さまざまな紆余曲折を経て完成したマーロン・ブランド唯一の監督作品(1961)。その意味で貴重であり異色の西部劇でした。とはいっても西部劇のスタイルを借りた復讐譚、そして苦いロマンスといった趣ですね。本作の完成までには表題のように60年代、70年代をリードする2人の監督との確執がありました。
自分を裏切った悪党仲間ダッド(カール・マルデン。あろうことか保安官になっているのです)を脱走して探し当て再会します。でもすぐには復讐しないのですね。ここからブランドのいつもながらの彼の芝居が堪能できます。語弊を怖れずにいえば、本作は結果としてブランドのブランドによるブランドのための映画といえるほど、(『革命児サパタ』と並んで)ブランドの芝居と彼が演じるキャラクターに魅せられる作品となっています。
本作では眼の奥と、抑えた声音にしまった燃え盛る憎悪がチラチラと垣間見えて堪りません。孤独とは人を求めることではなく、人に見せない見せられない部分を隠して生きること。自分を変えられないこと。ブランドのこのような「しかたない」というもやもやと、ときおり噴出する激情表現がブランドの真骨頂だといい切ってしまいましょう。いつもマーロンは理性と野生が混在した雰囲気をふりまいているのです。
ブランドは彼を許したふりをして復讐の機会をうかがうのですが、マルデンの義理の娘ルイザ(ピナ・ペリサー。結婚相手の連れ子です)と、お互いに激しい恋に落ちてしまいます。でもブランドの復讐の情は揺るぎもしない。でも人間らしい何かが彼の中に芽生え、2人のやりとりは哀切です。本作の特徴はこの復讐譚とロマンスの融合です。
ガン・ファイトが少なく、西部劇以外に置き換えても成立するお話ではあります。それに異色の西部劇というのは以前にもありましたし、60年代後半からはニュー・シネマ西部劇とも呼ぶべき作品群が現れました。今の眼から見れば過渡期的な作品かもしれませんし、初監督としてこなしきれていない部分も見受けられます。しかしブランドの本作への思い入れ(これまでとは一味違う西部劇を造る)と工夫はちゃんと伝わってきます。多くの方が指摘されているように、後半部はほとんど海辺を舞台としている点が異色です。打ち付ける高波、「潮騒の聞こえる、潮の香る西部劇」。移民の中国人らしき漁業コミュニティなどもでてきます。巻き上がる砂塵や浜辺・波の絵作り、一癖ある人物造形・・。意表をつくオープニングにも注目。
3行ネタバレ。注意→ そして中盤、ブランドが骨が見えるほどムチで背中を打たれ、銃が持てないほど右手を潰されます。ここまで西部劇で主人公が痛めつけられたことがあったでしょうか。ブランドは『革命児サパタ』『逃亡地帯』『波止場』『ゴッド・ファーザー』でもボコボコ、あるいは蜂の巣にされました。被虐芝居が多いような気がします。そして傷が癒えたあと、砂浜で早撃ちの訓練をするブランド。ストイックすぎる・・。
マルデン(『欲望という名の電車』『波止場』『ネバダ・スミス』『パットン大戦車軍団』)も表面上はすっかり改心したように皆を欺いているのですが、下衆な性根は消えなかったと見えます。怖れと疑惑、狡猾、歪んだ正義感の入り混じった微妙な役どころをこれまたいつものようにいやらしく演じます(『許されざる者』のジーン・ハックマンと少し似ています。ひょっとすると影響を与えたのではないでしょうか)。認知される前のベン・ジョンソン、スリム・ピケンズ、イライシャ・クックJr. らの出演も嬉しいところ。ルイザ役のピナはたぶん本作のみの出演。数年後に自害されたそうです。このピナ(母親はメキシカン。ハーフの設定です)の芯が強いひたむきさ、母との交流が強い印象を残します。
以下、★まで他のレビューを参考にした核心に触れています。
「スペードのジャックだな。俺は(お前の)隠れた顔も知ってる」。ブランドがマルデンにいうセリフ。他のレビューにありましたがトランプ絵札で横顔を見せているジャックはスペードとハートしかないそうです。マルデンがスペードならハートは・・。2人に限らず人が持っている二面性を端的に言い表した言葉です。善と悪とも割り切れない側面が人にはある。誰かを憎悪しながら別の人を愛することもできる・・。これが本作の大きなひとつのテーゼかと感じます。片目のジャックなる人物は登場しません。またIMDbによるとピナはブランドの編集版によると流れ弾で命を落とすそうです。★
ごく簡単にいうと、本作はもともとブランド側が企画し、ペキンパーに脚色を依頼したものです(第1稿提出)。ところがブランドが熱望したキューブリックを引き入れた後、2人はペキンパーを解雇しました。ペキンパーはかなりショックを受け「ブランドが俺に憎しみというものを教えた」とまでいっています。ペキンパーはキューブリックにも対抗意識満々だったそうで・・。その後ブランドはキャスティングでキューブリックと揉めました。ブランドはマルデンを押し、キューブリックはスペンサー・トレイシーに固執したようです(他にもヒロインを中国系にしたかった点で揉めました)。これで決裂は決定的となり、予算の都合からブランドが監督することになりました。ルメット、カザンにも断られたそうです。なおキューブリックは1フレーズも撮影せず、ペキンパーの書いたシークエンスは2つ使われたそうですがどのシーンかは不明です(『映画監督スタンリー・キューブリック』ヴィンセント・ロブロット、晶文社(1997)第9章「片目のジャック」131頁~140頁より)。その後ブランドがしばらく不遇をかこい、キューブリック、ペキンパーが注目されたのは皮肉です。
なお、当初はビリー・ザ・キッド伝説をもとにした脚本でしたが(原作『拳銃王の死』)、話しを逆転させ、キッドがパット・ギャレット(本作のマルデン)を倒すというアイディアをブランドが持ち込みました。ペキンパーはこの案に強硬に反対したそうです(前述134頁)。ペキンパーが後にこの原作をもとに『ビリー・ザ・キッド/ 21歳の生涯』として映画化したところに彼のガッツを感じてしまいます。
IMDbによるとブランドの編集版は5時間で、パラマウントにより141分に短縮。興行的には成功しましたが、ブランドはやはり不満を抱いていたそうです。また彼は「いい波」が来るまで(『地獄の黙示録』のキルゴア大佐みたいですね)何時間も浜辺に座り撮影のタイミングを計ったそうで思い入れが伝わるEPですね。しかし大俳優が当時監督したことは珍しく、弱点はあれど不当に過小評価されている気がします。ブランドの「俺俺ムービー」では断じてありません。撮影はオールマイティな大ベテラン、チャールズ・ラングJr.脚本は『終身犯』『寒い国から帰ったスパイ』のガイ・トロスパーですが、
物語よりもタッチ。ブランド、ブランド、ブランドの男っぷりを堪能してみてください。キューブリック、ペキンパーはここではちょっと置いておいて(もちろん大好きですが)。
国内版はパブリックドメインのワンコイン商品しかないようです。画質は傷やブレは目立ちませんが、少しちらつきありで滲んだような画調です(1:33: 1)。本サイトでは1999年の海外版DVDが500円ぐらい(1.85: 1 リージョン1 字幕情報不明ASIN: B000054OTY)。2011年の海外版BDが1500円強(1:85: 1 リージョンA remastered 字幕情報不明ASIN: B005GP7F8Y)も買えます。one eyed jacks で検索してみてください。
One-Eyed Jacks 1961 U.S. Paramount Pictures
なお、本サイト商品情報に出演アン・バクスターとありますが出ていないと思います。
片目のジャック [DVD] FRT-162
フォーマット | 色, 字幕付き |
コントリビュータ | ケティ・フラド/ピナ・ペリサー/マーロン・ブランド/アン・バクスター/カール・マルデン, マーロン・ブランド |
稼働時間 | 2 時間 21 分 |
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商品の説明
1880年のメキシコ。リオとダッド・ロングワースの2人組は銀行破りを働いて追われ、砂塵激しい山の頂きにおいつめられた。馬が1頭追手の弾丸に倒れ、ダッドが代りの馬をつれてくる約束で1人山を下りていった。しかしダッドは金袋をもって逃れ再び帰ってこなかった。捕らえられたリオは監獄に入れられた。数年後、リオは気の合ったモデストと共に脱獄に成功した。そして酒場で偶然知り合ったボッブとハーベイという悪漢2人組とつれだって、一行4人でカリフォルニアに向った。一仕事しようというモントレイの町そこはかつてリオを裏切ったダッドが保安官をやっていた。目の前に現れたリオを見て、ダッドは顔色を変えた。しかしリオはもう過去のことは忘れたといった。ダッドはリオに妻マリアと彼女の連れ子である娘のルイザを紹介した。ルイザはリオにたちまち心ひかれた。翌日は、モントレイの祭の日だった。リオはルイザを浜辺につれだし、2人はここで結ばれたのだが…。
登録情報
- EAN : 4560285901622
- 監督 : マーロン・ブランド
- メディア形式 : 色, 字幕付き
- 時間 : 2 時間 21 分
- 発売日 : 2006/12/14
- 出演 : ケティ・フラド/ピナ・ペリサー/マーロン・ブランド/アン・バクスター/カール・マルデン
- 販売元 : ファーストトレーディング
- ASIN : B000M06G42
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 216,850位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,322位外国の西部劇映画
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー

4 星
潮騒の聞こえる西部劇 ブランドとキューブリックとペキンパーの明暗
さまざまな紆余曲折を経て完成したマーロン・ブランド唯一の監督作品(1961)。その意味で貴重であり異色の西部劇でした。とはいっても西部劇のスタイルを借りた復讐譚、そして苦いロマンスといった趣ですね。本作の完成までには表題のように60年代、70年代をリードする2人の監督との確執がありました。自分を裏切った悪党仲間ダッド(カール・マルデン。あろうことか保安官になっているのです)を脱走して探し当て再会します。でもすぐには復讐しないのですね。ここからブランドのいつもながらの彼の芝居が堪能できます。語弊を怖れずにいえば、本作は結果としてブランドのブランドによるブランドのための映画といえるほど、(『革命児サパタ』と並んで)ブランドの芝居と彼が演じるキャラクターに魅せられる作品となっています。本作では眼の奥と、抑えた声音にしまった燃え盛る憎悪がチラチラと垣間見えて堪りません。孤独とは人を求めることではなく、人に見せない見せられない部分を隠して生きること。自分を変えられないこと。ブランドのこのような「しかたない」というもやもやと、ときおり噴出する激情表現がブランドの真骨頂だといい切ってしまいましょう。いつもマーロンは理性と野生が混在した雰囲気をふりまいているのです。ブランドは彼を許したふりをして復讐の機会をうかがうのですが、マルデンの義理の娘ルイザ(ピナ・ペリサー。結婚相手の連れ子です)と、お互いに激しい恋に落ちてしまいます。でもブランドの復讐の情は揺るぎもしない。でも人間らしい何かが彼の中に芽生え、2人のやりとりは哀切です。本作の特徴はこの復讐譚とロマンスの融合です。ガン・ファイトが少なく、西部劇以外に置き換えても成立するお話ではあります。それに異色の西部劇というのは以前にもありましたし、60年代後半からはニュー・シネマ西部劇とも呼ぶべき作品群が現れました。今の眼から見れば過渡期的な作品かもしれませんし、初監督としてこなしきれていない部分も見受けられます。しかしブランドの本作への思い入れ(これまでとは一味違う西部劇を造る)と工夫はちゃんと伝わってきます。多くの方が指摘されているように、後半部はほとんど海辺を舞台としている点が異色です。打ち付ける高波、「潮騒の聞こえる、潮の香る西部劇」。移民の中国人らしき漁業コミュニティなどもでてきます。巻き上がる砂塵や浜辺・波の絵作り、一癖ある人物造形・・。意表をつくオープニングにも注目。3行ネタバレ。注意→ そして中盤、ブランドが骨が見えるほどムチで背中を打たれ、銃が持てないほど右手を潰されます。ここまで西部劇で主人公が痛めつけられたことがあったでしょうか。ブランドは『革命児サパタ』『逃亡地帯』『波止場』『ゴッド・ファーザー』でもボコボコ、あるいは蜂の巣にされました。被虐芝居が多いような気がします。そして傷が癒えたあと、砂浜で早撃ちの訓練をするブランド。ストイックすぎる・・。マルデン(『欲望という名の電車』『波止場』『ネバダ・スミス』『パットン大戦車軍団』)も表面上はすっかり改心したように皆を欺いているのですが、下衆な性根は消えなかったと見えます。怖れと疑惑、狡猾、歪んだ正義感の入り混じった微妙な役どころをこれまたいつものようにいやらしく演じます(『許されざる者』のジーン・ハックマンと少し似ています。ひょっとすると影響を与えたのではないでしょうか)。認知される前のベン・ジョンソン、スリム・ピケンズ、イライシャ・クックJr. らの出演も嬉しいところ。ルイザ役のピナはたぶん本作のみの出演。数年後に自害されたそうです。このピナ(母親はメキシカン。ハーフの設定です)の芯が強いひたむきさ、母との交流が強い印象を残します。以下、★まで他のレビューを参考にした核心に触れています。「スペードのジャックだな。俺は(お前の)隠れた顔も知ってる」。ブランドがマルデンにいうセリフ。他のレビューにありましたがトランプ絵札で横顔を見せているジャックはスペードとハートしかないそうです。マルデンがスペードならハートは・・。2人に限らず人が持っている二面性を端的に言い表した言葉です。善と悪とも割り切れない側面が人にはある。誰かを憎悪しながら別の人を愛することもできる・・。これが本作の大きなひとつのテーゼかと感じます。片目のジャックなる人物は登場しません。またIMDbによるとピナはブランドの編集版によると流れ弾で命を落とすそうです。★ごく簡単にいうと、本作はもともとブランド側が企画し、ペキンパーに脚色を依頼したものです(第1稿提出)。ところがブランドが熱望したキューブリックを引き入れた後、2人はペキンパーを解雇しました。ペキンパーはかなりショックを受け「ブランドが俺に憎しみというものを教えた」とまでいっています。ペキンパーはキューブリックにも対抗意識満々だったそうで・・。その後ブランドはキャスティングでキューブリックと揉めました。ブランドはマルデンを押し、キューブリックはスペンサー・トレイシーに固執したようです(他にもヒロインを中国系にしたかった点で揉めました)。これで決裂は決定的となり、予算の都合からブランドが監督することになりました。ルメット、カザンにも断られたそうです。なおキューブリックは1フレーズも撮影せず、ペキンパーの書いたシークエンスは2つ使われたそうですがどのシーンかは不明です(『映画監督スタンリー・キューブリック』ヴィンセント・ロブロット、晶文社(1997)第9章「片目のジャック」131頁~140頁より)。その後ブランドがしばらく不遇をかこい、キューブリック、ペキンパーが注目されたのは皮肉です。なお、当初はビリー・ザ・キッド伝説をもとにした脚本でしたが(原作『拳銃王の死』)、話しを逆転させ、キッドがパット・ギャレット(本作のマルデン)を倒すというアイディアをブランドが持ち込みました。ペキンパーはこの案に強硬に反対したそうです(前述134頁)。ペキンパーが後にこの原作をもとに『ビリー・ザ・キッド/ 21歳の生涯』として映画化したところに彼のガッツを感じてしまいます。IMDbによるとブランドの編集版は5時間で、パラマウントにより141分に短縮。興行的には成功しましたが、ブランドはやはり不満を抱いていたそうです。また彼は「いい波」が来るまで(『地獄の黙示録』のキルゴア大佐みたいですね)何時間も浜辺に座り撮影のタイミングを計ったそうで思い入れが伝わるEPですね。しかし大俳優が当時監督したことは珍しく、弱点はあれど不当に過小評価されている気がします。ブランドの「俺俺ムービー」では断じてありません。撮影はオールマイティな大ベテラン、チャールズ・ラングJr.脚本は『終身犯』『寒い国から帰ったスパイ』のガイ・トロスパーですが、物語よりもタッチ。ブランド、ブランド、ブランドの男っぷりを堪能してみてください。キューブリック、ペキンパーはここではちょっと置いておいて(もちろん大好きですが)。国内版はパブリックドメインのワンコイン商品しかないようです。画質は傷やブレは目立ちませんが、少しちらつきありで滲んだような画調です(1:33: 1)。本サイトでは1999年の海外版DVDが500円ぐらい(1.85: 1 リージョン1 字幕情報不明ASIN: B000054OTY)。2011年の海外版BDが1500円強(1:85: 1 リージョンA remastered 字幕情報不明ASIN: B005GP7F8Y)も買えます。one eyed jacks で検索してみてください。One-Eyed Jacks 1961 U.S. Paramount Picturesなお、本サイト商品情報に出演アン・バクスターとありますが出ていないと思います。
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2015年1月15日に日本でレビュー済み

さまざまな紆余曲折を経て完成したマーロン・ブランド唯一の監督作品(1961)。その意味で貴重であり異色の西部劇でした。とはいっても西部劇のスタイルを借りた復讐譚、そして苦いロマンスといった趣ですね。本作の完成までには表題のように60年代、70年代をリードする2人の監督との確執がありました。
自分を裏切った悪党仲間ダッド(カール・マルデン。あろうことか保安官になっているのです)を脱走して探し当て再会します。でもすぐには復讐しないのですね。ここからブランドのいつもながらの彼の芝居が堪能できます。語弊を怖れずにいえば、本作は結果としてブランドのブランドによるブランドのための映画といえるほど、(『革命児サパタ』と並んで)ブランドの芝居と彼が演じるキャラクターに魅せられる作品となっています。
本作では眼の奥と、抑えた声音にしまった燃え盛る憎悪がチラチラと垣間見えて堪りません。孤独とは人を求めることではなく、人に見せない見せられない部分を隠して生きること。自分を変えられないこと。ブランドのこのような「しかたない」というもやもやと、ときおり噴出する激情表現がブランドの真骨頂だといい切ってしまいましょう。いつもマーロンは理性と野生が混在した雰囲気をふりまいているのです。
ブランドは彼を許したふりをして復讐の機会をうかがうのですが、マルデンの義理の娘ルイザ(ピナ・ペリサー。結婚相手の連れ子です)と、お互いに激しい恋に落ちてしまいます。でもブランドの復讐の情は揺るぎもしない。でも人間らしい何かが彼の中に芽生え、2人のやりとりは哀切です。本作の特徴はこの復讐譚とロマンスの融合です。
ガン・ファイトが少なく、西部劇以外に置き換えても成立するお話ではあります。それに異色の西部劇というのは以前にもありましたし、60年代後半からはニュー・シネマ西部劇とも呼ぶべき作品群が現れました。今の眼から見れば過渡期的な作品かもしれませんし、初監督としてこなしきれていない部分も見受けられます。しかしブランドの本作への思い入れ(これまでとは一味違う西部劇を造る)と工夫はちゃんと伝わってきます。多くの方が指摘されているように、後半部はほとんど海辺を舞台としている点が異色です。打ち付ける高波、「潮騒の聞こえる、潮の香る西部劇」。移民の中国人らしき漁業コミュニティなどもでてきます。巻き上がる砂塵や浜辺・波の絵作り、一癖ある人物造形・・。意表をつくオープニングにも注目。
3行ネタバレ。注意→ そして中盤、ブランドが骨が見えるほどムチで背中を打たれ、銃が持てないほど右手を潰されます。ここまで西部劇で主人公が痛めつけられたことがあったでしょうか。ブランドは『革命児サパタ』『逃亡地帯』『波止場』『ゴッド・ファーザー』でもボコボコ、あるいは蜂の巣にされました。被虐芝居が多いような気がします。そして傷が癒えたあと、砂浜で早撃ちの訓練をするブランド。ストイックすぎる・・。
マルデン(『欲望という名の電車』『波止場』『ネバダ・スミス』『パットン大戦車軍団』)も表面上はすっかり改心したように皆を欺いているのですが、下衆な性根は消えなかったと見えます。怖れと疑惑、狡猾、歪んだ正義感の入り混じった微妙な役どころをこれまたいつものようにいやらしく演じます(『許されざる者』のジーン・ハックマンと少し似ています。ひょっとすると影響を与えたのではないでしょうか)。認知される前のベン・ジョンソン、スリム・ピケンズ、イライシャ・クックJr. らの出演も嬉しいところ。ルイザ役のピナはたぶん本作のみの出演。数年後に自害されたそうです。このピナ(母親はメキシカン。ハーフの設定です)の芯が強いひたむきさ、母との交流が強い印象を残します。
以下、★まで他のレビューを参考にした核心に触れています。
「スペードのジャックだな。俺は(お前の)隠れた顔も知ってる」。ブランドがマルデンにいうセリフ。他のレビューにありましたがトランプ絵札で横顔を見せているジャックはスペードとハートしかないそうです。マルデンがスペードならハートは・・。2人に限らず人が持っている二面性を端的に言い表した言葉です。善と悪とも割り切れない側面が人にはある。誰かを憎悪しながら別の人を愛することもできる・・。これが本作の大きなひとつのテーゼかと感じます。片目のジャックなる人物は登場しません。またIMDbによるとピナはブランドの編集版によると流れ弾で命を落とすそうです。★
ごく簡単にいうと、本作はもともとブランド側が企画し、ペキンパーに脚色を依頼したものです(第1稿提出)。ところがブランドが熱望したキューブリックを引き入れた後、2人はペキンパーを解雇しました。ペキンパーはかなりショックを受け「ブランドが俺に憎しみというものを教えた」とまでいっています。ペキンパーはキューブリックにも対抗意識満々だったそうで・・。その後ブランドはキャスティングでキューブリックと揉めました。ブランドはマルデンを押し、キューブリックはスペンサー・トレイシーに固執したようです(他にもヒロインを中国系にしたかった点で揉めました)。これで決裂は決定的となり、予算の都合からブランドが監督することになりました。ルメット、カザンにも断られたそうです。なおキューブリックは1フレーズも撮影せず、ペキンパーの書いたシークエンスは2つ使われたそうですがどのシーンかは不明です(『映画監督スタンリー・キューブリック』ヴィンセント・ロブロット、晶文社(1997)第9章「片目のジャック」131頁~140頁より)。その後ブランドがしばらく不遇をかこい、キューブリック、ペキンパーが注目されたのは皮肉です。
なお、当初はビリー・ザ・キッド伝説をもとにした脚本でしたが(原作『拳銃王の死』)、話しを逆転させ、キッドがパット・ギャレット(本作のマルデン)を倒すというアイディアをブランドが持ち込みました。ペキンパーはこの案に強硬に反対したそうです(前述134頁)。ペキンパーが後にこの原作をもとに『ビリー・ザ・キッド/ 21歳の生涯』として映画化したところに彼のガッツを感じてしまいます。
IMDbによるとブランドの編集版は5時間で、パラマウントにより141分に短縮。興行的には成功しましたが、ブランドはやはり不満を抱いていたそうです。また彼は「いい波」が来るまで(『地獄の黙示録』のキルゴア大佐みたいですね)何時間も浜辺に座り撮影のタイミングを計ったそうで思い入れが伝わるEPですね。しかし大俳優が当時監督したことは珍しく、弱点はあれど不当に過小評価されている気がします。ブランドの「俺俺ムービー」では断じてありません。撮影はオールマイティな大ベテラン、チャールズ・ラングJr.脚本は『終身犯』『寒い国から帰ったスパイ』のガイ・トロスパーですが、
物語よりもタッチ。ブランド、ブランド、ブランドの男っぷりを堪能してみてください。キューブリック、ペキンパーはここではちょっと置いておいて(もちろん大好きですが)。
国内版はパブリックドメインのワンコイン商品しかないようです。画質は傷やブレは目立ちませんが、少しちらつきありで滲んだような画調です(1:33: 1)。本サイトでは1999年の海外版DVDが500円ぐらい(1.85: 1 リージョン1 字幕情報不明ASIN: B000054OTY)。2011年の海外版BDが1500円強(1:85: 1 リージョンA remastered 字幕情報不明ASIN: B005GP7F8Y)も買えます。one eyed jacks で検索してみてください。
One-Eyed Jacks 1961 U.S. Paramount Pictures
なお、本サイト商品情報に出演アン・バクスターとありますが出ていないと思います。
自分を裏切った悪党仲間ダッド(カール・マルデン。あろうことか保安官になっているのです)を脱走して探し当て再会します。でもすぐには復讐しないのですね。ここからブランドのいつもながらの彼の芝居が堪能できます。語弊を怖れずにいえば、本作は結果としてブランドのブランドによるブランドのための映画といえるほど、(『革命児サパタ』と並んで)ブランドの芝居と彼が演じるキャラクターに魅せられる作品となっています。
本作では眼の奥と、抑えた声音にしまった燃え盛る憎悪がチラチラと垣間見えて堪りません。孤独とは人を求めることではなく、人に見せない見せられない部分を隠して生きること。自分を変えられないこと。ブランドのこのような「しかたない」というもやもやと、ときおり噴出する激情表現がブランドの真骨頂だといい切ってしまいましょう。いつもマーロンは理性と野生が混在した雰囲気をふりまいているのです。
ブランドは彼を許したふりをして復讐の機会をうかがうのですが、マルデンの義理の娘ルイザ(ピナ・ペリサー。結婚相手の連れ子です)と、お互いに激しい恋に落ちてしまいます。でもブランドの復讐の情は揺るぎもしない。でも人間らしい何かが彼の中に芽生え、2人のやりとりは哀切です。本作の特徴はこの復讐譚とロマンスの融合です。
ガン・ファイトが少なく、西部劇以外に置き換えても成立するお話ではあります。それに異色の西部劇というのは以前にもありましたし、60年代後半からはニュー・シネマ西部劇とも呼ぶべき作品群が現れました。今の眼から見れば過渡期的な作品かもしれませんし、初監督としてこなしきれていない部分も見受けられます。しかしブランドの本作への思い入れ(これまでとは一味違う西部劇を造る)と工夫はちゃんと伝わってきます。多くの方が指摘されているように、後半部はほとんど海辺を舞台としている点が異色です。打ち付ける高波、「潮騒の聞こえる、潮の香る西部劇」。移民の中国人らしき漁業コミュニティなどもでてきます。巻き上がる砂塵や浜辺・波の絵作り、一癖ある人物造形・・。意表をつくオープニングにも注目。
3行ネタバレ。注意→ そして中盤、ブランドが骨が見えるほどムチで背中を打たれ、銃が持てないほど右手を潰されます。ここまで西部劇で主人公が痛めつけられたことがあったでしょうか。ブランドは『革命児サパタ』『逃亡地帯』『波止場』『ゴッド・ファーザー』でもボコボコ、あるいは蜂の巣にされました。被虐芝居が多いような気がします。そして傷が癒えたあと、砂浜で早撃ちの訓練をするブランド。ストイックすぎる・・。
マルデン(『欲望という名の電車』『波止場』『ネバダ・スミス』『パットン大戦車軍団』)も表面上はすっかり改心したように皆を欺いているのですが、下衆な性根は消えなかったと見えます。怖れと疑惑、狡猾、歪んだ正義感の入り混じった微妙な役どころをこれまたいつものようにいやらしく演じます(『許されざる者』のジーン・ハックマンと少し似ています。ひょっとすると影響を与えたのではないでしょうか)。認知される前のベン・ジョンソン、スリム・ピケンズ、イライシャ・クックJr. らの出演も嬉しいところ。ルイザ役のピナはたぶん本作のみの出演。数年後に自害されたそうです。このピナ(母親はメキシカン。ハーフの設定です)の芯が強いひたむきさ、母との交流が強い印象を残します。
以下、★まで他のレビューを参考にした核心に触れています。
「スペードのジャックだな。俺は(お前の)隠れた顔も知ってる」。ブランドがマルデンにいうセリフ。他のレビューにありましたがトランプ絵札で横顔を見せているジャックはスペードとハートしかないそうです。マルデンがスペードならハートは・・。2人に限らず人が持っている二面性を端的に言い表した言葉です。善と悪とも割り切れない側面が人にはある。誰かを憎悪しながら別の人を愛することもできる・・。これが本作の大きなひとつのテーゼかと感じます。片目のジャックなる人物は登場しません。またIMDbによるとピナはブランドの編集版によると流れ弾で命を落とすそうです。★
ごく簡単にいうと、本作はもともとブランド側が企画し、ペキンパーに脚色を依頼したものです(第1稿提出)。ところがブランドが熱望したキューブリックを引き入れた後、2人はペキンパーを解雇しました。ペキンパーはかなりショックを受け「ブランドが俺に憎しみというものを教えた」とまでいっています。ペキンパーはキューブリックにも対抗意識満々だったそうで・・。その後ブランドはキャスティングでキューブリックと揉めました。ブランドはマルデンを押し、キューブリックはスペンサー・トレイシーに固執したようです(他にもヒロインを中国系にしたかった点で揉めました)。これで決裂は決定的となり、予算の都合からブランドが監督することになりました。ルメット、カザンにも断られたそうです。なおキューブリックは1フレーズも撮影せず、ペキンパーの書いたシークエンスは2つ使われたそうですがどのシーンかは不明です(『映画監督スタンリー・キューブリック』ヴィンセント・ロブロット、晶文社(1997)第9章「片目のジャック」131頁~140頁より)。その後ブランドがしばらく不遇をかこい、キューブリック、ペキンパーが注目されたのは皮肉です。
なお、当初はビリー・ザ・キッド伝説をもとにした脚本でしたが(原作『拳銃王の死』)、話しを逆転させ、キッドがパット・ギャレット(本作のマルデン)を倒すというアイディアをブランドが持ち込みました。ペキンパーはこの案に強硬に反対したそうです(前述134頁)。ペキンパーが後にこの原作をもとに『ビリー・ザ・キッド/ 21歳の生涯』として映画化したところに彼のガッツを感じてしまいます。
IMDbによるとブランドの編集版は5時間で、パラマウントにより141分に短縮。興行的には成功しましたが、ブランドはやはり不満を抱いていたそうです。また彼は「いい波」が来るまで(『地獄の黙示録』のキルゴア大佐みたいですね)何時間も浜辺に座り撮影のタイミングを計ったそうで思い入れが伝わるEPですね。しかし大俳優が当時監督したことは珍しく、弱点はあれど不当に過小評価されている気がします。ブランドの「俺俺ムービー」では断じてありません。撮影はオールマイティな大ベテラン、チャールズ・ラングJr.脚本は『終身犯』『寒い国から帰ったスパイ』のガイ・トロスパーですが、
物語よりもタッチ。ブランド、ブランド、ブランドの男っぷりを堪能してみてください。キューブリック、ペキンパーはここではちょっと置いておいて(もちろん大好きですが)。
国内版はパブリックドメインのワンコイン商品しかないようです。画質は傷やブレは目立ちませんが、少しちらつきありで滲んだような画調です(1:33: 1)。本サイトでは1999年の海外版DVDが500円ぐらい(1.85: 1 リージョン1 字幕情報不明ASIN: B000054OTY)。2011年の海外版BDが1500円強(1:85: 1 リージョンA remastered 字幕情報不明ASIN: B005GP7F8Y)も買えます。one eyed jacks で検索してみてください。
One-Eyed Jacks 1961 U.S. Paramount Pictures
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2022年1月19日に日本でレビュー済み
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二人が共演した「欲望という名の電車」(1951年)が好きで、昔テレビでやっていたのを録画して何度も見た。マルデンとは1954年にも「波止場」、そして本作「片目のジャック」(1961年)と3作品で共演したらしい。マルデンを見ると「欲望」の礼儀正しく優しいミッチを思い出す私は、本作で暴力的で嫌な男を演じているのを見て、彼の演技の幅に感心した。
映画が始まったときは、子供のころ父がよく見ていたホコリっぽい西部劇みたいで、あんまり興味ないなあと思ったのだが、話が進むにつれておもしろく見た。銀行強盗、裏切り、復讐、恋愛となかなか忙しい。ルイーザが美しい。落ち着いた声が素敵。演じたPina Pellicerは、残念ながら1964年に30歳で自死されたとか。
片目のジャックとは、トランプのスペードとハートの11。顔が横向きになっている。原題は、"one-eyed jacks”と複数で二枚を差している。劇中、ブランドが保安官になっているマルデンに「You're a one-eyed jack around here, Dad, but I've seen the other side of your face (お前は片目のジャックだが、俺はその裏の顔も知っている)」(字幕の訳は忘れたので私の訳)と言う。後ろ暗い過去を持つ保安官。もう一枚のジャックはブランドということか。ギャングだったブランドの反対側の顔は、ルイーザに出会い愛を知った真っ当な男、と私は解釈した。
映画が始まったときは、子供のころ父がよく見ていたホコリっぽい西部劇みたいで、あんまり興味ないなあと思ったのだが、話が進むにつれておもしろく見た。銀行強盗、裏切り、復讐、恋愛となかなか忙しい。ルイーザが美しい。落ち着いた声が素敵。演じたPina Pellicerは、残念ながら1964年に30歳で自死されたとか。
片目のジャックとは、トランプのスペードとハートの11。顔が横向きになっている。原題は、"one-eyed jacks”と複数で二枚を差している。劇中、ブランドが保安官になっているマルデンに「You're a one-eyed jack around here, Dad, but I've seen the other side of your face (お前は片目のジャックだが、俺はその裏の顔も知っている)」(字幕の訳は忘れたので私の訳)と言う。後ろ暗い過去を持つ保安官。もう一枚のジャックはブランドということか。ギャングだったブランドの反対側の顔は、ルイーザに出会い愛を知った真っ当な男、と私は解釈した。
2023年5月4日に日本でレビュー済み
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口の中でモゴモゴ言うようなブランドの声が印象深い。
海岸地方が主な舞台の西部劇は珍しく、それも含めて歴史に残る映画と思う。
海岸地方が主な舞台の西部劇は珍しく、それも含めて歴史に残る映画と思う。
2020年6月8日に日本でレビュー済み
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相棒を裏切ったマルデンをブランドが狙うという復讐譚なのだが、これに連れ子の娘との恋が絡むというもの。
義理の娘だから父親と言っても義理の関係。だから恨まれることもないというわけ。
だけどマルデンと撃ち合って逃げ出したのに追手が全くかからないというのはどうですかね。そんなことはどうでもいいことなのだろうけれど。
マルデンの妻役の女性、メキシコ人だから当然なのだけれど、メキシコ人としてよく出てくるね。
ストーリーとしては込み入ったものでもないし分かりやすいのだが、強盗団がじっと待つという部分が冗長になっている気がするな。
それにしてもブランドの声が甲高い感じで、いくら作った声とはいえ、ドン・ヴィトーと比べると軽いね。
義理の娘だから父親と言っても義理の関係。だから恨まれることもないというわけ。
だけどマルデンと撃ち合って逃げ出したのに追手が全くかからないというのはどうですかね。そんなことはどうでもいいことなのだろうけれど。
マルデンの妻役の女性、メキシコ人だから当然なのだけれど、メキシコ人としてよく出てくるね。
ストーリーとしては込み入ったものでもないし分かりやすいのだが、強盗団がじっと待つという部分が冗長になっている気がするな。
それにしてもブランドの声が甲高い感じで、いくら作った声とはいえ、ドン・ヴィトーと比べると軽いね。
2021年4月17日に日本でレビュー済み
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とにかくマーロンブランドってこれほどカッコイイ男だったとは知らなかった。女性の視点からどうとらえられるかは私には永久に分からないが,男の私が言うのもおかしいが,しかし相当この人は当時個性派の二枚目俳優だったことだろう。台詞以外に彼の表情や言葉の間の取り方やちょっとしたことが彼の風貌,雰囲気によってのみ,この映画の良さが醸し出されている。彼の存在感があまりにもこの作品を決定づけているのがすごい。この恋愛関係はとっくにスクリーンの枠を越えてしまって全く過去や現在の違いなどないことを知らしめるほどなのが驚きだ。
2020年9月14日に日本でレビュー済み
舞台はアメリカ西部で、出てくる人物は銀行ギャングと元銀行ギャングで今は保安官と言う人物であるので、典型的な西部劇のようであるが、無教養な主人公と清楚で純粋なヒロインの純愛物語と見るべきであろう。何故なら銀行ギャングと保安官の打ち合いなどと言うものはどこの西部劇にも出てくる者であり、それ自体特に特筆するものはないが、悪人だった主人公の頑なな心を真っ直ぐな愛で解いて行くヒロインのひたむきさには感動を覚えたからである。
その他の感想としては、主人公のマーロンブランドと言えば、どうしてもゴットファーザーのイメージが強いが、この映画では、年も若い時の作品のせいか正に西部の暴れ者「キッド」のイメージであった。
また、舞台となった西部の町は今のモントレーとは全く違った田舎町で、そこでは、銃が平和を築くというアメリカの開拓者魂に満ち溢れているのも元熱烈な西部劇ファンであったレビューアーには懐かしく見えた。このような伝統があるから、いまだにアメリカでは、銃規制ができないという事情も分かる気がした。
その他の感想としては、主人公のマーロンブランドと言えば、どうしてもゴットファーザーのイメージが強いが、この映画では、年も若い時の作品のせいか正に西部の暴れ者「キッド」のイメージであった。
また、舞台となった西部の町は今のモントレーとは全く違った田舎町で、そこでは、銃が平和を築くというアメリカの開拓者魂に満ち溢れているのも元熱烈な西部劇ファンであったレビューアーには懐かしく見えた。このような伝統があるから、いまだにアメリカでは、銃規制ができないという事情も分かる気がした。
2020年9月6日に日本でレビュー済み
今から150年前のアメリカン西海岸では、本作品のように、銀行強盗犯が保安官に収まるという類いの話が、実際にあったのかもしれない。保安官の役目は治安の維持にある。銀行強盗を成功させた男なら、逆の立場に立てば、さぞかし治安維持に貢献するのではないか?ただ、昔の仲間の信頼を得られるかどうかは別問題だ。
2010年10月18日に日本でレビュー済み
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子供のときテレビ放映で見たのですが、そのときは、様々な人間の本性というか、そういうことが何も分かりませんでした。
今見て、見ごたえがありますし、ブランドが台詞や筋書きに拘わっていたのではないか、と思うくらい、リアルな感じの人間模様になっています。
先ず、ならず者が逃げて、一人がもう一人を置き去りにする、で、復讐心を燃やす、と言うのは、分かりやすいのですが・・・
5年後再会して、逃げた方が、嘘をつき、それをとりあえず受け入れる・・というところから、なんか、リアルな人間ドラマ、になっていくんですよね・・・
それで、驚きは、メキシコ人の母娘、です。ふたりとも大した女、なのです。
ブランドに、愛の告白は嘘だ、と告げられた娘は、恥じるべきはあなただ、と言ってのけるし、子供が出来た、と娘に告白された母は、娘をいたわります。ヒステリーになったりしません。なんとも立派な母娘なのです!!
その、立派な娘に触れて、やんちゃだったブランドも、人の生きるべき真実の道に目覚めていくのです。
これって、ブランド自身の理想、ではないでしょうか。やんちゃな自分が、聖母のように清い心の(有色人種の!)女性によって、正しい生き方に導かれていく。
そして、ブランドの怒りを表すときの演技などの爆発ぶりは、もう、すごいです!だれも真似できない感じ!!
また、最後ブランドがつかまり、死刑になりそうなときの、覚悟の落ち着きぶりは、また、すごいです。こんなに何度も敵ばかりで死ぬ目に会わされた人は、こんな風に覚悟できるのかな。
あと、カール・マルデンがお祭りのとき、ダンスして見せるのですが、見ものでした!日本では、おじさんの役者はあんなに踊れないでしょう!
この映画はブランドが監督もしています。最初予定していた監督(キューブリック!)が、降りてしまい、自分で監督せざるを得なくなった、ということです。フレームを決めるために覘くファインダーをさかさまから のぞいて、スタッフに教えてもらったりしたところから、始まった、と言いますが・・彼のセンスは、やはり大したものだ、と思います。
今見て、見ごたえがありますし、ブランドが台詞や筋書きに拘わっていたのではないか、と思うくらい、リアルな感じの人間模様になっています。
先ず、ならず者が逃げて、一人がもう一人を置き去りにする、で、復讐心を燃やす、と言うのは、分かりやすいのですが・・・
5年後再会して、逃げた方が、嘘をつき、それをとりあえず受け入れる・・というところから、なんか、リアルな人間ドラマ、になっていくんですよね・・・
それで、驚きは、メキシコ人の母娘、です。ふたりとも大した女、なのです。
ブランドに、愛の告白は嘘だ、と告げられた娘は、恥じるべきはあなただ、と言ってのけるし、子供が出来た、と娘に告白された母は、娘をいたわります。ヒステリーになったりしません。なんとも立派な母娘なのです!!
その、立派な娘に触れて、やんちゃだったブランドも、人の生きるべき真実の道に目覚めていくのです。
これって、ブランド自身の理想、ではないでしょうか。やんちゃな自分が、聖母のように清い心の(有色人種の!)女性によって、正しい生き方に導かれていく。
そして、ブランドの怒りを表すときの演技などの爆発ぶりは、もう、すごいです!だれも真似できない感じ!!
また、最後ブランドがつかまり、死刑になりそうなときの、覚悟の落ち着きぶりは、また、すごいです。こんなに何度も敵ばかりで死ぬ目に会わされた人は、こんな風に覚悟できるのかな。
あと、カール・マルデンがお祭りのとき、ダンスして見せるのですが、見ものでした!日本では、おじさんの役者はあんなに踊れないでしょう!
この映画はブランドが監督もしています。最初予定していた監督(キューブリック!)が、降りてしまい、自分で監督せざるを得なくなった、ということです。フレームを決めるために覘くファインダーをさかさまから のぞいて、スタッフに教えてもらったりしたところから、始まった、と言いますが・・彼のセンスは、やはり大したものだ、と思います。