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ベルゼバブの孫への話: 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判 単行本 – 1990/8/1
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- 本の長さ787ページ
- 言語日本語
- 出版社平河出版社
- 発売日1990/8/1
- ISBN-104892031828
- ISBN-13978-4892031823
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登録情報
- 出版社 : 平河出版社 (1990/8/1)
- 発売日 : 1990/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 787ページ
- ISBN-10 : 4892031828
- ISBN-13 : 978-4892031823
- Amazon 売れ筋ランキング: - 311,932位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 720位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 5,219位心理学入門
- - 5,509位心理学の読みもの
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私の場合、30数年前に”注目すべき人々〜”を読んでしまったので、グルジェフ氏のいう順番は守ってないです。当時は知らなかったし…。SF小説として書かれたものであり、ベルゼバブ氏の意見はグルジェフ氏の意見ではない(作中のムラーナスレッディンが作者とされています)という事は頭に入れておきましょう。それとやっぱり読みましょう!読後の満足感は半端なく高くてその夜は自分で勝手に祝杯をあげました。GUrdjieff&de Hartmannの音楽をサブスクで聴き、コーヒーでも飲みながら、のんびり読んでみましょう。
2019年1月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まだ、250Pしか読んでいないが、とても興味深い本である。
他の方が言っているように、他の本では得られないような独特の切り口から人間について考察している。
それが正しいかどうかは置いておいても、こんな考え方もあるのかと知れるのは面白い。
非常に長く、難解であるのは
まず、この本でもそれとなく触れているように誤った解釈(結果的にマイナス)に繋げないために、読者を選んでいる可能性がある。
つまり、人としてどうあるべきか本当に理解したいのか、最後までついてこれるかで読者を試しているとも言える。
分かりやすく書いて読者に分かったつもりになられるくらいなら、分からないままにした方が良いと考えたのかもしれない。
最初に、中世まで?の人類の過ち・愚かさについて一章(200Pほど)割いているのは、その後の章での興味深い話で読者が同じように過ち(例えば知ったかぶり)をするなよとの事前忠告とも解釈できる。
また、一度に情報を詰め込みすぎると、消化不良(誤解や曲解)を起こすため、難解にして情報を小出しにしているのかもしれない。
ゆっくりと読むのが良いと思う。
そう考えたら、非常に手の込んだ作品だ。
加えて、
読み手に、本当に大事なことは何かを一から手ほどきをしているわけではなく、
本当に大事なことというものが分かるもの、もしくは分かりかけている者にとっては、腑に落ちるような書き方をしている印象を受ける。
まあ、一から手ほどきをしようとするのは無理かもしれない。
だから、読んで「ん?」「は?」と思ったものを無理に全てを自分の中で納得させようとしない方が良い。
無理に納得しようとするとそれはほぼ誤解であろう。
誤解はむしろ毒である。
正しく理解できているなら、ストンと自分の中で腑に落ちるはずだ。
それに、グルジェフが真理というものを正しく理解できている保証もないのだから。
分からないものは、分からないままにしておき、人生を歩んでいるうちにいずれ気づけるようにしようと思いながら生きると良いのでは無いだろうか?
こう言う私も2割も理解できていないかもしれない。
この本がこれほど難解だから、本人以外の人間が解釈しているネットブログや書籍はさらに疑い深く読むべきだ。あるいは、読まない方がいいかもしれない。
本当にグルジェフの意図通りに解釈出来ているのか分からないためだ。
この手のいわゆるオカルトにカテゴライズされる本は、奇跡だの、神だのと言った言葉で気を引こうとしていることが多々ある。
そう言った奇異を求めたり、現実逃避につながる甘い言葉で釣ろうとしている人間やつられてしまう人間は、グルジェフの本意からはすでにズレている気がしてならない。
(この理由から、読んだことはまだないが、弟子の書いた奇跡を求めてと言うタイトルの本も読む前から心配になる。)
しかし、この本のタイトルにそう言った言葉がないところも読んでみたいと思わせてくれた。
読了したらレヴューを更新したいと思う。
他の方が言っているように、他の本では得られないような独特の切り口から人間について考察している。
それが正しいかどうかは置いておいても、こんな考え方もあるのかと知れるのは面白い。
非常に長く、難解であるのは
まず、この本でもそれとなく触れているように誤った解釈(結果的にマイナス)に繋げないために、読者を選んでいる可能性がある。
つまり、人としてどうあるべきか本当に理解したいのか、最後までついてこれるかで読者を試しているとも言える。
分かりやすく書いて読者に分かったつもりになられるくらいなら、分からないままにした方が良いと考えたのかもしれない。
最初に、中世まで?の人類の過ち・愚かさについて一章(200Pほど)割いているのは、その後の章での興味深い話で読者が同じように過ち(例えば知ったかぶり)をするなよとの事前忠告とも解釈できる。
また、一度に情報を詰め込みすぎると、消化不良(誤解や曲解)を起こすため、難解にして情報を小出しにしているのかもしれない。
ゆっくりと読むのが良いと思う。
そう考えたら、非常に手の込んだ作品だ。
加えて、
読み手に、本当に大事なことは何かを一から手ほどきをしているわけではなく、
本当に大事なことというものが分かるもの、もしくは分かりかけている者にとっては、腑に落ちるような書き方をしている印象を受ける。
まあ、一から手ほどきをしようとするのは無理かもしれない。
だから、読んで「ん?」「は?」と思ったものを無理に全てを自分の中で納得させようとしない方が良い。
無理に納得しようとするとそれはほぼ誤解であろう。
誤解はむしろ毒である。
正しく理解できているなら、ストンと自分の中で腑に落ちるはずだ。
それに、グルジェフが真理というものを正しく理解できている保証もないのだから。
分からないものは、分からないままにしておき、人生を歩んでいるうちにいずれ気づけるようにしようと思いながら生きると良いのでは無いだろうか?
こう言う私も2割も理解できていないかもしれない。
この本がこれほど難解だから、本人以外の人間が解釈しているネットブログや書籍はさらに疑い深く読むべきだ。あるいは、読まない方がいいかもしれない。
本当にグルジェフの意図通りに解釈出来ているのか分からないためだ。
この手のいわゆるオカルトにカテゴライズされる本は、奇跡だの、神だのと言った言葉で気を引こうとしていることが多々ある。
そう言った奇異を求めたり、現実逃避につながる甘い言葉で釣ろうとしている人間やつられてしまう人間は、グルジェフの本意からはすでにズレている気がしてならない。
(この理由から、読んだことはまだないが、弟子の書いた奇跡を求めてと言うタイトルの本も読む前から心配になる。)
しかし、この本のタイトルにそう言った言葉がないところも読んでみたいと思わせてくれた。
読了したらレヴューを更新したいと思う。
2020年3月5日に日本でレビュー済み
グルジェフ3部作を読んでみようと挑戦しました。作品は、何かの疑問を持ち謎を解きたくていろんな分野の本を読んで来た人は、納得する部分があり満足するのではないでしょうか。字は小さく、体力気力根性いりますが、二段構成で分厚いので達成感は凄いです。面白いけど、今の常識では意味不明な箇所が多々ありそれらがどういった事象なのか理解できなくてもどかしい。3回読むのしんどいけどそれこそグルジェフワークか?生まれた時に決定付けるような出来事や様々な職業の示唆も楽しめる。幼少期のエピソードも古今東西多種多様な人間模様が共感するし興味深い。宇宙の不思議と地球の今を空想してしばしトリップできます。
2013年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、グルジェフの三部作を成す『バルゼバブの孫への話』、『注目すべき人々との出会い』、『生は「私が存在」して初めて真実となる』の内の一巻目となります。
冒頭でグルジェフは、この書を「何世紀にもわたって人間の中に根づいてきた、この宇宙に存在するすべてのものに関する信念や見解を、いかなる妥協も許さず、情容赦なく、読者の思考および感情の中から駆逐すること」といい、読むための親切な助言として、「三回読んでほしい」という。その上での「あなた方の独自の公平無私な判断を期待」し、「それぞれの理解力に応じて、自分にとってかけがえのない恩恵をこの本から汲み取るという私の希望が叶えられるであろう」というのだが……、
第1章では、この書を書くに至った経緯と、お上品な文学用語は使用せず、では何語で書こうかと悩みつつ、私の母国語ギリシャ語で書いても誰も翻訳できず「現代ギリシャ語の最高権威でも理解できないだろうと確信をもって言うことができ」るといい、ゆえに「部分的にはロシア語で、また部分的にはアルメニア語で書く」といった前置きの章になっている。
物語は、第2章から始まる。銀河惑星カラタスから太陽系に向かって飛んでいる宇宙連絡船カルナックに乗っていたバルゼバブの親族や側近たち。老バルゼバブは若い頃に、そのたぐいまれな機知に富んだ理性ゆえに、同類の者たちの中から選ばれて、<永遠なる主>の従者となった。が、彼の理性は若年のため十分ではなく、偏り未熟で性急であり、それが災いし、国王を革命の瀬戸際まで追いこんだため、<永遠なる主>は、バルゼバブとその仲間たちを反逆者として、太陽系に追放せざるをえなくなる。バルゼバブは仲間たちと火星へ。彼は、そこで<観測所>で惑星生物の生存状態を観測することになる。やがて、<永遠なる主>によって地球に遣わされた、使者シーマッシュの願いにより、老バルゼバブはようやく許され、生地に戻る許可を得る。追放中の知識と経験により、バルゼバブの権威と影響力は増大となり、彼はある惑星に起きた重大な事件を検討する議会に呼ばれることになる。追放を許され、故郷カラタスに戻った老バルゼバブにはすでに孫のハセインがおり、お気に入りのその孫をバルゼバブは、どこへ行くにも同行させる。そして、老バルゼバブは飛行中のカルナック号の船内で、孫ハセインに、若い頃に見聞きし体験した太陽系の地球という惑星に生存している奇妙な「三脳生物<思考><感情><動作>」のことについて、話し出すのである……、
私が読んでの、この本の欠陥をいくつか指摘してみたい。バルゼバブの話は途中で何度も脱線し、他の話になったり、また「この話は後でまた詳しく話そう」と言いながら、その後の話がないというのがいくつかあるのであるが、第42章のアメリカの話は多くのページを割いているにも関わらず、アメリカとは無関係の話になっているのである。惑星カラタスに帰ったら詳しく話そうと言った話は当然無いし、それ以外の話もP713では、「ここら辺で話をやめた方がいいのではないかと思う」と予定変更している。こういった細かな欠点を挙げればきりがないのであるが……、まず第一の大きな矛盾は、バルゼバブが惑星地球に六度滞在したという四度目の滞在時に生じている。この滞在の目的は、友人ハルハルクの要請で<猿問題>の実験に使用するための猿を確保するためP203なのだが、滞在時に惑星地球で論議されていたのが「偶然の一致」P179という、ダーウィンP181の進化論<猿問題>P179だという。ところが、バルゼバブたちが猿の確保のために訪れたエジプトでは「ファラオ」P188の「ピラミッド」P202が「完成されようとしていた」P188というのだ。つまり、時代が逆行(本文にはタイムマシンの実現の記述はない)しているのである。しかも、バルゼバブが惑星地球に長く滞在したのは六度目の「三〇〇年」P332だというのだが、しかし四度目の滞在期間は「ピラミッド」(紀元前)完成から、ダーウィンの進化論(1859年)までとしても数千年は経過していることになるのであるが……、そして第ニの大きな矛盾は、バルゼバブたちが猿を確保し、惑星火星へ帰還したのはいいのだが、その後のその<猿問題>の実験についてはなんら記述がないのである。
次に、グルジェフが、三回読めという根拠について、私のその解釈を述べておこうと思う。
一度目は意識の扉を開きただ無心になって読み進めること、
二度目は書かれた記述を妥協無く理解し読み進めることである。
三度目は書かれた記述内容が潜在意識まで到達することが望ましい。
実は、グルジェフは三回読む意味について、文中の第46章でそれとなく述べているのである。グルジェフはバルゼバブを通していう。
理性には、「知るための理性」P712と、「理解のための理性」とがあり、前記は「ただの断片的な情報」であり「主観的」という。後記において初めてそれは「客観的知識」になるといい、有益な結果は三つのセンターが「全部同等に機能した時に初めて得られるのだ」P714というのだ。
つまり、一度目は思考センターが機能し、二度目に書かれた記述を理解することで読者は、惑星地球の三脳生物のいいかげんさに怒りが生じ、感情センターが機能することになる。三度目には書かれた記述内容がより意識に結晶化され、潜在意識にまで到達することになる、というわけである。ベルゼバブは惑星地球の三脳生物に絶望しながらも、潜在意識に残る良心には希望を持っていたことは本文を読めば、お分かりになると思う。
これが私の理解する三回読むことの意味である。
読後感は、面白く読め、まだこの三倍の量があってもいいように思った。アメリカ編などは、インディアン虐殺の白人侵略史なんかを期待したのだが、あの脱線にはがっかりしたし、猿を確保しての実験や、惑星カラタスに帰還してからの話なんかも読みたかったのだが。エゴリオノプティからの角返還の儀式などもバタバタ急いで終わった感じがして残念に思う。しかし、この作品が1924から1930年頃(日本では大正時代)に着想を得て、書かれている事に驚いたのは、私だけだろうか?
私にはこの『ベルゼバブの孫への話』はグルジェフの、「愚かなる惑星地球の三脳生物への絶望と、潜在意識の内なる良心への希望と、滅亡を救わんとする人類愛に満ちた結晶」としか読み取れなかった。読み進めていくと、この本が「もの」の原理や起源といった難解な内容だけでなく、諧謔を通してグルジェフの皮肉ながらもユーモアの富んでいることに読者は笑うことになろう。訳文は、読みやすく分かりやすい。優れた訳者を得て、著者グルジェフもさぞ本望であろう、と思う……。
訳者は、「訳者あとがき」に書いている。
この本を読むには、「文脈の流れを把握しつつ個々の内容を理解するためには、通常の読書の何倍もの注意力と集中力が必要となる。その上、無数に用意してあるつまずきの石を乗り越え、意気喪阻せずに読破するには、ほとんど無限の意志と持続力が要求される。」といい、かつてグルジェフの弟子であったウスペンスキーは、「これを理解するにはものすごい知的準備が必要だと言った」P780という。
また松岡正剛はブログの「千夜千冊」で、この『ベルゼバブの孫への話』を、「『グルジェフ・ワーク』や『グルジェフ、弟子たちに語る』を読んでいても、手に負えない。きっと日本人でちゃんと読んだのは訳者の浅井雅志さんと担当編集者の藤井愛子さんと著者の活動拠点であるイーデン・ウェスト・キョートのメンバーくらいのものではないだろうか。」と述べ、「怪物的書物」と称している。
興味ある読者は、この「怪物的書物」にいま一度挑まれてはどうだろうか。そして、ベルゼバブの惑星地球の三脳生物の相互破壊プロセスに対する結論まで読み進められるように願う。たとえ挫折したとしても、この本の読書体験は決して無駄にはならないと、私は思うのだが……、
誤記
冒頭「第シ3リーズ」→「第3シリーズ」
脱字?
P096「理解できるようなるであろう」→「理解できるようになるであろう」
P109「おまえの惑星で」→「おまえのお気に入りの惑星で」
P142「おまえの惑星に」→「おまえのお気に入りの惑星に」
P275「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P438「おまえの惑星で」→「おまえのお気に入りの惑星で」
P452「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P457「おまえの惑星地球では」→「おまえのお気に入りの惑星地球では」
P498「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P581「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P687「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P688「意識的努力および意図的に」→「意識的努力を意図的に」or「意識的努力および意図的苦痛を」
P691「おまえの惑星で」→「おまえのお気に入りの惑星で」
P698「おまえの惑星に」→「おまえのお気に入りの惑星に」
誤記
P375「やっっておる」→「やっておる」
誤記?
P636「この大陸に生息する」→「このアメリカ大陸に生息する」
冒頭でグルジェフは、この書を「何世紀にもわたって人間の中に根づいてきた、この宇宙に存在するすべてのものに関する信念や見解を、いかなる妥協も許さず、情容赦なく、読者の思考および感情の中から駆逐すること」といい、読むための親切な助言として、「三回読んでほしい」という。その上での「あなた方の独自の公平無私な判断を期待」し、「それぞれの理解力に応じて、自分にとってかけがえのない恩恵をこの本から汲み取るという私の希望が叶えられるであろう」というのだが……、
第1章では、この書を書くに至った経緯と、お上品な文学用語は使用せず、では何語で書こうかと悩みつつ、私の母国語ギリシャ語で書いても誰も翻訳できず「現代ギリシャ語の最高権威でも理解できないだろうと確信をもって言うことができ」るといい、ゆえに「部分的にはロシア語で、また部分的にはアルメニア語で書く」といった前置きの章になっている。
物語は、第2章から始まる。銀河惑星カラタスから太陽系に向かって飛んでいる宇宙連絡船カルナックに乗っていたバルゼバブの親族や側近たち。老バルゼバブは若い頃に、そのたぐいまれな機知に富んだ理性ゆえに、同類の者たちの中から選ばれて、<永遠なる主>の従者となった。が、彼の理性は若年のため十分ではなく、偏り未熟で性急であり、それが災いし、国王を革命の瀬戸際まで追いこんだため、<永遠なる主>は、バルゼバブとその仲間たちを反逆者として、太陽系に追放せざるをえなくなる。バルゼバブは仲間たちと火星へ。彼は、そこで<観測所>で惑星生物の生存状態を観測することになる。やがて、<永遠なる主>によって地球に遣わされた、使者シーマッシュの願いにより、老バルゼバブはようやく許され、生地に戻る許可を得る。追放中の知識と経験により、バルゼバブの権威と影響力は増大となり、彼はある惑星に起きた重大な事件を検討する議会に呼ばれることになる。追放を許され、故郷カラタスに戻った老バルゼバブにはすでに孫のハセインがおり、お気に入りのその孫をバルゼバブは、どこへ行くにも同行させる。そして、老バルゼバブは飛行中のカルナック号の船内で、孫ハセインに、若い頃に見聞きし体験した太陽系の地球という惑星に生存している奇妙な「三脳生物<思考><感情><動作>」のことについて、話し出すのである……、
私が読んでの、この本の欠陥をいくつか指摘してみたい。バルゼバブの話は途中で何度も脱線し、他の話になったり、また「この話は後でまた詳しく話そう」と言いながら、その後の話がないというのがいくつかあるのであるが、第42章のアメリカの話は多くのページを割いているにも関わらず、アメリカとは無関係の話になっているのである。惑星カラタスに帰ったら詳しく話そうと言った話は当然無いし、それ以外の話もP713では、「ここら辺で話をやめた方がいいのではないかと思う」と予定変更している。こういった細かな欠点を挙げればきりがないのであるが……、まず第一の大きな矛盾は、バルゼバブが惑星地球に六度滞在したという四度目の滞在時に生じている。この滞在の目的は、友人ハルハルクの要請で<猿問題>の実験に使用するための猿を確保するためP203なのだが、滞在時に惑星地球で論議されていたのが「偶然の一致」P179という、ダーウィンP181の進化論<猿問題>P179だという。ところが、バルゼバブたちが猿の確保のために訪れたエジプトでは「ファラオ」P188の「ピラミッド」P202が「完成されようとしていた」P188というのだ。つまり、時代が逆行(本文にはタイムマシンの実現の記述はない)しているのである。しかも、バルゼバブが惑星地球に長く滞在したのは六度目の「三〇〇年」P332だというのだが、しかし四度目の滞在期間は「ピラミッド」(紀元前)完成から、ダーウィンの進化論(1859年)までとしても数千年は経過していることになるのであるが……、そして第ニの大きな矛盾は、バルゼバブたちが猿を確保し、惑星火星へ帰還したのはいいのだが、その後のその<猿問題>の実験についてはなんら記述がないのである。
次に、グルジェフが、三回読めという根拠について、私のその解釈を述べておこうと思う。
一度目は意識の扉を開きただ無心になって読み進めること、
二度目は書かれた記述を妥協無く理解し読み進めることである。
三度目は書かれた記述内容が潜在意識まで到達することが望ましい。
実は、グルジェフは三回読む意味について、文中の第46章でそれとなく述べているのである。グルジェフはバルゼバブを通していう。
理性には、「知るための理性」P712と、「理解のための理性」とがあり、前記は「ただの断片的な情報」であり「主観的」という。後記において初めてそれは「客観的知識」になるといい、有益な結果は三つのセンターが「全部同等に機能した時に初めて得られるのだ」P714というのだ。
つまり、一度目は思考センターが機能し、二度目に書かれた記述を理解することで読者は、惑星地球の三脳生物のいいかげんさに怒りが生じ、感情センターが機能することになる。三度目には書かれた記述内容がより意識に結晶化され、潜在意識にまで到達することになる、というわけである。ベルゼバブは惑星地球の三脳生物に絶望しながらも、潜在意識に残る良心には希望を持っていたことは本文を読めば、お分かりになると思う。
これが私の理解する三回読むことの意味である。
読後感は、面白く読め、まだこの三倍の量があってもいいように思った。アメリカ編などは、インディアン虐殺の白人侵略史なんかを期待したのだが、あの脱線にはがっかりしたし、猿を確保しての実験や、惑星カラタスに帰還してからの話なんかも読みたかったのだが。エゴリオノプティからの角返還の儀式などもバタバタ急いで終わった感じがして残念に思う。しかし、この作品が1924から1930年頃(日本では大正時代)に着想を得て、書かれている事に驚いたのは、私だけだろうか?
私にはこの『ベルゼバブの孫への話』はグルジェフの、「愚かなる惑星地球の三脳生物への絶望と、潜在意識の内なる良心への希望と、滅亡を救わんとする人類愛に満ちた結晶」としか読み取れなかった。読み進めていくと、この本が「もの」の原理や起源といった難解な内容だけでなく、諧謔を通してグルジェフの皮肉ながらもユーモアの富んでいることに読者は笑うことになろう。訳文は、読みやすく分かりやすい。優れた訳者を得て、著者グルジェフもさぞ本望であろう、と思う……。
訳者は、「訳者あとがき」に書いている。
この本を読むには、「文脈の流れを把握しつつ個々の内容を理解するためには、通常の読書の何倍もの注意力と集中力が必要となる。その上、無数に用意してあるつまずきの石を乗り越え、意気喪阻せずに読破するには、ほとんど無限の意志と持続力が要求される。」といい、かつてグルジェフの弟子であったウスペンスキーは、「これを理解するにはものすごい知的準備が必要だと言った」P780という。
また松岡正剛はブログの「千夜千冊」で、この『ベルゼバブの孫への話』を、「『グルジェフ・ワーク』や『グルジェフ、弟子たちに語る』を読んでいても、手に負えない。きっと日本人でちゃんと読んだのは訳者の浅井雅志さんと担当編集者の藤井愛子さんと著者の活動拠点であるイーデン・ウェスト・キョートのメンバーくらいのものではないだろうか。」と述べ、「怪物的書物」と称している。
興味ある読者は、この「怪物的書物」にいま一度挑まれてはどうだろうか。そして、ベルゼバブの惑星地球の三脳生物の相互破壊プロセスに対する結論まで読み進められるように願う。たとえ挫折したとしても、この本の読書体験は決して無駄にはならないと、私は思うのだが……、
誤記
冒頭「第シ3リーズ」→「第3シリーズ」
脱字?
P096「理解できるようなるであろう」→「理解できるようになるであろう」
P109「おまえの惑星で」→「おまえのお気に入りの惑星で」
P142「おまえの惑星に」→「おまえのお気に入りの惑星に」
P275「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P438「おまえの惑星で」→「おまえのお気に入りの惑星で」
P452「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P457「おまえの惑星地球では」→「おまえのお気に入りの惑星地球では」
P498「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P581「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P687「おまえの惑星の」→「おまえのお気に入りの惑星の」
P688「意識的努力および意図的に」→「意識的努力を意図的に」or「意識的努力および意図的苦痛を」
P691「おまえの惑星で」→「おまえのお気に入りの惑星で」
P698「おまえの惑星に」→「おまえのお気に入りの惑星に」
誤記
P375「やっっておる」→「やっておる」
誤記?
P636「この大陸に生息する」→「このアメリカ大陸に生息する」
2020年7月28日に日本でレビュー済み
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切断プログラムです。この後に入れるデータであなたの人生が変わるでしょう
2016年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしい‼︎
人生観が変わる大書です。こんな本を求めていました。
人生観が変わる大書です。こんな本を求めていました。
2016年6月2日に日本でレビュー済み
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とにかく分かりにくい。
グルジエフという人物がどういう存在なのか、という些細な好奇心からこの本に目を通したが、実際書かれている内容の一割も理解出来ていないと思う。
著者による「私の書いたものを3回読みなさい」、との但し書きは一体どのような読者を想定して書いたのか、今となっては本の内容よりも気になるところだ。
ただ、この複雑怪奇な大作を名目だけであっても読破したのはいい経験になった。
理解、というか何となく得た感想として、この本はこれまで自分が読んできた本のどれとも似ていない。
あらゆる小説、物語が全ての価値観を既存の人間観・社会観・宗教観・歴史観から得て組み立てているのに対し、この本の主人公ベルゼバブはその枠外から人類のあり方を批判する。人類の観察者と称するベルゼバブは、人類が培ってきた文化や社会を悪意の無い口調で延々と扱下ろす。
例えば、自分が固く正義だと信じている事があるとして、このベルゼバブによれば「人間が理解している正義は、客観的意味においては呪うべき迷妄である」とのことだ。戦争の大義でも、法の支配でも自ずとこの「正義」が人間社会の要石であるなか、これを呪うべき迷妄と言われて愉快な人は多くないと思われる。本の冒頭で著者は「一人の例外もなくすべての読者の中に、私個人に対する明瞭な敵意を自動的に生み出す」何かを確認しているが、大方その予感は当たっている。そして、それがこの本の目的なのだろう。
この本には上記に類似した膨大な量のメッセージが含まれているのだろうが、他愛もない歪曲的な回想、聞きなれない専門用語と代名詞の連続、話の主題からの脱線、等々の作者の強い意図が感じられる不親切さにより、個人的は、これは極端に読者を選ぶ本であり自分はそれにハマらなかった、とおもう次第です。
グルジエフという人物がどういう存在なのか、という些細な好奇心からこの本に目を通したが、実際書かれている内容の一割も理解出来ていないと思う。
著者による「私の書いたものを3回読みなさい」、との但し書きは一体どのような読者を想定して書いたのか、今となっては本の内容よりも気になるところだ。
ただ、この複雑怪奇な大作を名目だけであっても読破したのはいい経験になった。
理解、というか何となく得た感想として、この本はこれまで自分が読んできた本のどれとも似ていない。
あらゆる小説、物語が全ての価値観を既存の人間観・社会観・宗教観・歴史観から得て組み立てているのに対し、この本の主人公ベルゼバブはその枠外から人類のあり方を批判する。人類の観察者と称するベルゼバブは、人類が培ってきた文化や社会を悪意の無い口調で延々と扱下ろす。
例えば、自分が固く正義だと信じている事があるとして、このベルゼバブによれば「人間が理解している正義は、客観的意味においては呪うべき迷妄である」とのことだ。戦争の大義でも、法の支配でも自ずとこの「正義」が人間社会の要石であるなか、これを呪うべき迷妄と言われて愉快な人は多くないと思われる。本の冒頭で著者は「一人の例外もなくすべての読者の中に、私個人に対する明瞭な敵意を自動的に生み出す」何かを確認しているが、大方その予感は当たっている。そして、それがこの本の目的なのだろう。
この本には上記に類似した膨大な量のメッセージが含まれているのだろうが、他愛もない歪曲的な回想、聞きなれない専門用語と代名詞の連続、話の主題からの脱線、等々の作者の強い意図が感じられる不親切さにより、個人的は、これは極端に読者を選ぶ本であり自分はそれにハマらなかった、とおもう次第です。