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買えて良かったです!読むのが楽しみ!

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ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅 (集英社新書) 新書 – 2014/3/14
朽木 ゆり子
(著)
炎の十一枚の物語
なぜ我々の心をつかんで離さないのか?
世界の名画の中で最も多くの人に愛され、親しまれているゴッホの「ひまわり」。しかし〈ひまわり〉十一作品にはそれぞれ多くの謎が存在する! 東京の〈ひまわり〉贋作騒動の真相は? 日本にもう一枚あったという幻の〈ひまわり〉とは? 半世紀以上、公開されていない〈ひまわり〉の行方は? なぜゴッホは同じ構図の〈ひまわり〉を自ら複製したのか? そしてゴッホに〈ひまわり〉を描かせたゴーギャンとの愛憎関係とは? 『フェルメール全点踏破の旅』の著者が、最新の科学的・歴史的知見に基づきながら、ひまわり全点の謎を解く。世界の美術界のゴッホ新ブームをさらに過熱させるであろう貴重な一冊!
[著者情報]
朽木ゆり子(くちき・ゆりこ)
東京都生まれ。ジャーナリスト。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。同大学院行政学修士課程修了。コロンビア大学大学院政治学科博士課程に学ぶ。元「日本版エスクァイア」誌副編集長。
主な著書に『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書)、『盗まれたフェルメール』(新潮選書)、『東洋の至宝を世界に売った美術商ー ハウス・オブ・ヤマナカ』(新潮文庫)など。
なぜ我々の心をつかんで離さないのか?
世界の名画の中で最も多くの人に愛され、親しまれているゴッホの「ひまわり」。しかし〈ひまわり〉十一作品にはそれぞれ多くの謎が存在する! 東京の〈ひまわり〉贋作騒動の真相は? 日本にもう一枚あったという幻の〈ひまわり〉とは? 半世紀以上、公開されていない〈ひまわり〉の行方は? なぜゴッホは同じ構図の〈ひまわり〉を自ら複製したのか? そしてゴッホに〈ひまわり〉を描かせたゴーギャンとの愛憎関係とは? 『フェルメール全点踏破の旅』の著者が、最新の科学的・歴史的知見に基づきながら、ひまわり全点の謎を解く。世界の美術界のゴッホ新ブームをさらに過熱させるであろう貴重な一冊!
[著者情報]
朽木ゆり子(くちき・ゆりこ)
東京都生まれ。ジャーナリスト。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。同大学院行政学修士課程修了。コロンビア大学大学院政治学科博士課程に学ぶ。元「日本版エスクァイア」誌副編集長。
主な著書に『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書)、『盗まれたフェルメール』(新潮選書)、『東洋の至宝を世界に売った美術商ー ハウス・オブ・ヤマナカ』(新潮文庫)など。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2014/3/14
- 寸法10.6 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-104087207307
- ISBN-13978-4087207309
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2014/3/14)
- 発売日 : 2014/3/14
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4087207307
- ISBN-13 : 978-4087207309
- 寸法 : 10.6 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 579,761位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
芸術に造詣の深い人でなければ、画家の名前と共にその代表作が浮かぶものは意外に少ないと思いますが、美術に興味の全く無い人でも「ゴッホ」と聞けば何となく「ひまわりを描いた人」くらいは思い浮かべる事ができるのでは無いでしょうか。
花瓶に生けられた構図のひまわりは七枚あり、空襲で消失した一枚、個人蔵のために半世紀以上表舞台に出てきていない一枚を除く五点が、アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、日本にあります。
ゴッホが描いたひまわりは他にもあるのですが、本書では主に花瓶のひまわり全点を、それぞれの辿った数奇な運命と共に追うドキュメンタリーになっています。
フェルメールの作品全てを見に行くという同著者の書籍と同じように、オリエンテーリングかスタンプラリーのように「とにかく全部この目で直に見るんだ」という熱量はさて置き、一つ一つのひまわりをページ数の許す限り丁寧かつ明瞭に説明されているのは面白いです。
私も日本(SOMPO美術館)とイギリス(ロンドンナショナルギャラリー)のひまわりを直で見ましたが、写真でよく見るあのひまわりのイメージと違い、下塗りが乾かないうちにどんどん絵具を乗せていった分厚く荒々しい筆致と、その中に透けて見える繊細で儚い花の描写には圧倒されました。
一般的な「狂気の画家」「悲劇の画家」というゴッホ像のそれとは違い、生きる事、描く事への脅迫にも似た情熱や悦びが大きなキャンバスの上で蠢くように残っていて、その生命力に目眩すら覚えました。
フィラデルフィアの青い背景のひまわり、新宿の黄色い背景のひまわりは、それぞれ現在ミュンヘンとロンドンにあるひまわりのゴッホ本人による複製画です。
バブル全盛期の日本企業が、オークションでひまわり一枚を当時の絵画として最高取引額で落札して以降、絵画の取引額は高騰の一途を辿っています。
それに伴って、高額で取引される有名画家の作品にはいつも贋作疑惑が持ち上がります。
新宿のひまわりがその疑念を向けられ、最終的にゴッホ美術館の学芸員・修復技官らが調査して真筆であると証明されたことになっていますが、こればかりは他の画家にも言えることですが、真実は描いた本人しか知りようが無いので何とも言えません。
本著で筆者は新宿のひまわりも真筆であるという見解を支持していますし、私も恐らくそうであろうと思います。
いずれにせよ、まだ見た事が無い人も、既に見た事がある人も、この本で今一度ゴッホのひまわりへの理解を深め、次に直接ひまわりを見る機会を、より素晴らしい体験にできるようにするのをお勧めします。
花瓶に生けられた構図のひまわりは七枚あり、空襲で消失した一枚、個人蔵のために半世紀以上表舞台に出てきていない一枚を除く五点が、アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、日本にあります。
ゴッホが描いたひまわりは他にもあるのですが、本書では主に花瓶のひまわり全点を、それぞれの辿った数奇な運命と共に追うドキュメンタリーになっています。
フェルメールの作品全てを見に行くという同著者の書籍と同じように、オリエンテーリングかスタンプラリーのように「とにかく全部この目で直に見るんだ」という熱量はさて置き、一つ一つのひまわりをページ数の許す限り丁寧かつ明瞭に説明されているのは面白いです。
私も日本(SOMPO美術館)とイギリス(ロンドンナショナルギャラリー)のひまわりを直で見ましたが、写真でよく見るあのひまわりのイメージと違い、下塗りが乾かないうちにどんどん絵具を乗せていった分厚く荒々しい筆致と、その中に透けて見える繊細で儚い花の描写には圧倒されました。
一般的な「狂気の画家」「悲劇の画家」というゴッホ像のそれとは違い、生きる事、描く事への脅迫にも似た情熱や悦びが大きなキャンバスの上で蠢くように残っていて、その生命力に目眩すら覚えました。
フィラデルフィアの青い背景のひまわり、新宿の黄色い背景のひまわりは、それぞれ現在ミュンヘンとロンドンにあるひまわりのゴッホ本人による複製画です。
バブル全盛期の日本企業が、オークションでひまわり一枚を当時の絵画として最高取引額で落札して以降、絵画の取引額は高騰の一途を辿っています。
それに伴って、高額で取引される有名画家の作品にはいつも贋作疑惑が持ち上がります。
新宿のひまわりがその疑念を向けられ、最終的にゴッホ美術館の学芸員・修復技官らが調査して真筆であると証明されたことになっていますが、こればかりは他の画家にも言えることですが、真実は描いた本人しか知りようが無いので何とも言えません。
本著で筆者は新宿のひまわりも真筆であるという見解を支持していますし、私も恐らくそうであろうと思います。
いずれにせよ、まだ見た事が無い人も、既に見た事がある人も、この本で今一度ゴッホのひまわりへの理解を深め、次に直接ひまわりを見る機会を、より素晴らしい体験にできるようにするのをお勧めします。
2018年12月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ゴッホのひまわりがどのような経路をたどって今の場所にあるのか、また 東京のひまわりに贋作疑惑が出たのは なぜだったのか、そして検証の結果はどうであったのか。。。など 知りたかったことがいろいろ詳しく書いてあり2-3度、時をおいて読みました。そして、先日、東京新宿にあるひまわりを見てきました。花が生きているみたいでした。ヨーロッパにあるひまわり、アメリカにあるひまわり・・・今後、ひとつずつ見に行くことを目標にしようと思います。花瓶にはいっていないほうのひまわりも 全部見ることが出来たら・・・ゴーギャンがゴッホと出会ったころ、交換して持っていたひまわりの絵を。
2018年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大塚美術館で7つの日割に出会い読んでみたくなりました。背景がよりよくわかって大変ためになりました
2014年6月30日に日本でレビュー済み
のっけから人を驚かせる。冒頭の見出しに「11枚の<ひまわり>」とあるのだ。ファン・ゴッホが<ひまわり>を7枚書いたことは常識となっている。だからこそ鬼才藤原伊織は『ひまわりの祝祭』(1997)で8枚目の<ひまわり>を巡る本格推理小説が書けたのだ。
本書はミステリーでないので、謎はすぐ明かされる。ファン・ゴッホはパリ時代に「テーブルに置かれた」4枚の<結実期のひまわり>(著者は整理上これらに制作順にABCDの符号を付ける)を描き、その後アルルで壺に挿した7枚のひまわりをものにした。<結実期のひまわりは>後の<ひまわり>連作の「習作」とも呼べるだろう。そのうちの2枚は一時ゴーギャンが所有していた。天才は互いに引き合う。
同書ではフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)を日本で通称の「ゴッホ」と表記しているが、「ファン」は名字の一部で切り離せないとの説に従って、ここではファン・ゴッホと呼びたい。
先ず画を観よう。11枚の図版は全て口絵に収録されている。新書版なので縮刷はこの上ないが、印刷は鮮明で、本文を読む参考には十分に役立つ。著者が整理上つけた<ひまわり>1−7の順に追って行くと一枚ごとに画境の進歩が素晴しいことに気付く。<ひまわり1><2>ではまだ古典的な色彩感覚が残っているのに対し、<3>以降はまさしくファン・ゴッホのひまわりだ。<6><7>は<3><4>の複写だという。彼自身がこの絵に絶対の自信を持っていた。現に彼自身が語っている。「他の誰よりも早く、ひまわりを自分のものにした」と。
朽木ゆり子氏は時間を掛けて全ての画を追いかけて行く。だが2枚の原画を見ることは不可能である。<ひまわり1>は誰とも知れぬ個人所有で、1948年に展覧会に出された後は非公開だという。<2>は実は日本にあった。1922年に武者小路実篤等の「白樺美術館」設立構想に賛同した大阪の繊維輸出業主の山本顧彌太が購入したが、翌年の関東大震災で計画は破綻、顧彌太氏も1927年の金融恐慌で破産した。それでも画は手放さずに、転居した芦屋の小宅に置かれたが、1945年8月5日の空襲で焼失してしまった。変形30号の大きさで立派な額縁がついている上に、防腐効果を持つ楠の大箱に納めて飾ってあり、とても持ち出せる重量でなかったらしい。豪華な写真複写が武者小路実篤記念館に「門外不出」で収蔵されており、著者は特別に許されて観ることが出来たという。
その他の画は、<3>はミュンヘンのハイエ・ピナコティーク、<4>はロンドンのナショナルギャラリー、<5>は1987年に58億円で買われて、東京の損保ジャパン東郷青児美術館にあり、<6>はアメリカのフィラデルフィア美術館、<7>はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館にある。藤原伊織が「咲いたひまわりが最上部にある作品は背景が淡いブルー系だが、つぼみが上になった(実は結実期の)ひまわり)は全部イエロー系だ」と見抜いた観察眼はすごい。本書では触れられていない分析だ。
素人目には<ひまわり5>は少し見劣りがする。筆まめなファン・ゴッホの書簡にも、この絵のことが全く言及されていないという事実もあり、下世話に贋作説が出るのがうなずける。これについて本書は、これまでの調査結果を詳細に記しているが、美術館側が調査に不協力らしいのが残念だ。
ファン・ゴッホのアルル時代は1888年2月から89年5月までである。この間88年10月23日から63日間ゴーギャンと共に寝起きした。< ひまわり3><4>はゴーギャンの寝室を飾るために描かれたという。互いに尊敬しあう仲だと言っても、理想肌のファン・ゴッホと現実主義のゴ−ギャンとの日常生活での確執が彼の精神を蝕んで行く。そのなかでも、世界的な傑作を次々と仕上げて行くファン・ゴッホ。良く知られた逸話だが著者の押さえた筆力に改めて涙する。
著者は、後年ファン・ゴッホのひまわりの扱い方が変わってきたという。海洋小説家ペエール・ロティの『氷島の漁夫』に書かれるアイスランドの漁船に飾られているというマリア像から発想を得て、「子守女」をマリアに模して、その両脇にひまわりを並べた三幅画にすることを考えていたらしい。彼自身が「子守女」は既に描かれている2枚にもう1枚足され、「全体は7枚或いは9枚のキャンバスで構成されるというものだ」とテオへの手紙で書いているそうだ。3枚の子守女を並べるとすればキャンバスの総数は9枚だがひまわりは6枚で良い。ファン・ゴッホが描いたひまわりは7枚だから、どれか1枚を除外するか、別に新たに描くことも計画にはあったと思われるが、実現しなかった。とにあれ、牧師の息子らしく最後は宗教的な観念に回帰しているのがファン・ゴッホらしいと思う。
朽木由ゆり子氏は後書きで「美術史の専門家ではない」と謙遜しているが、10年を書けてほとんどの「ひまわり」を鑑賞し、それぞれのいきさつを詳しく追求した惜しみない情熱と努力に敬意をはらいたいと思う。小冊ながら充実した、それでも肩の凝らない良書と推薦できる一冊である。
本書はミステリーでないので、謎はすぐ明かされる。ファン・ゴッホはパリ時代に「テーブルに置かれた」4枚の<結実期のひまわり>(著者は整理上これらに制作順にABCDの符号を付ける)を描き、その後アルルで壺に挿した7枚のひまわりをものにした。<結実期のひまわりは>後の<ひまわり>連作の「習作」とも呼べるだろう。そのうちの2枚は一時ゴーギャンが所有していた。天才は互いに引き合う。
同書ではフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)を日本で通称の「ゴッホ」と表記しているが、「ファン」は名字の一部で切り離せないとの説に従って、ここではファン・ゴッホと呼びたい。
先ず画を観よう。11枚の図版は全て口絵に収録されている。新書版なので縮刷はこの上ないが、印刷は鮮明で、本文を読む参考には十分に役立つ。著者が整理上つけた<ひまわり>1−7の順に追って行くと一枚ごとに画境の進歩が素晴しいことに気付く。<ひまわり1><2>ではまだ古典的な色彩感覚が残っているのに対し、<3>以降はまさしくファン・ゴッホのひまわりだ。<6><7>は<3><4>の複写だという。彼自身がこの絵に絶対の自信を持っていた。現に彼自身が語っている。「他の誰よりも早く、ひまわりを自分のものにした」と。
朽木ゆり子氏は時間を掛けて全ての画を追いかけて行く。だが2枚の原画を見ることは不可能である。<ひまわり1>は誰とも知れぬ個人所有で、1948年に展覧会に出された後は非公開だという。<2>は実は日本にあった。1922年に武者小路実篤等の「白樺美術館」設立構想に賛同した大阪の繊維輸出業主の山本顧彌太が購入したが、翌年の関東大震災で計画は破綻、顧彌太氏も1927年の金融恐慌で破産した。それでも画は手放さずに、転居した芦屋の小宅に置かれたが、1945年8月5日の空襲で焼失してしまった。変形30号の大きさで立派な額縁がついている上に、防腐効果を持つ楠の大箱に納めて飾ってあり、とても持ち出せる重量でなかったらしい。豪華な写真複写が武者小路実篤記念館に「門外不出」で収蔵されており、著者は特別に許されて観ることが出来たという。
その他の画は、<3>はミュンヘンのハイエ・ピナコティーク、<4>はロンドンのナショナルギャラリー、<5>は1987年に58億円で買われて、東京の損保ジャパン東郷青児美術館にあり、<6>はアメリカのフィラデルフィア美術館、<7>はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館にある。藤原伊織が「咲いたひまわりが最上部にある作品は背景が淡いブルー系だが、つぼみが上になった(実は結実期の)ひまわり)は全部イエロー系だ」と見抜いた観察眼はすごい。本書では触れられていない分析だ。
素人目には<ひまわり5>は少し見劣りがする。筆まめなファン・ゴッホの書簡にも、この絵のことが全く言及されていないという事実もあり、下世話に贋作説が出るのがうなずける。これについて本書は、これまでの調査結果を詳細に記しているが、美術館側が調査に不協力らしいのが残念だ。
ファン・ゴッホのアルル時代は1888年2月から89年5月までである。この間88年10月23日から63日間ゴーギャンと共に寝起きした。< ひまわり3><4>はゴーギャンの寝室を飾るために描かれたという。互いに尊敬しあう仲だと言っても、理想肌のファン・ゴッホと現実主義のゴ−ギャンとの日常生活での確執が彼の精神を蝕んで行く。そのなかでも、世界的な傑作を次々と仕上げて行くファン・ゴッホ。良く知られた逸話だが著者の押さえた筆力に改めて涙する。
著者は、後年ファン・ゴッホのひまわりの扱い方が変わってきたという。海洋小説家ペエール・ロティの『氷島の漁夫』に書かれるアイスランドの漁船に飾られているというマリア像から発想を得て、「子守女」をマリアに模して、その両脇にひまわりを並べた三幅画にすることを考えていたらしい。彼自身が「子守女」は既に描かれている2枚にもう1枚足され、「全体は7枚或いは9枚のキャンバスで構成されるというものだ」とテオへの手紙で書いているそうだ。3枚の子守女を並べるとすればキャンバスの総数は9枚だがひまわりは6枚で良い。ファン・ゴッホが描いたひまわりは7枚だから、どれか1枚を除外するか、別に新たに描くことも計画にはあったと思われるが、実現しなかった。とにあれ、牧師の息子らしく最後は宗教的な観念に回帰しているのがファン・ゴッホらしいと思う。
朽木由ゆり子氏は後書きで「美術史の専門家ではない」と謙遜しているが、10年を書けてほとんどの「ひまわり」を鑑賞し、それぞれのいきさつを詳しく追求した惜しみない情熱と努力に敬意をはらいたいと思う。小冊ながら充実した、それでも肩の凝らない良書と推薦できる一冊である。
2014年4月24日に日本でレビュー済み
著者の前作、フェルメール全点鑑賞の旅同様、美術の専門家の視点ではなく、自身の好奇心から出発しているところが好感が持てる、大変読みやすい本です。読後、「だからどうした」という感想も持ちましたが、過剰な憶測を排したジャーナリスティックなスタンスは著者の持ち味。この辺は好みが分かれるところだと思います。さらにロマンティックな旅は福岡伸一氏に期待しましょう。