昭和前期をテーマごとに解説する。
1章あたり数頁なので手軽に読め、歴史雑誌のコラムのような読み口。
この中で軍人恩給の話があって、”上に厚く下に薄い”のも問題だが、恩給の適格年数に満たなくても戦後、公務員になれば満たない分も加算されて年金が貰えるが、民間企業に勤めた人はカウントされない、というのが不条理というか官尊民卑な話だ。
その是正を求める軍人軍属恩給欠格者連盟(軍欠連)という組織があるのも初めて知った。
だが、軍欠連も圧力団体としては弱く、会員の高齢化と死亡で自然消滅状態だという。
気の毒な話だ。
ただ、全篇を覆う著者の歴史観はやはり特異だ。
軍人を馬鹿にし日本を貶める発想は、あの時代は狂っていたという理解に帰着する。
もうだいぶ著者の本を読んだがこの歴史観は全くブレてなく、たぶん死ぬまで洗脳から覚めないだろう。

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検証・昭和史の焦点 (文春文庫 ほ 4-6) 文庫 – 2008/12/4
保阪 正康
(著)
「昭和」が歴史になりつつある今だからこそ見えてくるものがある。時代の底で動いたものは何だったのか。現代を代表する歴史家が問う
- 本の長さ268ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2008/12/4
- ISBN-10416749406X
- ISBN-13978-4167494063
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2009年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年10月19日に日本でレビュー済み
素晴らしい。多くの人に読んでもらいたい。
しかし、瑕瑾だが、保阪氏の勘違いを、ここで訂正する。
南京大虐殺の人数を、秦郁彦氏に騙されて「3万人、4万人」と誤認している。
実際は「10万人以上、20万人近く」である。
次に、
松井石根は、12月17日の南京入城式、午後の合同慰霊祭では、大虐殺を知らなかった。
だから、一身に日本帝国の栄光を浴びて、意気揚々として
「慰霊の祭文」を読み上げた!更に、部下たちには慰労の言葉を述べた。
その後、12月20日に、南京城の西側の揚子江=長江の右岸地域「下関」地域を、
角副官と一緒に戦場跡の視察を行い、「兵と民の13万人近くの虐殺現場」を見ることになった。
その直前まで800名もの日本兵を動員して昼夜をかけて、死体を長江に流し処分したが、
まだ、多くの死体が残っていた。それを見て初めて松井は大虐殺を知った。
南京大虐殺のニュースが直ぐに欧米に流されて、国際問題になった。
これの責任を取らされて松井は更迭されるのだが、日本に帰国直前の
1938年2月の「合同慰霊祭」で、泣いて「帝国の栄光を汚した」と部下たちを叱責した。
しかし、師団長など多くはそれをせせら笑った。
この後者の慰霊祭と前年12月17日の慰霊祭と混同し記述している。
しかし、瑕瑾だが、保阪氏の勘違いを、ここで訂正する。
南京大虐殺の人数を、秦郁彦氏に騙されて「3万人、4万人」と誤認している。
実際は「10万人以上、20万人近く」である。
次に、
松井石根は、12月17日の南京入城式、午後の合同慰霊祭では、大虐殺を知らなかった。
だから、一身に日本帝国の栄光を浴びて、意気揚々として
「慰霊の祭文」を読み上げた!更に、部下たちには慰労の言葉を述べた。
その後、12月20日に、南京城の西側の揚子江=長江の右岸地域「下関」地域を、
角副官と一緒に戦場跡の視察を行い、「兵と民の13万人近くの虐殺現場」を見ることになった。
その直前まで800名もの日本兵を動員して昼夜をかけて、死体を長江に流し処分したが、
まだ、多くの死体が残っていた。それを見て初めて松井は大虐殺を知った。
南京大虐殺のニュースが直ぐに欧米に流されて、国際問題になった。
これの責任を取らされて松井は更迭されるのだが、日本に帰国直前の
1938年2月の「合同慰霊祭」で、泣いて「帝国の栄光を汚した」と部下たちを叱責した。
しかし、師団長など多くはそれをせせら笑った。
この後者の慰霊祭と前年12月17日の慰霊祭と混同し記述している。