
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
倫理学 1 (岩波文庫 青 144-9) 文庫 – 2007/1/16
和辻 哲郎
(著)
- ISBN-104003314492
- ISBN-13978-4003314494
- 出版社岩波書店
- 発売日2007/1/16
- 言語日本語
- 本の長さ481ページ
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を読めば、専攻選びの手掛かりが得られる。和辻が、唯一、社会学の古典を高校生でも読める状態にした功労者。
2007年7月2日に日本でレビュー済み
この書評は前の書評氏への反論として書く。和辻と三木を「概念が盗みに等しい」と批評するが、和辻の独創性は日本思想史において非常に稀有な存在。三木の「パスカル論」は内容はパスカルの思想であるが、その思想を弁証法を用いて、ここまで高めたのは三木の功績。だれもこれほどまでにパスカルの思想を鮮明に浮き彫りにしたものはいない。「日本の人文系のインチキ臭さ」というが、あなたは日本人ではないのか。
社会学者、大沢真幸『戦後思想空間』(1988年)の西田、田辺、和辻の理解は、戦後50年経ても、その解釈の貧弱さは、まさに「絶対他の分野では許されない甘さ」をいまだに踏襲している。その大沢でさえ、「ある意味で、二人(西田と和辻)は同じようなことを考えていた」といい、「和辻は西田と違い、初めから、社会的ものから発想している」と言っている。
「時代的に、新カント派、シェーラー、フッサールの諸説に詳しく」とあるが、今では忘却されてしまっている1930年年代の日本における西洋摂取の成果を踏まえている。そうでなければ、和辻にしても、これらの思想に言及することはできない。「ハイデガーの影響が随所に色濃い」とされるが、「空間性に即せざる時間性はいまだ真に時問性ではない。ハイデッガーがそこに留まったのは彼のDaseinがあくまでも個人に過ぎなかったからである、彼は人問存在をただ人の存在として捕えた」と「風土」の序言にある。
最後に、「社会」とは「公共性」のことであって、「優れて新しい概念」ではない。
この書物は4分冊として出版されているので、反論があるならば、そこにお願いしたい。
社会学者、大沢真幸『戦後思想空間』(1988年)の西田、田辺、和辻の理解は、戦後50年経ても、その解釈の貧弱さは、まさに「絶対他の分野では許されない甘さ」をいまだに踏襲している。その大沢でさえ、「ある意味で、二人(西田と和辻)は同じようなことを考えていた」といい、「和辻は西田と違い、初めから、社会的ものから発想している」と言っている。
「時代的に、新カント派、シェーラー、フッサールの諸説に詳しく」とあるが、今では忘却されてしまっている1930年年代の日本における西洋摂取の成果を踏まえている。そうでなければ、和辻にしても、これらの思想に言及することはできない。「ハイデガーの影響が随所に色濃い」とされるが、「空間性に即せざる時間性はいまだ真に時問性ではない。ハイデッガーがそこに留まったのは彼のDaseinがあくまでも個人に過ぎなかったからである、彼は人問存在をただ人の存在として捕えた」と「風土」の序言にある。
最後に、「社会」とは「公共性」のことであって、「優れて新しい概念」ではない。
この書物は4分冊として出版されているので、反論があるならば、そこにお願いしたい。
2017年12月9日に日本でレビュー済み
和辻哲郎の思想が体系的にまとめられている哲学書。
ヨーロッパの個人主義的な哲学思想を批判し、人間をもとより社会的な存在として捉えて、その社会を成立させる倫理について論じている。
デカルトの、我思うゆえに我あり、の思想について、そうした言葉を発すること自体が、他の人々の存在を前提としている、という指摘はユニークだ。
第1巻では、個人を出発点にして、社会、人間を取り巻く空間や時間など、哲学におなじみのテーマを、和辻独自の観点で解読していく。
ただ、取り扱おうとしているテーマがあまりにも壮大であるだけに、結論があまりにも当たり前すぎるかなあ、と感じることがなくはない。
ヨーロッパの個人主義的な哲学思想を批判し、人間をもとより社会的な存在として捉えて、その社会を成立させる倫理について論じている。
デカルトの、我思うゆえに我あり、の思想について、そうした言葉を発すること自体が、他の人々の存在を前提としている、という指摘はユニークだ。
第1巻では、個人を出発点にして、社会、人間を取り巻く空間や時間など、哲学におなじみのテーマを、和辻独自の観点で解読していく。
ただ、取り扱おうとしているテーマがあまりにも壮大であるだけに、結論があまりにも当たり前すぎるかなあ、と感じることがなくはない。