本書の冒頭に出てくるベラスケスの「ラス・メニーナス」の絵は、鑑賞者自身が絵の登場人物の一人になっており、世界と「主観」のあり方を描き出した絵として紹介されている。
近代に至る以前は、言葉や物の背後には、(神の真理に裏打ちされた)ある種のコード体系が存在しており、それによってコードの読み取り/解釈/表現という思考活動が可能になった。博物学にせよ芸術にせよ、物の背後にある静的な体系を読み取ることがこの時代の知の基本的なあり方であった。
ところが近代にかけて、ベラスケスの絵のような、カントのコペルニクス的(認識論的)転回により、言語が意味を結ぶ座としての「主観」が発見された。そして、神のコード体系と考えられていたものが、実は人間の認識を可能にするフォーマットのようなもので、歴史的過程を通じて主観の中に形成されてきた「ものの見方」であることが明らかになっていった。
このため、主観次第でコード体系も変わることになり、言葉が神のコードから切り離されてタグのような存在に変質したことで、思考シミュレーション/動的メカニズムの描写/仮説検証/発見といった思考活動が可能になった。そこから科学技術、資本主義、啓蒙思想、歴史が誕生していく。
哲学、芸術、科学など、欧州の知のあり方の根底にある「ものの見方の転換」をドラマティックに描き出した名著。

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言葉と物: 人文科学の考古学 ペーパーバック – 1974/6/7
今世紀における思想の危機、人間の危機とはいったい何を意味するのか? 文化人類学、言語学、精神分析学等の試みの基盤を精密な論証によって明示する革命的大著。
- 本の長さ474ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1974/6/7
- ISBN-10410506701X
- ISBN-13978-4105067014
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1974/6/7)
- 発売日 : 1974/6/7
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 474ページ
- ISBN-10 : 410506701X
- ISBN-13 : 978-4105067014
- Amazon 売れ筋ランキング: - 163,460位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 34,221位人文・思想 (本)
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2 星
読ませる気がないということも含めて本の意図ではないか
表紙の風合いは知的欲求を掻き立てるが、開いてみると、紙の薄さと相性が悪いのか、片手でも両手でも持ちづらいのがよくわかる。とくにページをめくるのがかなりのストレスになる。2段組のレイアウトにも最初はイライラとしていたが、途中で気づいたことがある。1段組に比べて、目を上下に走らさなくても読めるということである。それに気づいてからは、本を保持するストレスと格闘しながら、とにかく読み進めた。これは、「『言葉と物』は精読に値しない」という本書を作った新潮社からのメッセージであると解釈した。よって内容についても理解が追いつかないままただ文字を追って、このレビューをしているのである。
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2023年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年4月29日に日本でレビュー済み
『言葉と物』については、以前から訳の問題が指摘されている、本書は残しつつ、新訳の別の版を出せないものか....。
また、このタイミングで新装版が出るといういうことは、多少なりとも本へ印刷への造詣や、出版についての理解があれば、さまざま想像できることであろうし、安易な資材批判はナンセンスではないだろうか。
また、このタイミングで新装版が出るといういうことは、多少なりとも本へ印刷への造詣や、出版についての理解があれば、さまざま想像できることであろうし、安易な資材批判はナンセンスではないだろうか。
2013年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そろそろ文庫版を出版してくれてもいいんじゃないかしら。
私が購入したのは2009年の第43刷。
初版は1974年なので、かれこれ40年近くこの単行本が流通している模様。
図書館で借りて読め!と言われればそれまでですが、名著は手元に置いておきたいじゃないですか。
マーカーとか引きたいじゃないですか。
もうちょっと学部生・院生にも手が届くようなお値段で買えると嬉しいのですが…。
私が購入したのは2009年の第43刷。
初版は1974年なので、かれこれ40年近くこの単行本が流通している模様。
図書館で借りて読め!と言われればそれまでですが、名著は手元に置いておきたいじゃないですか。
マーカーとか引きたいじゃないですか。
もうちょっと学部生・院生にも手が届くようなお値段で買えると嬉しいのですが…。
2010年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ルネサンスにおける知の枠組みは、「類似」であった、古典主義時代においては、表象であった、そして近代において初めて「人間」という概念が登場する、そうフーコーは言う。
この書を読んで、最も痛快なのは、分析と記述の巧みさであろう。古典主義時代においては、言語学、博物学、経済学という異なった分野を「表象」というエピステーメーが貫いている。そしてそれぞれの分野が表象することの限界に達し、有限性や生命や労働という概念が現れ、近代が始まる。こう言ってしまえば、それまでであって、フーコーの入門書などに書かれている通りなのだが、実際に、この書を読み解いてみれば、一つ一つの概念や学問分野や思想家を検討し、特徴付けていく論述に巻き込まれていく心地良さが訪れる。
本書において、最大のインパクトを与えたのは、人間という概念の終焉ということらしいが、「人間」という概念は、近代に固有のものであって、それ以前にはなかったのだと言う。
「ルネサンス時代の人間主義も、古典主義時代の人々の合理主義も、世界の秩序の中で人類に特権的場所を与えることは出来たが、人間を思考することはできなかったのである」(P338)
そして、近代という知の配置が終われば、「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」P409
古典主義時代と、始まりつつある現代の間に挟まれる形になる近代は、近代に限定された思考形態を浮き上がらせる。そして近代特有の思考は、普遍的なものではなくなり、局所的なものに過ぎなくなる。
私の感想としては、思想史と学問の発生と経緯を外側から捉えているように感じる。なので、ルネサンスから古典主義時代への移行、古典主義時代から近代への移行の原因などについての説明はない。歴史的にあったものとして、それをフーコーの観点から区切って行く。そして、カントやハイデガーのように、大きな問いを立て、一つ一つの言葉を定義づけながら、体系を築いていく「哲学」ではなく、思想と呼んだ方が適切だろう。
個人的には、古典主義時代のエピステーメーと、古典主義時代から近代への移り変わりについては、なるほどと驚嘆しながら読んだが、近代の特徴が、古典主義時代との断絶と比較、そして新しく現れつつある現代の知(文化人類学)との比較からのみ説明されている点が、曖昧さを残していると感じた。けれども、既成の人間という概念に代わる、新しい知の到来を、ニーチェや現代作家を挙げながら、期待している点には、好感が持てた。
「自分が神を殺したのだと告示するのは、そうやって自らの言語、みずからの思考、みずからの笑いをすでに死んだ神の空間におきつつ、また、神を殺し、みずからの実存がこの虐殺の自由と決定をつつんでいる、そのようなものとしてみずからを示す、最後の人間なのではあるまいか?」P407
そして、「言葉と物」の後に書かれた書物へと読者を誘う。
この書を読んで、最も痛快なのは、分析と記述の巧みさであろう。古典主義時代においては、言語学、博物学、経済学という異なった分野を「表象」というエピステーメーが貫いている。そしてそれぞれの分野が表象することの限界に達し、有限性や生命や労働という概念が現れ、近代が始まる。こう言ってしまえば、それまでであって、フーコーの入門書などに書かれている通りなのだが、実際に、この書を読み解いてみれば、一つ一つの概念や学問分野や思想家を検討し、特徴付けていく論述に巻き込まれていく心地良さが訪れる。
本書において、最大のインパクトを与えたのは、人間という概念の終焉ということらしいが、「人間」という概念は、近代に固有のものであって、それ以前にはなかったのだと言う。
「ルネサンス時代の人間主義も、古典主義時代の人々の合理主義も、世界の秩序の中で人類に特権的場所を与えることは出来たが、人間を思考することはできなかったのである」(P338)
そして、近代という知の配置が終われば、「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」P409
古典主義時代と、始まりつつある現代の間に挟まれる形になる近代は、近代に限定された思考形態を浮き上がらせる。そして近代特有の思考は、普遍的なものではなくなり、局所的なものに過ぎなくなる。
私の感想としては、思想史と学問の発生と経緯を外側から捉えているように感じる。なので、ルネサンスから古典主義時代への移行、古典主義時代から近代への移行の原因などについての説明はない。歴史的にあったものとして、それをフーコーの観点から区切って行く。そして、カントやハイデガーのように、大きな問いを立て、一つ一つの言葉を定義づけながら、体系を築いていく「哲学」ではなく、思想と呼んだ方が適切だろう。
個人的には、古典主義時代のエピステーメーと、古典主義時代から近代への移り変わりについては、なるほどと驚嘆しながら読んだが、近代の特徴が、古典主義時代との断絶と比較、そして新しく現れつつある現代の知(文化人類学)との比較からのみ説明されている点が、曖昧さを残していると感じた。けれども、既成の人間という概念に代わる、新しい知の到来を、ニーチェや現代作家を挙げながら、期待している点には、好感が持てた。
「自分が神を殺したのだと告示するのは、そうやって自らの言語、みずからの思考、みずからの笑いをすでに死んだ神の空間におきつつ、また、神を殺し、みずからの実存がこの虐殺の自由と決定をつつんでいる、そのようなものとしてみずからを示す、最後の人間なのではあるまいか?」P407
そして、「言葉と物」の後に書かれた書物へと読者を誘う。
2011年10月1日に日本でレビュー済み
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決して嘲笑的でもなければ、卑下するわけでもないが、一般的に難解であると言わざるを得ない著書である。おそらくは、内容のすべてを理解できなかったとしても「思想の高所」といったような彼の俯瞰的視点に触れることが出来るはずだろう。そのような認識領域の哲学的言及と、その西洋の歴史的プロセスを知悉した名著の中の名著。
読むべき者が読み、読まざる者はその存在さえ知らない。
といったような具合なのかなと勝手に思っています(笑)
読むべき者が読み、読まざる者はその存在さえ知らない。
といったような具合なのかなと勝手に思っています(笑)
2019年9月27日に日本でレビュー済み
数年前、スペインに行って、ヴェラスケスの「侍女たち」を見た。帰ってきて、言葉と物の冒頭を読み返した。その後、ぱらぱらと言葉と物の全体をめくっているうちに、「侍女たち」についてフーコーが述べていることと、本書の主張がはっきり重なって見えた。「侍女たち」は、「王」の位置に「絵を見る人・ある個人」の視点・立ち位置が重なり、入れ替わり、結局、個人が主体となったさまを示している。フーコーが本書で分析しているのは、16世紀以降の西欧の知の在り方を通して、主体(人間)の成立(+個人の喪失の予告)を語っているのだ。間違っても、フーコーは言葉と物で16世紀は「類似」、17世紀は「比較」と述べた、などと読まないように。
要は、エピステーメーが、類似、比較、人間中心と変遷し、人間中心もエピステーメーである以上、早晩変わらざるを得ない、ということなのだ。
要は、エピステーメーが、類似、比較、人間中心と変遷し、人間中心もエピステーメーである以上、早晩変わらざるを得ない、ということなのだ。
2020年3月3日に日本でレビュー済み
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本の内容は5つ星なのに、頼みますから、もうこんな新装版出すくらいなら、旧版と文庫本の2種類にしましょう。
旧版の装丁は立派で大好きな本ですが、2段組と字の小ささは、もうやめて、文字の大きい文庫本2冊にしましょう。あと、翻訳も浅田彰とか蓮見重彦に頼んだらいいと思います。
旧版の装丁は立派で大好きな本ですが、2段組と字の小ささは、もうやめて、文字の大きい文庫本2冊にしましょう。あと、翻訳も浅田彰とか蓮見重彦に頼んだらいいと思います。
2020年2月27日に日本でレビュー済み
言わずと知れた名著なので、内容に関しては述べません。
今回、新装版ということで、旧版と比較した上でのレビューとなります。
ご了承ください。
・良いところ
印刷が綺麗で見やすくなった(行間もほんの少しだけ広げられています)
・悪いところ
値段が上がった(旧版は4950円)
薄っぺらい安い紙になった(よれやすい)
装丁が安っぽくなった(函入布装→カヴァー装、丸背かがり綴じ→角背あじろ綴じ)
内容が変わらない(古臭い訳文はそのまま。新装版用の解説はなし。訳者あとがきも古いまま)
以上。
物としての価値は旧版のほうが断然上でしょう。
新装版の方が印刷が綺麗とはいえ、ほとんど気にならない差です。
昨今、中身を全く変えずに外身を安っぽくし、それを「新装版」と称して価格を上げるということをやる出版社が多い…。
これもその一つと思われます。
今回、新装版ということで、旧版と比較した上でのレビューとなります。
ご了承ください。
・良いところ
印刷が綺麗で見やすくなった(行間もほんの少しだけ広げられています)
・悪いところ
値段が上がった(旧版は4950円)
薄っぺらい安い紙になった(よれやすい)
装丁が安っぽくなった(函入布装→カヴァー装、丸背かがり綴じ→角背あじろ綴じ)
内容が変わらない(古臭い訳文はそのまま。新装版用の解説はなし。訳者あとがきも古いまま)
以上。
物としての価値は旧版のほうが断然上でしょう。
新装版の方が印刷が綺麗とはいえ、ほとんど気にならない差です。
昨今、中身を全く変えずに外身を安っぽくし、それを「新装版」と称して価格を上げるということをやる出版社が多い…。
これもその一つと思われます。