシスト政権が終わりを告げた1945年のこと・・・などなどが(一本調子の説明ではなく)魅力的な映像(演出)を次々と見せて重なってゆく・・・
ファブリッツィオとジーノの「恋」ではあるけれど・・・
何か得体のしれない大きな力の一部として、まるでそれが彼女の「役割」であったかのように、彼女の心と身を削るように(と同時に天職のようにも見える)。一人のブルジョワ青年ファブリッツィオが、あらかじめ歩むことになっていた「レール」へと戻るのを手伝う大仕事をなし終えた・・・そんなジーナ。ファブリッツィオにしてみれば、もがきながらもその中に自分が「固められてしまった」一部始終。
クレリアと彼女の母と、ボックス席でのオペラ鑑賞のファブリッツィオを、遠くの桟敷席のチェーザレがオペラグラスで眺める姿や・・・1F真ん中あたりの、ファブリッツィオの父母とジーナの姿を、上演中の『マクベス』をバックにダイナミックに見せながら・・・「ファブリッツィオはすっかり言うことを聞くようになった。クレリアの母が結婚を急ぐの。」というファブリッツィオの母親と、「彼は大学を(ちゃんと)卒業するわ。」というジーナの大きな目の涙をとらえるカメラ。
ジーナは・・(没収まぢかの消えゆく運命にある美しい沼地を前に、美しい詩的なセリフに悲しみを託す)ブック氏をファブリッツィオに会わせたことで、ファブリッツィオを(プックと同じ)失敗から逃れさせた(と思う)。
ファブリッツィオとジーナ、1962年4月、復活祭前夜の、抽象的なムードの映像のラブシーンが美しく・・・
翌朝の、サイレント映画のような演出が少しコミカルで・・・おばちゃんと弟アントニオ登場の軽やかさが好ましい。
ジーノ・パオりのポップス♪~ボン・ジョールノ!が素敵に明るい二人の街での買い物はなんでもないカップルのデートのようで好きだし・・・普段どおり「おい!ママ」とか言っているパパ、おばあちゃんの家族団欒の中にしっとり流れるラヴソングと、二人の(カサヴェテス作品のような)アップの抱擁も、ドアを開けた弟アントニオへと逃して・・・
ラストのファブリッツィオとクレリアの新婚旅行出発風景は、家族、友人あれこれの、ドキュメンタリ的な中に、弟アントニオをもみくちゃにするジーナの涙のキス。表情は見えないが困惑にちがいないアントニオの後頭部が・・・なんど見ても好きだ、ベルトルッチのいろんなセンスが好き。
2021年3月6日に日本でレビュー済み
監督はベルナルド・ベルトルッチ。『殺し』(1962年)に続く2作品目です。
音楽はジーノ・パオリとエンニオ・モリコーネ。
イタリア・パルマの街の佇まいや、そこを行きかう人たちの様子、陽の光と木立、顔のアップの撮り方、アイリスショットやジャンプカットを使ったシーンの切り替え方、意識的に交わされる過剰で空虚な言葉の羅列など、いずれも計算しつくされ秀逸です。
ラスト近くで、マクベスを公演した壮大なトリノ・レッジョ劇場のシーンは主人公が所詮はブルジョアに過ぎないこと、そしてその運命からは逃れられないことを否応なく突き付けてきます。
ポー川の霧深い寒々とした風景も印象的です。
音楽はジーノ・パオリとエンニオ・モリコーネ。
イタリア・パルマの街の佇まいや、そこを行きかう人たちの様子、陽の光と木立、顔のアップの撮り方、アイリスショットやジャンプカットを使ったシーンの切り替え方、意識的に交わされる過剰で空虚な言葉の羅列など、いずれも計算しつくされ秀逸です。
ラスト近くで、マクベスを公演した壮大なトリノ・レッジョ劇場のシーンは主人公が所詮はブルジョアに過ぎないこと、そしてその運命からは逃れられないことを否応なく突き付けてきます。
ポー川の霧深い寒々とした風景も印象的です。
2015年5月23日に日本でレビュー済み
『革命前夜』(‘64)は弱冠22歳、第2作目にしてベルトルッチの天才性を証明した傑作。自身の生まれ故郷であるパルマを舞台に、ブルジョワ階級への幻滅と青春の終わりを描いた自伝的作品。労働者階級にスポットを当てた前作と真逆の、ブルジョワ階級を題材に取り上げたという点も対照的で興味深い。
同じ町を舞台にした、スタンダールの「パルムの僧院」からインスピレーションを得たと言われ、登場人物の名前も同小説から拝借しているが、ベルトルッチ曰く「小説の知名度を利用しようと思ったんだ」− 翻案でなく、その恩恵に与ろうとしたのだという。
ヌーヴェルバーグやイタリア映画の巨匠のスタイルを貪欲に取り入れ、ありとあらゆるカメラワーク・編集手法を駆使した、若きベルトルッチの才気が迸る作品でもあり、主人公のファブリツィオと近親相姦的な関係を持つことになる、若く美しい叔母・ジーナの神経症的なキャラクター造形は、アントニオーニの映画からの影響。
「革命前夜」というと、政治色がムンムンの肩が凝る映画のように思えるが、ここでの「革命」という言葉は、「大人になる」という意味だと言われ、大人になるために何かを捨て、失ってしまう直前の若者の葛藤、未熟だが純粋で瑞々しい日々を描いた − つまり青春映画なのだ。
田園と都市の風景が混在する、パルマの独特の景観が美しく、ベルトルッチ自身が青春時代を送った故郷への想いが映像に凝結している。フェリーニで言うところの『青春群像』や『アマルコルド』にあたる映画だと思うのだが、似て異なる点は、単なるノスタルジーだけではなく、そこにはベルトルッチの嫌悪感のようなものも存在している・・・コミュニストであることを自認している主人公ファブリツィオの、自身の思想への懐疑、しかし結局自分の属する階級に抗うことなく受け入れて行ってしまうことへの、自らの幻滅・・・それが故郷の町への愛憎という形で現れているのではないだろうか。ベルトルッチ曰く、この映画のもう一人の主人公は「町」で、町の表情がこんなに豊かに、魅力的に描かれている映画は、そうない。その町並みの美しさ・・・登場人物の歩みととともに現れては消えてゆく街角、城門、路地裏、パッサージュ、石造りの古い建物、路面電車の電線が張り巡らされた空間、雨に濡れそぼつ運河沿いの道、ポプラ並木、高台から望む町の俯瞰、無数の煉瓦屋根、入り組んだ道・・・素晴らしく美しい高画質で観ることで、その映像に改めて心奪われること必至。
元々、同キングレコードから発売されていたソフトの廉価版なので、特典なども同じと思われる。以下がその内容。
特典:●ベルトルッチのロング・インタビュー(約45分)
●エンニオ・モリコーネ、ヴィットリオ・ストラーロ(当時撮影助手)、
ロベルト・ペルピニャーニ(編集)のインタビュー(約26分)
●当時のニュースフィルム(ベルトルッチを取材した4分ほどの短いフィルム)
●予告編
同じ町を舞台にした、スタンダールの「パルムの僧院」からインスピレーションを得たと言われ、登場人物の名前も同小説から拝借しているが、ベルトルッチ曰く「小説の知名度を利用しようと思ったんだ」− 翻案でなく、その恩恵に与ろうとしたのだという。
ヌーヴェルバーグやイタリア映画の巨匠のスタイルを貪欲に取り入れ、ありとあらゆるカメラワーク・編集手法を駆使した、若きベルトルッチの才気が迸る作品でもあり、主人公のファブリツィオと近親相姦的な関係を持つことになる、若く美しい叔母・ジーナの神経症的なキャラクター造形は、アントニオーニの映画からの影響。
「革命前夜」というと、政治色がムンムンの肩が凝る映画のように思えるが、ここでの「革命」という言葉は、「大人になる」という意味だと言われ、大人になるために何かを捨て、失ってしまう直前の若者の葛藤、未熟だが純粋で瑞々しい日々を描いた − つまり青春映画なのだ。
田園と都市の風景が混在する、パルマの独特の景観が美しく、ベルトルッチ自身が青春時代を送った故郷への想いが映像に凝結している。フェリーニで言うところの『青春群像』や『アマルコルド』にあたる映画だと思うのだが、似て異なる点は、単なるノスタルジーだけではなく、そこにはベルトルッチの嫌悪感のようなものも存在している・・・コミュニストであることを自認している主人公ファブリツィオの、自身の思想への懐疑、しかし結局自分の属する階級に抗うことなく受け入れて行ってしまうことへの、自らの幻滅・・・それが故郷の町への愛憎という形で現れているのではないだろうか。ベルトルッチ曰く、この映画のもう一人の主人公は「町」で、町の表情がこんなに豊かに、魅力的に描かれている映画は、そうない。その町並みの美しさ・・・登場人物の歩みととともに現れては消えてゆく街角、城門、路地裏、パッサージュ、石造りの古い建物、路面電車の電線が張り巡らされた空間、雨に濡れそぼつ運河沿いの道、ポプラ並木、高台から望む町の俯瞰、無数の煉瓦屋根、入り組んだ道・・・素晴らしく美しい高画質で観ることで、その映像に改めて心奪われること必至。
元々、同キングレコードから発売されていたソフトの廉価版なので、特典なども同じと思われる。以下がその内容。
特典:●ベルトルッチのロング・インタビュー(約45分)
●エンニオ・モリコーネ、ヴィットリオ・ストラーロ(当時撮影助手)、
ロベルト・ペルピニャーニ(編集)のインタビュー(約26分)
●当時のニュースフィルム(ベルトルッチを取材した4分ほどの短いフィルム)
●予告編
2009年9月17日に日本でレビュー済み
「革命前夜を生きなかった者は
生きることがいかに甘美か理解することができない」
というフランス革命で活躍したタレーランの言葉が
冒頭で引用されます。
しかしここでの登場人物達は革命で倒される側の金持ち達。
革命思想の虜になったお坊ちゃんと、倦怠に取り付かれた
叔母との禁じられた恋の物語。
いとこ同士の結婚が日本では認められていることを
ヨーロッパの人々が知ると、かなりゾッとするらしい。
それくらい日本以上に近親相姦というのは乗り越えがたい
壁なのでしょう。
話の内容はともかくアドリアーナ・アスティの美しさは絶品。
まるでカメラが彼女に恋をしてしまったかのように顔のアップ
が多いです。復活祭の前日ににぎわうパルマの町で
お買い物デートをする二人を遠くから映すシーンや
帰宅後、真っ暗な部屋の中で首飾りの糸が切れて石が床に
落ちてしまうところからの一連のシーンは最高です。
しかし残念ながらテレビで見ると暗闇の中での人の動きは
真っ黒に塗りつぶされてしまい、あまりよく分かりません。
できれば映画館で観たいところですが・・・・仕方ありません。
生きることがいかに甘美か理解することができない」
というフランス革命で活躍したタレーランの言葉が
冒頭で引用されます。
しかしここでの登場人物達は革命で倒される側の金持ち達。
革命思想の虜になったお坊ちゃんと、倦怠に取り付かれた
叔母との禁じられた恋の物語。
いとこ同士の結婚が日本では認められていることを
ヨーロッパの人々が知ると、かなりゾッとするらしい。
それくらい日本以上に近親相姦というのは乗り越えがたい
壁なのでしょう。
話の内容はともかくアドリアーナ・アスティの美しさは絶品。
まるでカメラが彼女に恋をしてしまったかのように顔のアップ
が多いです。復活祭の前日ににぎわうパルマの町で
お買い物デートをする二人を遠くから映すシーンや
帰宅後、真っ暗な部屋の中で首飾りの糸が切れて石が床に
落ちてしまうところからの一連のシーンは最高です。
しかし残念ながらテレビで見ると暗闇の中での人の動きは
真っ黒に塗りつぶされてしまい、あまりよく分かりません。
できれば映画館で観たいところですが・・・・仕方ありません。
2017年11月23日に日本でレビュー済み
ベルトリッチは初期の作品が圧倒的によい。傑作はラストタンゴインパリまでで後は見る価値が乏しい若くして名声を得てモチーフも創造力も消えた。イタリアの大監督はほとんど左翼で共産党のメンバーもいる。指揮者のアバドピアノのポリーニも党員。ベルトリッチが党員か知らない。ファシズムにパルチザン闘争で闘ったインテリが多かったからだろ。彼はイタリアンリアリズムの影響も受けている。戦後世代だからフランスヌーベルバーグの衝撃ももろに食らってる。作風はこの混合だ。出身はパロマの裕福な家庭の坊っちゃんだから葛藤もある。貴族でさえ共産党に入る国だからこの作品は自伝的なものと言われているが殆どフィクション。労働階級出身の私には感情移入が出来ない。革命闘争を闘った人とそうでない人には今でも違和感がある。日本の革命前夜はなかったし涙と共にパンを食べた。全全然甘美でなかった。 暗殺のオペラがDVD されてないのはどうしてか!