〇 本書は8回にわたる連続講義の記録である。第1講の開始早々著者はこんなことを言う・・・合理論にたつ哲学者は「原理」こそがたいせつだと言い、経験論者はたいせつなのは「事実」だけだと言う。でもアマチュア哲学愛好家の皆さんは、原理も事実もだいじだ、この両方をうまく組み込んだ哲学体系がほしいと思っているはずだ。それをこれから私が提供しよう。
〇 わたしは哲学の本を読むたびに、「今までの哲学はみんな誤っている。この本こそが正しい哲学を語っている」と言われているようで戸惑うことが多かった。だから上の著者の言葉に、そうだこういうものが欲しかったのだ、と喜び勇んで本書を読み進めた。そしてこの本はその期待を裏切らなかったのである。
〇 A説とB説が対立しているときには、「A説とB説とでは現実にどんな具体的違いを生むか?」を考えてみよう。その違いに両説の意義がある。もし違いを生まないならば、A説=B説と片付けてしまってよい・・・簡単に言えばプラグマティズムはこうした考え方をするらしい。うんと乱暴にいうと、役に立つかどうかを基準に取捨選択するということだ。
〇 この本では、哲学の主要問題のいくつか(有神論と唯物論、一元論と多元論、常識と哲学の違い、真理とはなにか、世界の救済はあるか)についてこうした検討を加えてみせてくれる。その手際はみごとというしかない。
〇 このように見るとプラグマティズムはひとつの道具のようなものだが、その使い手の「気質」や「性格」によって結論は変わってくる。著者ジェイムズにも明確な気質がある。第一に、かれはただ抽象的で観念的な議論にたいして強い嫌悪感をもっている(プラグマティストなら誰でもそうなのかもしれない)第二に、それにも関わらず神を信じ、宇宙を支配する道徳原理は将来も永遠に存続すると信じたい楽観主義者である。
〇 文章はとてもわかりやすい。著者の話が平易で親切であることも一因だろうが、訳者が流れるような日本語にしてくれたことが大きい。この講演はもともと日本語で行われたのだと言われたらそう信じるだろう。感謝あるのみです。
■ 本書の議論でおもしろいと思ったものは次のとおりです。長文ですがよろしかったらご覧ください:
(第1講)
・・ 哲学は結局のところ、楽観的か悲観的か、抽象議論を好むか具体的事例を好むかなどのその哲学者の「気質」を反映している。
・・ 合理論の哲学者は原理がだいじだと言い、経験論者は事実こそが重要だと言う。アマチュア哲学愛好家は、原理も事実もだいじだと考えて、両方を適切に組み込んだ哲学体系を求めているのではなかろうか。プラグマティズムはその要請にこたえるものである。
(第2講)
・・ プラグマティックな考え方では、哲学的な論争はそれが具体的にどのような差異を生むのかを検討する、そして特に差異を生まないならばその論争には意味がないと結論する。じつはこの方法はソクラテス以降多くの哲学者が採用してきたもので目新しいものではない。
・・ 人は基本的に保守的なもので、これまでの経験と知識に整合しない新たな事実を見出したとき、まったく新しい考え方を思いつくわけではなく、既存の知識と新たな事実とを何とか仲介する考え方を見つけ出す。それが新たな「真理」である。
(第3講)
・・ 神が世界を創るとする「有神論」も物質がすべてだとする「唯物論」も、過去を論ずる限りは違いを生まないからプラグマティズムの観点からは意味のない論争である。
・・ しかし将来を論ずる段になると、「唯物論」は人類も地球もすべては崩壊し消滅し無に帰すると結論するのにたいして、「有神論」はたとえ物質は消滅しても神は道徳的秩序をどこかに保存するはずだと結論する。この違いは重要である。
・・ そしてプラグマティストにして楽天的な常識人でもある著者は、完全な世界に住む人間は救済を必要とする、そのために明るい未来の可能性が必要である、という観点から有神論に与するのである。
(第4講)
・・ ものごとの一元的把握は多元的把握よりも無条件にすぐれていると考える人は多い。しかし「一」は「多」より優れていると考えるべき理由はない。
・・ この世界は一つと見ることもできるが(唯一の全知者が認識する世界はひとつしかない)、多と見ることもできる(認識主体の数だけ世界はある)。一元論はどこか神秘主義的で、そう捉えるとわれわれは究極の一物の部分であるという完全な安心を得ることができるが、現状を見るとやはり多元論を排除することはできない。
・・ プラグマティズムは、世界は完全に一でも完全に多でもないが、一の方向に統一されつつある、と柔軟に考える。
(第5講)
・・ 「常識」とは、太古の昔から我々の祖先が発見した範疇で、様々な経験に適用され試され、人から人に広まって行った結果、今日では別の言葉では自然な考え方をすることができないまでに至ったもの、である。
・・ しかし進んだ知性は、この常識には飽き足らず、批判的検討を行って常識の壁を打ち破った。それが科学であり、批判的哲学である。ただ常識も、科学も、批判的哲学のいずれも、一定の目的を果たすうえでは有効だが、すべてについて有効なもの、すなわち「真理」の域には達していない。
(第6講)
・・ 一般に「真理」とは「実在と一致する観念である」と言える。合理論者であれば真理は絶対的で、実在と合致して永遠に変わらないと考えるだろう。しかしプラグマティズムは、「一致する」というのは「実在に近いところに我々を導いてくれる」というほどの意味にすぎない、したがって真理は験証するうちに作られると言い、しかも今のところは真理と考えられるものでも将来もそうであるかはわからない、と未来の改定可能性をみとめる。
(第7講)
・・ このように真理とは「人間の行為」に応じて決まってくるものだと言える。実在はすでに完成されたものが超然と冷たく存在するものではなく、星空に星座が構成されるように人間の動機、意欲、関心の影響をうけて形成されてゆくものだと考えるのがプラグマティズムなのである。なお、プラグマティズムは経験論とも異なって、形成の果てに絶対的な実在が現れる可能性も排除していないことも忘れてはならない。
(第8講)
・・ 神の救済について、西洋の思想の主流はオプティミズムで「世界の救済は必ず来る」と考えている。これは合理論者の考え方には特に馴染む。これに対して「救済は不可能」というペシミズムもある。ショーペンハウエルなどがいるが少数派である。そしてその中間に「必然とも不可能とも言えない」と考える段階説があり得る。
・・ プラグマティズムは「救済は必然ではないが、条件が満たされれば救済の可能性蓋然性が高まる」と考える。その可能性は人間の側の行動によっても変わるし、個々の人によっても救済の程度は一様ではないかもしれない。
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プラグマティズム (岩波文庫) Kindle版
プラグマティズムは,もっともアメリカ的なものの考え方であり,今日のアメリカ資本主義社会とその文化を築き上げてきた基調である.本書は,このような考え方を初めて体系づけ,ヨーロッパの伝統的な思考方法を打破した点で不朽の功績をもつ.アメリカ的なものの見かたの核心は,じつにこの一冊に圧縮されている.
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1957/5/25
- ファイルサイズ2287 KB
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登録情報
- ASIN : B00RF1QFEC
- 出版社 : 岩波書店 (1957/5/25)
- 発売日 : 1957/5/25
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2287 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 288ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 83,472位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 701位岩波文庫
- - 1,164位思想
- - 1,480位哲学・思想 (Kindleストア)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月30日に日本でレビュー済み
レポート
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5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2023年7月29日に日本でレビュー済み
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哲学の移入を専ら近代西洋に求めた明治以降の日本の教育 結果として、米国で誕生したプラグラテイズムが日本での歴史が浅い事致し方ありません 大陸の合理論でもなく英国の経験論でもなく、すぐ決め付けずに現在事象に潜む効用を時間の流れの中で判定する鷹揚さ、そんな手もあったかと心ゆるびます
本書はW. Jamesのシリーズ講演を一本にしたものです 後半に入って暫らくのあいだ冗長さに辛抱、それでも付き合い終わると、面白いもの読んだアの読後感となりました 本書で傍点が付されている所の説明は無しにつき原典(英文)を見るに、其処は英語の大文字で書かれている部分でした 本書での説明欲しいですね Humanismの訳語を人本主義は今やおお古、そして間違いなく此処は訳者注が必要なところ、一般的に本書で訳者注が薄いのが目立つ欠陥でしょうね
私一個の明白な収穫を一つ 日頃の会話に於いて、米国社会の規制や風習に言及する折、つい「プラクティカル」と言ったり「プラグマテイックね」と言ったり、言い終わって間違って使ったかナと何か居心地悪かったもの 本書解説欄及び第二講の「プラグマティズムの意味」を読むに、同義に使ってよいと判り心中の曖昧が瓦解致しましたこと
ま、ええやおまへんか どないなるか見てみまひょ こんな文化をプラグマテイズムには覚えます 心安堵ですが此れ哲学? ただ方法じゃんの思いも禁じ得ません、正直のところ
真理(truth)とは「働く」もの Schiller
真理(truth)とは「満足」を与えるもの Dewey
斯く、当時走っていたプラグマテイスト2人の言葉を援用しながら、本書の著者Jamesは第六講「プラグマティズムの真理観」なる講演を展開させています
本書はW. Jamesのシリーズ講演を一本にしたものです 後半に入って暫らくのあいだ冗長さに辛抱、それでも付き合い終わると、面白いもの読んだアの読後感となりました 本書で傍点が付されている所の説明は無しにつき原典(英文)を見るに、其処は英語の大文字で書かれている部分でした 本書での説明欲しいですね Humanismの訳語を人本主義は今やおお古、そして間違いなく此処は訳者注が必要なところ、一般的に本書で訳者注が薄いのが目立つ欠陥でしょうね
私一個の明白な収穫を一つ 日頃の会話に於いて、米国社会の規制や風習に言及する折、つい「プラクティカル」と言ったり「プラグマテイックね」と言ったり、言い終わって間違って使ったかナと何か居心地悪かったもの 本書解説欄及び第二講の「プラグマティズムの意味」を読むに、同義に使ってよいと判り心中の曖昧が瓦解致しましたこと
ま、ええやおまへんか どないなるか見てみまひょ こんな文化をプラグマテイズムには覚えます 心安堵ですが此れ哲学? ただ方法じゃんの思いも禁じ得ません、正直のところ
真理(truth)とは「働く」もの Schiller
真理(truth)とは「満足」を与えるもの Dewey
斯く、当時走っていたプラグマテイスト2人の言葉を援用しながら、本書の著者Jamesは第六講「プラグマティズムの真理観」なる講演を展開させています
2021年11月3日に日本でレビュー済み
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言いたい事は、よい事を言っているのであろうが、学者の方が書いたのか、恐らく学術的な文体になっており、理解にとても苦労する。そもそものテーマがそういうものなのかもしれないが。
2023年2月6日に日本でレビュー済み
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最近、哲学がこれなしに成立しない雰囲気があります。
プラグマティズムは哲学の使用方法についての哲学で。
自分に合っている哲学や思想。
考え方や主義などを選択するのに役立ちますね。
あんまり内容が分からない場合は。
他にもプラグマティズムの解説本とか。
出回っていますので。
良書を探すとそれなりにありました。
何でも使えるものは使ってしまう哲学ですので。
何か変でも都合の悪い考え方でも。
道具として使えるものは使うという。
かなりの合理性を持ちます。
本書は。
世界中の哲学へ通じる玄関や案内板のようなもので。
中継地点や中立の思想とも受け取れます。
多様性によって主義主張が複雑になるにつれて。
プラグマティズムが必要であると自覚して。
事前に漁っておいて。
この翻訳を広告から得ました。
古典の広告なら本書の末尾にもたくさんありますが。
多読して疲れてしまい。
精読するならプラグマティズムの要素が必須で。
初心者に知って貰いたい哲学であり初心者向けと言えます。
いわゆる世界の哲学における地図です。
プラグマティズムは哲学の使用方法についての哲学で。
自分に合っている哲学や思想。
考え方や主義などを選択するのに役立ちますね。
あんまり内容が分からない場合は。
他にもプラグマティズムの解説本とか。
出回っていますので。
良書を探すとそれなりにありました。
何でも使えるものは使ってしまう哲学ですので。
何か変でも都合の悪い考え方でも。
道具として使えるものは使うという。
かなりの合理性を持ちます。
本書は。
世界中の哲学へ通じる玄関や案内板のようなもので。
中継地点や中立の思想とも受け取れます。
多様性によって主義主張が複雑になるにつれて。
プラグマティズムが必要であると自覚して。
事前に漁っておいて。
この翻訳を広告から得ました。
古典の広告なら本書の末尾にもたくさんありますが。
多読して疲れてしまい。
精読するならプラグマティズムの要素が必須で。
初心者に知って貰いたい哲学であり初心者向けと言えます。
いわゆる世界の哲学における地図です。
2020年5月5日に日本でレビュー済み
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19世紀の初頭、ボストンのロウエル学会、ニューヨークのコロンビア大学で3度にわたっておこなわれた講演録。増補も脚注も加えていないそうだ。当時は非常にラディカルな思想だった。プラグマティズムとは何であり、何でないか、を全編にわたって熱く語っている。そのなかで個人的にいちばんいいなと思ったプラグマティズムの説明はこれ。その包容力と柔軟性がこの思想の強みなのだろう。
「プラグマティズムは、ホテルの廊下のように、もろもろの学説の中央に位しているものである。無数の室がこの廊下に面して開いている」
若いころは画家を目指していたというジェイムズは文章にも絵画的なセンスがあるように思う。第四講で「一と多」を語っているあたりが特にそうだ。一度読んですっとわかるようなものではないが、以下備忘録的に。
哲学の歴史はその大部分が人間の気質の衝突ともいうべきものの歴史。雑駁に分けると原理寄りの合理主義的一元論者である「軟らかい心の人」と、事実寄りの経験主義的多元論者である「硬い心の人」との対立。この両者を満足させる哲学として「プラグマティズム」というものを提唱する。これによって「合理論と同じようにどこまでも宗教的たることをやめないが、それと同時に、経験論のように事実との最も豊かな折衝を保持することができる」。
プラグマティズムは、いつ果てるとも知れない形而上学上の論争を解決する一つの方法。木の幹を廻っているリスを見ようとその木のまわりを回っている人間は果たしてリスのまわりを廻っているのか?をめぐる論争を終わらせるには、「まわりを廻る」を定義しさえすればよい。つまりこの問はその定義によって「廻っている」ともいえるし「廻っていない」ともいえるわけだ。どちらがより正しいかは、「どれくらいの実際的な結果をもたらすか」で決まる。結果に差異がないならその論争には意味がない。神は万物の設計者か否か、についてもプラグマティストは同様に考える。この場合は「設計」という言葉の曖昧性が果てしない論争を招いている。神が設計者であると考えた場合、そうでない場合より「信頼に足る未来への展望」が開けるなら、そこにプラグマティックな意味がある。
設計者はさておきプラグマティスとはどのように世界を認識するのか。当然ながら絶対的一元論および絶対的多元論は放棄する。なぜならどちらであると仮定しても「実際上」の結果の相違を生まないから。プラグマティストは、「世界はその諸部分が或る一定の連結によって結びついている限りにおいては一であるが、或る一定の連結が求めえられぬかぎりにおいては多である」と考える。その「一部は結合され、一部は分離されている」いわばは開かれた世界において、「人間の努力によって」統一に向かう可能性が残されている。そう考えるた場合、絶対的一元論や絶対的多元論にはない、結果の相違が生まれる。つまりそれは世界をより完全に近づけるための人間の役割である。「世界はじつに鍛えられるものとして存在し、われわれ人間の手によって最後のタッチが加えられるのを待っているのである」。
プラグマティストにとって、常識も科学も哲学的批判主義も同列であり、いずれの考え方が優れているわけでもなくすべてがより現実に通用する真理に到達するための道具である。「真理は以前の真理に接木され、これを修正して」いきながら結合を強めていく。
宗教的絶対者の存在を認めるか認めないか。西洋哲学の歴史はこの問いに対する答えの探究の軌跡だ。それにプラグマティズムはどのような答えを用意しているのか。絶対者による救済は必ず来ると信じるのがオプティミストであり、来ないと思っているのがペシミストであり、条件付きで来るかもしれないと考えるのがプラグマティスト。その条件が「われわれの行為」である。その「改善論」的な世界では、絶対者は世界を創るにあたってこんなことを言う。その世界が完成するかどうかは創造される人間一人ひとりが「自己の最善を尽くす」ことにかかっている。危険だが不可能ではない。みんなが協力して働けば成し遂げられる。「君はこの一隊に加わろうと思うかね。君はあえてこの危険にぶつかっていけるかね、また他の参加者たちにそうできると思うかね」。
たいていの人間はこう言われたらよし、ひとつやってみようと奮い立ち「創造者の作意にわれわれ自身の作意を加ええて」いこうとするのではないか。これがジェイムズが行きついた「多元論的、道徳主義的タイプの「一種の総合的」な宗教観である。一神教限定での「総合」ではあるが。
(備忘録終わり)
西洋思想史の大きな課題のひとつは神をどう扱うかであり、それは言うまでもなくキリスト教における神である。一神教の神は唯一絶対の真理の象徴だ。だから真理の追究と神の存在は切っても切り離せない。しかし19世紀になると科学や産業の発達により、こうした宗教観が揺らいでくる。「神は死んだ」という言葉でそれまでの哲学を否定したニーチェや「自然淘汰」という考え方で創造主としての神の完全性を覆したダーウィンは、パースやジェイムズと同時代人だ。プラグマティズムがすごいのは「神はいるかいないか」という問いに対し「条件付きでいるかもしれない」というウルトラCな答えを出したことである。その条件というのが人間の行為なのだという。神を立てているようで実はこの世は人間次第といっている。この未来志向、そして行動思考がアメリカ的であり、20世紀的であり、21世紀にまで生きた思想として発展し続けているゆえんだろう。
「プラグマティズムは、ホテルの廊下のように、もろもろの学説の中央に位しているものである。無数の室がこの廊下に面して開いている」
若いころは画家を目指していたというジェイムズは文章にも絵画的なセンスがあるように思う。第四講で「一と多」を語っているあたりが特にそうだ。一度読んですっとわかるようなものではないが、以下備忘録的に。
哲学の歴史はその大部分が人間の気質の衝突ともいうべきものの歴史。雑駁に分けると原理寄りの合理主義的一元論者である「軟らかい心の人」と、事実寄りの経験主義的多元論者である「硬い心の人」との対立。この両者を満足させる哲学として「プラグマティズム」というものを提唱する。これによって「合理論と同じようにどこまでも宗教的たることをやめないが、それと同時に、経験論のように事実との最も豊かな折衝を保持することができる」。
プラグマティズムは、いつ果てるとも知れない形而上学上の論争を解決する一つの方法。木の幹を廻っているリスを見ようとその木のまわりを回っている人間は果たしてリスのまわりを廻っているのか?をめぐる論争を終わらせるには、「まわりを廻る」を定義しさえすればよい。つまりこの問はその定義によって「廻っている」ともいえるし「廻っていない」ともいえるわけだ。どちらがより正しいかは、「どれくらいの実際的な結果をもたらすか」で決まる。結果に差異がないならその論争には意味がない。神は万物の設計者か否か、についてもプラグマティストは同様に考える。この場合は「設計」という言葉の曖昧性が果てしない論争を招いている。神が設計者であると考えた場合、そうでない場合より「信頼に足る未来への展望」が開けるなら、そこにプラグマティックな意味がある。
設計者はさておきプラグマティスとはどのように世界を認識するのか。当然ながら絶対的一元論および絶対的多元論は放棄する。なぜならどちらであると仮定しても「実際上」の結果の相違を生まないから。プラグマティストは、「世界はその諸部分が或る一定の連結によって結びついている限りにおいては一であるが、或る一定の連結が求めえられぬかぎりにおいては多である」と考える。その「一部は結合され、一部は分離されている」いわばは開かれた世界において、「人間の努力によって」統一に向かう可能性が残されている。そう考えるた場合、絶対的一元論や絶対的多元論にはない、結果の相違が生まれる。つまりそれは世界をより完全に近づけるための人間の役割である。「世界はじつに鍛えられるものとして存在し、われわれ人間の手によって最後のタッチが加えられるのを待っているのである」。
プラグマティストにとって、常識も科学も哲学的批判主義も同列であり、いずれの考え方が優れているわけでもなくすべてがより現実に通用する真理に到達するための道具である。「真理は以前の真理に接木され、これを修正して」いきながら結合を強めていく。
宗教的絶対者の存在を認めるか認めないか。西洋哲学の歴史はこの問いに対する答えの探究の軌跡だ。それにプラグマティズムはどのような答えを用意しているのか。絶対者による救済は必ず来ると信じるのがオプティミストであり、来ないと思っているのがペシミストであり、条件付きで来るかもしれないと考えるのがプラグマティスト。その条件が「われわれの行為」である。その「改善論」的な世界では、絶対者は世界を創るにあたってこんなことを言う。その世界が完成するかどうかは創造される人間一人ひとりが「自己の最善を尽くす」ことにかかっている。危険だが不可能ではない。みんなが協力して働けば成し遂げられる。「君はこの一隊に加わろうと思うかね。君はあえてこの危険にぶつかっていけるかね、また他の参加者たちにそうできると思うかね」。
たいていの人間はこう言われたらよし、ひとつやってみようと奮い立ち「創造者の作意にわれわれ自身の作意を加ええて」いこうとするのではないか。これがジェイムズが行きついた「多元論的、道徳主義的タイプの「一種の総合的」な宗教観である。一神教限定での「総合」ではあるが。
(備忘録終わり)
西洋思想史の大きな課題のひとつは神をどう扱うかであり、それは言うまでもなくキリスト教における神である。一神教の神は唯一絶対の真理の象徴だ。だから真理の追究と神の存在は切っても切り離せない。しかし19世紀になると科学や産業の発達により、こうした宗教観が揺らいでくる。「神は死んだ」という言葉でそれまでの哲学を否定したニーチェや「自然淘汰」という考え方で創造主としての神の完全性を覆したダーウィンは、パースやジェイムズと同時代人だ。プラグマティズムがすごいのは「神はいるかいないか」という問いに対し「条件付きでいるかもしれない」というウルトラCな答えを出したことである。その条件というのが人間の行為なのだという。神を立てているようで実はこの世は人間次第といっている。この未来志向、そして行動思考がアメリカ的であり、20世紀的であり、21世紀にまで生きた思想として発展し続けているゆえんだろう。